特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

人類を救おうという計画があったらどのように実行されるでしょうか。

宇宙人が来て、多くの人をいっきに救うでしょうか。

それとも、大きな力を持った誰かが大鉈を振るうでしょうか。

この辺は慎重に考えないといけないのではないでしょうか。


しかし、甘えが少しでもあるなら、都合のいい結末を信じてしまいます。

信じる事とは思考を停止させることです。


明らかに目の前で起こっている事でもそれを信じるなら、騙されます。

手品で誰でも知っている事ですね。

こういった時、どのような心境になってるかを知ろうとするなら、意識の仕組みを知るようになっていきます。


意識の仕組みが分かればわかるほど、人間はアドバンテージを得ます。

アドバンテージを得た人間はどうすると思いますか?

深く知れば知るほど、秘宝を手に入れるようなものなのです。

その秘宝は、人類を救う事も出来るかもしれませんが、奴隷化することもできます。

その秘宝を得たら既存の人類のほとんどは豹変します。


豹変する人の内訳は

救ってもらおうと何かの力に依存している人

いつも我慢して生きている人

良い人を演じている人

抑圧されている人

良いことをやっていると考えている人

などです。

ここでストップがかかったのでこれ以上書けなくなりました。


ちょっと別の角度から・・・

人間が生まれてくる理由があるとしたら、何かしらの目的を達成するためです。

その目的を達成しないまま、助けられてしまったら不本意な結果に終わるのではないでしょうか。

そうなると、その救済はその人にとっては迷惑な事になります。

その様な迷惑を救済者(救世主でも可)はすると思いますか?

本人は助けられたいと願っていても、まだ、わざわざ生まれてきた目的を達成していないのです。

物事を信じて目を塞いでしまう人にとってはあまりにもつらい現実かもしれません。

そして、目を閉じます。

ここに分かれ道があります。

分かれ道の先がどうなっているのかは想像できる人も多いのではないでしょうか。

物事は人知が及ばないところでうまくいっています。


目を閉じる事もまた大切なプロセスです。


そういった場面で目を閉じる人は、目を閉じないようにしようとするのではなく、目を閉じたことを分かっていればいいのです。

そして、その様な自分自身を見つめる時間をつくるならあなたがあなた自身を救っているのです。

信じられないかもしれませんが(笑)

それを実践的にやってみるなら、答えは信じるまでもなく分かるようになります。

人類救済計画を考えて想いにふけらないでください。

いくら誰かを祈ったとしても、ヒーリングしたとしても、それは考えの世界のお話であって、思い込みの世界で展開されるドラマです。

何かをきっかけに自分自身で歩き始めるから、何かが功を奏したように見えます。

そして、その何かが独り歩きを始めます。

そして、メソッドとして多くの人に知らされます。


なにか自体に効果があるのなら、万人に効くはずです。

そうならないのはきっかけをつくる材料でしかないからです。

そのきっかけで動くのは本人の自由意思に任されているのですから。


そういったものは必要ないというお話ではありません。

良いキッカケになる場合もあります。

人間の意識において、きっかけは必要です。

それは何であっても・・・・

「機会」は成長のキッカケをつくります。


機会を無駄にする人に成長はありません。


この機会を大切にされてください。

生まれてきたという「機会」

サバイバルを楽しもうと無人島に行ったら、救助隊が来て連れていかれたらどうでしょうか。

サバイバルを楽しもうとしているのはあなたの潜在的な意識です。

助けてもらいたいと考えているのは、表面的な意識です。


その違いを自分で知る事はなかなか難しい事かもしれませんが、トライすればいずれ分かるようになります。

その挑戦をしないで助けてもらいたいと考えることはとてももったいない事なのです。

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2018/05/21 13:01 悟り TB(0) コメント(-)
本命で生きている人はあまりいません。

