そのまま「観る」という科学
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

先日のブログで書こうと思っていたことを書かなかったので、今日改めて書きたいと思います。

今、表に出ている現象に一喜一憂しないでください。

現象は表れでしかなくそれを在るようにする実態があるからです。

現象を通して知ることはその実態を知る事、すなわち悟るという事です。

起こったことに対して一喜一憂しているうちはその悟りが起こりません。

情報リテラシーが機能しないという事です。

起こっている事の裏で何が起こっているのかを知ろうとすることも情報に翻弄されている事と同じことです。

そうではなく、大きく俯瞰した時に導き出される方向性があります。

その方向性を感じることができてきた時あなたの行動は「理」に担保された行動になっていくのです。
今色々な事が起こっていてそれを批判する人もいますが、起こっている事は結果であり、それについて対処や議論をしていては遅いという事です。

混乱を収束させようと普通は考えるかもしれません。

しかし、混乱を維持しようという考え方もまたあるという事を知るべきです。

それは陰謀論などではなく、人間の進化の為にそれが起こっている可能性も考えてみてください。


人間が死ぬことが悲しくて悲観的な事だという観念で留まっているならそれを超えて知る事は出来ません。

こう書くと、一定の人間は私が死ぬことを肯定していると考えるかもしれませんが、そうではありません。


批判している人を見ていると、見識の狭さ、視野の狭さをいつも感じます。

どんなに良い学校を出ていてもどんなに専門的な分野で秀でていても、批判は視野の狭さを露呈させています。

知識あって頭が良いとされる人間であっても私にはそう見えるのです。
2020/02/22 00:15 差取り TB(0) コメント(0)
社会的にも家庭的にもプライベートでもうまくやっていると思っている人は、私から見ると注意が必要です。

私から見るとどのように見えるかというと、ある満足という思考停止が起こっています。

その思考停止は人間という枠内で考えた時は素晴らしい事のようにも思うかもしれませんが、人間に納まってその中でよくやっているという話にしかすぎないのです。

その事について何がいけないのか?

と腹を立てたくなる人もいるかもしれません。

しかし、それでは救われないのです。

沢山の方々をみてきましたが、うまくやっているような人が一番遠回りをするという傾向にあります。

いわゆる優等生的な人たちです。

逆に、最も早く進まれる方は泥まみれになっても突っ込んでいきます。

この世を生きる上で、この世の満足を得て生きる人間を見ていると違和感が起こる事が多いです。

それは上に書いたような事に端を発するようにも思います。


問題を解決してうまく生きていると感じている人間ほど見えない傲慢さが隠れています。

その傲慢さが人間、また奴隷のままでありつづける事をいつの間にか選んで生きているのですが、その方々が気が付くことはおそらく一生かかってもあり得ないように思います。

違う見方をするなら、今回はそれを選んで生まれてきた比較的若い意識であり、人間同士の触れ合いという情を大切にする傾向にあります。

うまくいっているという一つの観点で過ごしつづける事ができるという事実が物語っているものがあります。

何を「物語っている」か、わかる事ができる感性も情報リテラシーなのです。
2020/02/21 22:30 差取り TB(0) コメント(0)
今お伝えしている情報リテラシーですが、今の世の中がそれに達するには大きなパラダイムシフトが必要不可欠に見えます。

若い世代になるほど、もともと持っている意識が進化している中で、それをサポートする社会の変化が追い付いていないという事も大きな足かせになっています。

人間の生活や生き方を技術知識で何とかしようとする勢力はますますもてはやされ、そこにエネルギーが集まっていくでしょう。

しかし、いつか人間は気づかなければいけない時が来ます。

そのきっかけとなるものは、必ずと言っていいほど限界を知る時です。

その限界を知った時大きな方向転換が起こり始めるのですが、限界を早く知った者ほど緩やかな転換になるのです。

このブログで具体的な利点を書かないのは、具体的な利点に飛びつく人間では情報リテラシーを修められないからでもあります。

自分の感性を使って、自分自身の都合を超えた理解を引き出せる方が、新しいパラダイムに自分自身を押し上げる事ができる人です。

このブログは読み流して、何かを得ようとしている人の心には反応しないように書かれています。

既存の教育では精神性の向上が起こる事は稀です。

また、精神性を宗教や聖者など外側に求める事も随分遠回りなアプローチです。


大切な事は先ず、社会の習慣で一生を使っても精神的な向上が殆ど起こらないと知っている事です。

それができないのは、精神的向上(本当の大人)を生活の豊かさや富などと区別できない状態に多くの人間が陥っている事が起因しているように思います。

最初から目が曇った状態なのですから正しい判断が起こる事もありません。


それが続く中で、人間は自分たちの都合の良い社会を考え実行していく事になります。

AIやロボット化など今の時代を象徴するような事も人間の都合で発展させていくなら必ず大きな災難につながっていくのです。

それは、将来はすべて科学的に証明されていく事でもありますし、理論的に考えれば比較的簡単にわかる事もあります。


人間にとって災難があろうとなかろうと意識の成長にとって肯定的な結果につなげられるかが大きなカギになります。

大きな災難にあったとしても変わらない人間は変わりません。

自分自身が全く成長しないと悟った時、生命・生命体はどの様な選択をするでしょうか。

それは自然界の中にも散見されることです。

そこから目をそらしたまま揺るぎない幸福を得ることはできません。

世の中で災難が起こる機会は二次関数的に多くなっているのですから。

既に分かっている人が多くなってきたのでそろそろ書いてもよい時期かと思います。

去年のうちからそれについてお話しています。

しかし日々の事に気をとられている方々はいまだに気が付いていません。

自分自身がそこに足を踏み入れていても気づけないのを見ていると、人間の盲目がどの様な結末に至っていくかという事をハッキリ表すことになります。

人間の考え(エゴ)が蔓延すればするほど、その場所は自然の摂理から離れていきます。

自然の摂理とは、健康であることや人としての喜びも含まれます。

人間としての喜びを求める事とは違います。


具体的な事はここに書かなくともすでに起こりはじめれば否応なく分かるようになります。

そうした時に何をすればよいのかは、頭が良い人が考えたところでわかりません。

知識でものを考える人間が人間を寄せます。

多くの人間が、その情報に翻弄されることになるでしょう。

すでに、情報に翻弄された状態にありますが、危機が起こった時それが自分自身の危機を顕在化して身に迫ったという事にすぎないのです。

普段からそうなるように生きていて、危機に陥った時慌てるのが人間の常です。

人間の都合で考えて行動してもどうしようもなくなる世の中は人間をさせるのかもしれません。

しかしその中で進化できる人間は限られてしまいます。

それを選んでいるのは神ではなく人間なのです。


何が起こっているか正しく見る事、

在るがままに観る事

それが情報リテラシーでもありますが、そこから離れている人間は淘汰されるのではなく、自分からその道を進んでいるにすぎないのです。

ある予言で世界の三分の一、日本の三分の二の人間が死ぬという話を聞いたことがありますが、そういった世の中なのかもしれません。

その中において、私が死ぬのならそれも受け入れる準備は日々しています。

逆説的ですが、死ぬ準備ができた人から結果的に救われるのかもしれません。

私はそれ程生きたい思っていないのですが、理から物事は起こっていきますのでなるようになっていきます。


この文章で答えを得られないなら、それはそういう事です。

自分人からその答えがすでに現れているという事を無視されませんように願っています。

この文章はその様に書かれているのですから。

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