競馬の用語ですが、こうなっているようです。

◎:本命
最も勝つ確率が高い馬。トップ評価。

○:対抗
本命に対抗できる馬。2番手評価。

▲:単穴
◎や○の馬に勝てる能力がある馬。3番手評価。

△:連下
2・3着に来る可能性がある馬。

☆:星
◎○▲△以外で、勝てる可能性がある穴馬。

注:注意
3着までなら可能性があると思われる馬。


あなたの生き方はどの生き方でしょうか。

ちょっと前の話ですが、子供のころからずっと機嫌悪く生きてきたとおっしゃった方がいます。

そのお話のヒントになればと思い、書き綴ります。

その話はとても面白い話だと思いました。

他にもその様な人がいましたし、私自身も分からなくはないからです。

何気ない話のようでもありますが、とても大切なお話になります。

機嫌が悪く生きてきたというのは、???となるような話で、日常でされる話ではありません。


しかし、それを紐解いていくことで生まれてきたこと、生きる事、について少し明確になっていきます。

この先は考えれば誰でも分かる事です。

書いたところで「そういった事か」というような簡単な話です。

簡単な話や、簡単に書くことはあまりしない方が良いように思うようになりました。

簡単なことでも難しく書いた方が受けが良いようです。

差取り塾の中で簡単に話していますが、簡単に分かってしまうとわかった気になってすぐに忘れてしまうこともあるようです。

答えを聞いてわかった気になる事と自分で苦労して分かった答えは全く違います。

最も大切なことは自分で答えを得る事で、そのお手伝いはします。

お手伝いが分かる事を簡単にするのですが、自分で簡単に分かったと思い込むならそれはまた毒です。

大切なことは自分で分かる事ができるという事で、「私」が知っているという経験を通して、「私」を知っていくことです。

そうやって「私」を知っていくことで、不本意だった生き方が自然に変わっていきます。

機嫌よく生きようとすることは苦しさを伴います。

なぜなら、不本意な「私」自身を無視することになるからです。

不本意でありながら、機嫌よくしようとする事を考えてみてください。

すると、ここに答えを書く必要もありません。


人間は答えを自分で導き出すことをいつの間にか放棄しています。

放棄したうえで、答えを教えてくれない人を非難します。


ここまで分かったうえで、答えを教えてくれる人と、自分で考える術を教えてくれる人(答えを教えてくれない人)どちらが親切なのでしょうか。




その答えは人それぞれです。


子供のころから答えを詰め込まれ、自分で考える前に正しい答えを他者に求める姿勢が形成されています。

それは奴隷の心持ちであり、親、大人は子供の奴隷化に大きく貢献していることになります。


あなたは奴隷化に貢献していますか?


もし、している、してきたのならやめればいいだけでの事です。


私が知る限り、奴隷化の片棒を担いだことのない人などいません。


信じることで救われようとすることも、奴隷の心持ちです。


奴隷でいることが本意でしょうか。


機嫌が悪い原因が不本意な生き方をしているからというなら、それは、正しい理解になります。

不本意なのに、ニコニコしていられるなら、それは自分を騙して生きているという事です。


奴隷は腹に思っていることを表せません。

いつも監視の目を気にしなければならないからです。


あまり奴隷、奴隷と書くのもどうかと思うのですが・・・・

ほぼ地球全人類奴隷なのです。


そこで私が思うことは、奴隷の状態で夢を語るのではなく、まず奴隷だという事に向き合う事が大切なのではないかという事。

奴隷を抜けてから夢に向かうなら、夢と現実の区別はそれ程いらなくなります。


それが合理的だと思えるならそうするべきですが、まずは奴隷だという事に向き合えないとそうは思えないのです。


差取り塾に来る人は真底奴隷だという事に嫌になった人がいらっしゃることが多いです。

そうではない方は、また奴隷に戻っていってしまいます。


「あなたは奴隷です」と言われて気分がいい人はいないと思いますが、中にはスッキリする人もいます。

スッキリ聞けることは、向き合えた(向き合えている)サインです。

その後行動を起こすことは簡単だと思います。


まずは奴隷を卒業すること。

すると必要な事がシンプルになり、大切なことが見えるようになります。


奴隷だからこそ、奴隷として必要な事を考えます。

攻撃されないように

困らないように・・・・・

・・・・・少しでも安心できるように・・・・・


奴隷だからこそ、安心できる何かに飛びついてしまいます。

神様、仏様に何とかしてもらいたいと考えます。

宇宙人でも同じ。


何かしらの特殊能力を求めます。

知識で武装しようとします。


こうしてみると世の中のほぼすべての人がやっている事だと思いませんか。

「あなたは本当は奴隷なんだ」などとは言いません。ご自身で分かるからですし、分かったうえで向き合ったなら行動に移りやすくなります。

奴隷の心持ちでどんなことをしてもそれは現れます。

奴隷解放運動は過去の歴史ではありません。


今はもっとわからない形で奴隷化が行われています。

それは自分自身で奴隷であることを選択しているからなのです。


奴隷だとわかったからなんなのだ?

という人は、また答えを求めてしまっています。そして、人のせいにし、向き合う事を放棄しています。

そういった現象が同時に起こっていて、それが奴隷の心持ちから現れているとただ示しています。


奴隷が悪いわけではありません。

そういった役周りを演じているだけなのですから。

しかし、リアル感を伴った役周りは意識まで及びます。

そして、意識の成長に繋がっていきます。

※演じているだけならいいではないかという声が必ず入ってきます。しかし割愛します。


奴隷を抜けたら、何がいいんだと思うなら(考えてみて)

奴隷を抜けることがどれ程いいか、奴隷を抜けてみないと分からないのです。どれほど重い荷物を背負っていたか、降ろしてみないと分からないのです。

見えない鎖が、見える現象を創りだしています。

見える現象に意識を奪われているうちは見えない鎖に気づけません。

人間を悩ませるものは現象ではなく、鎖がついていることに起因します。


その鎖を絶つ手段をお伝えしているところは知りません。

自由という鎖をつけてくれるところはたくさん知っています。

経済的豊かさという鎖

精神的豊かさという鎖

立派な社会人という鎖

優等生という鎖

教えという鎖


鎖が無くなれば自由なのですが、人間は鎖をつけたまま自由になろうとします。

鎖をつけたまま自由に生きる方法を模索します。

それは鎖をつけ続けるという意志表示でもあるのです。

純粋にすべて降ろしてみることに、知識は使いません。


長くなりましたが、これで奴隷から抜けてみようという人はどれほどいたのかは一人ひとりの心持ちにかかっています。

稀に見る奴隷ではない人が読んでいるかもしれません。



【お知らせ:都内で開催のお話会について】

6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。
一般7,000円

お申し込みは差取り塾HPよりお願いします。
2018/05/19 11:34 悟り TB(0) コメント(-)
自覚が今より多くの人に伝わるにはどうしたらいいのかと度々思います。

ご意見をいただくことが早いかもしれませんが、コメント欄も閉じています。(様々な経緯があり今は閉じています。FBのメッセージで質問等してくだされば受け付けています)

そこで思うのが、聖者の言葉って、どこか希望に満ちていて何かをかき立てるように思いますし、スピリチュアルは願望をかなえさせてくれるような期待に満ちています。

そういった事は差取り塾では全く感じられないように思います。

書いたとしても今一つインパクトに欠けるような書き方しかできません。


そんなこんなで華もありません(笑)


磨かれた宝石がそれらであるなら、差取り塾は川に転がっている石のように思います。

輝きは一切映りません。

しかし、上流から流れ着いた石はそのまますべてをかたっています。

その良さが分かる人はもはやマニアックすぎます。


しかし、ダイヤモンドより、河原の石が大切だという話ではありません。

多くの人が誤解する部分です。

河原の石とダイヤモンドを並べて、ダイヤモンドを取ることをしないのが悟った人ではありません。

そうではなく、ダイヤモンドはダイヤモンドの美しさがあり、河原の石には違う美しさがあります。

それは同じ土俵で比べる事の出来ない美しさです。

元々比べることができないものを比べようとすることなく、純粋に美しさを感じてみた時、ある理解が起こります。

その時パラダイムシフトが起こっていますが、人間の観点では感じられない変化です。

この変化が感じられるようになると、宇宙のすべての美しさより美しいものを知るようになります。


それをお伝えするためには小手先の美しさは語れないのです。

純粋さを保つこと。

それは余計なものをなにも足さない手作り醤油のようなものです。

本当にしんどい(笑)

最高の味を保つためには、自然本来の力を使い人間のエゴは介入できません。

時間をかけて熟成された醤油はそれだけで美味しものです。


しかし、スーパーで大量生産された大手の商品が醤油だと勘違いされています。

本物は時間も手間もかかります。

その手間や時間を惜しんだ時、何か足すことになります。

本物の醤油を好んで使う人はそれほど多くありませんし、違いが分かるためには少なくとも一度は本物を口にすることです。

本物の醤油を世の中に営業することと、本物の自覚を伝えることは似ています。

本物の味を守るという事はとても難しい事で、月日が経っていくと違ったものになっていることは珍しいことではありません。


ここで最初の話に戻りますが、そういった醤油をつくることに浮ついた夢は感じられません。

実直にただ向き合っているだけです。

地味ですが、できた物は最高のものになります。


そこに在るなにかを感じられる人が量産物を選ぶでしょうか。


これからも差取り塾は何も足しません。

ですから、夢がないままです。

しかし、創意工夫はいつも起こっています。

ですから、前よりもっとおいしい醤油ができるようになってきました。

熟成の精度も大分変わりました。


本物を守るという事は、工夫しないで同じことをやり続けることではありません。


最高の醤油を創ろうという努力はずっと続きます。


差取り塾の世界観が伝わったでしょうか。


これからもする努力は最高にうまい醤油をつくる事だけです。

それに反することはできないのです。


また、つまらなそうできつそうなことを書いてしまいました、、、

実際はどうなのか、ここに書いても仕方ないかもしれませんが、皆さん熟成を楽しそうにやっています。

たまには汗かいて、きつそうなときもありますが、それが終わったとすがすがしい顔をされています。

差取り塾の歴史はそれ程ありませんが、年単位で在籍されている方が殆どです。

本物の味を分かったら他に行く理由はありません。

しかし、もう一つお伝えしていることがあります。

「もっとおいしい醤油があるなら、そちらを選ばなければいけません。そこで遠慮などしてはいけません」と

今はだいぶ熟成が進み大きく悟る人も数人はいらっしゃいます。
2018/05/16 18:56 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
自分自身のポテンシャルを知っている人はそれほど多くないように思います。

これを読んでいるあなたのポテンシャルは、あなたが思うより高いです。

自覚をお伝えしている中で感じることは、ポテンシャルを活かしていないというのではなく、ポテンシャル通りに生きていないという事です。

これは慰めでもなんでもなく、人類のほとんどがポテンシャル通りに生きていないという事は、ポテンシャル通りに生きたらそれだけで人生が大きく変わるという事を知ってほしいと思うのです。


その引き出し方はさまざまに感じるかもしれませんが、引き出し方にはコツがあります。

引き出し方に偏りがあると、生き方に明暗が出て、明暗が濃くなればなるほど生きた方が窮屈になります。


ここでもう一度整理しないといけないのですが、「引き出す」という表現には誤解が生まれやすい表現かもしれません。

そうでなく、「その状態で生きる」という事をすればよいのですが、ここが少し難しく感じるところでしょうか。


一つの考え方では

ポテンシャルを引き出そうとする行為は、ポテンシャル不足の自我が行うという事であって、最初から役不足の状態です。

また、

自我を使ってできる最善とは、それを邪魔している行為に気づくという事です。

まずはそこから始める。

それは思考の中でできる事だからです。

それ以上のポテンシャルで生きる事を望むなら、それを超えた思考を知っていく必要があります。

自覚をしていくと自然に起こっていくことですが、その様な自覚をしている、またはできる人は絞られます。

その絞られたところをこじ開けるのが私のお仕事の一つです。

道路の拡幅工事みたいなものです。

自覚をお伝えしながらもガテン系のお仕事をしているようでもあります。


ポテンシャルを最大限発揮して生きる事に何の工夫もいりません。

むしろ工夫はポテンシャルを下げる足かせになります。



ここからは全く別の事を書きます。

ブログの文章をさらっと読むのなら大切なことがすべて抜け落ちて理解されるでしょう。

そして、大切なことを知らないまま大したことが書かれていないように感じるかもしれません。

何かしら理解ができるまで繰り返し読もうとしてくださるなら、必ず助けになるはずです。

思考のエゴに気づかれないように、そこに反応が起こらないように注意を払って書いています。
2018/05/15 17:03 悟り TB(0) コメント(-)
人間は価値を求める行動をやめよとはしません。

今、やろうとしていることに価値を感じないかぎり行動を起こすことはありません。

世の中は価値観の奴隷として動いています。

それに嫌気がさした時、価値ある師匠を探します。

そして価値ある言葉を覚えて、価値ある行動を起こそうとします。

そして、次元の高い価値を自分のものとしようとします。


あなたにとって、価値あることをやるという事に対して何の疑いもないかもしれません。

経済的豊かさに価値基準を置く人と、心の豊かさに価値基準を置く人でどのような違いがあるでしょうか。

経済的豊かさから卒業した人が心の豊かさにシフトするのでしょうか。

人類のほとんどの人は、豊かさを求めているのではないでしょうか。


そして、豊かさを与えてくれるであろう何かを求める。

それがお金であったり心であったり・・・・聖者の言葉を並べ立てた時、何があなたを満足させているのでしょうか。

いつも何か求めている。

それをやめる時が来るのでしょうか。

やめた時何者になるのか。

やめた者が知っています。

あなたはそれを知りたいでしょうか。

あなたがやめた者になれば簡単に分かります。

2018/05/14 17:24 悟り TB(0) コメント(-)
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