特別なことをやめると自然になります。
カレンダー
06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
新着記事
応援クリックお願いします!
プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

人間が生きる上で違和感から起こる感情どうしようもない感覚にさいなまれる人はどれほどいるでしょうか。

それが行き過ぎると、心身疲れてしまい社会から離脱することにもなります。

そういった経験なく社会生活を送る人はいないと思いますが、そこに向き合う人は多くないと思います。


何故多くないかというと、向き合うことで苦しみに陥る事がほとんどだからです。

わざわざ自分から苦しみを選ぶ人はいません。

しかし、そういった習慣が苦しみを呼んでいるのです。

こうなると思考はパラドックスに陥ります。

意識の成長が進んだ人はその向こうに何が在るかどこかで気づいているので、そこに向き合うことをためらいません。

その答えから遠い人は向き合うことに消極的であるばかりか、見ようともしません。


経験的に底に向かうと苦しみや葛藤を伴うことを知ったなら、そこに向き合うことは価値がないどころかむしろ嫌うことになるでしょう。

これは当然のことだと思います。

ですから、差取り塾を訪れる人はごく僅かです。


例えば、仕事がうまくいかない原因が自分自身にある時、そこを改善しようとする人と全くそこに目が向かない人がいます。

その原因は上に書いた事が大きく起因します。

もちろん他の原因も考えられますが、起こっていることを正面から捉えられない人はどんな事においても逃げ腰で原因を自分以外に見ようとします。


こういったブログをたくさん読んで、どこが素晴らしいか比べているなら、それは上のグループに入るわけです。

まず自分で正面から確かめてみることは大切なことですが、できない人はできないままです。

そうしているうちに時間が過ぎていきます。

知っている人は間違えだろうが合っていようが飛び込んでとことん確かめます。

ですから、間違えだと気づくのも時間はそれほどかかりません。

最初から正しいことを選択しようとしている人はその時点で間違えですが、間違えていることに気づくには多くの場合一生かけても無理なようです。

自分の意志で一歩踏み出すことは人によっては容易いものではありません。

それも、自由な選択の一つであり、経験の一つです。

一生選択しないという経験を通して、何かを得ます。


さて、常に起こっている違和感。

これに向き合うことがどれほど難しいことなのか私も沢山の人を見ているうちに分かるようになりました。

しかし、向き合わない限り、違和感から感情が起こり感情に影響されながら生きることを続けなければなりません。

違和感は理解が及んでいないというサインでしかありません。

そのサインで感情が噴き出し、摩擦を起こすことも少なくありません。

感情を抑える人にとっては葛藤を自分自身の中で創り出し、心の中では戦争状態です。

そこから抜け出すには向き合うしかないのですが、一人で抜け出すには沢山の苦労と時間を必要とします。

もし生きていることに違和感を覚えるのなら、それも向き合っていくべき事です。

それも理解とともに解決していくでしょう。


どんな違和感でも一緒です。

仕事上であっても、違和感を理解するなら結果的に仕事はうまくいく傾向にあります。

家族に対しての違和感から人間関係の違和感

こういった違和感を理解しようとすることは物事を大きく好転させる知恵が隠れています。

違和感自体知恵なのですから。

知っているから違和感が起こります。

私達はただそれをよく見ればよいのです。

よく見れば答えだからです。

それが理解できたなら、向き合わない人などいなくなるのですが、この世はそうはいかないようです。

動かない人は動かないのです。
スポンサーサイト
2018/07/19 18:00 差取り TB(0) コメント(-)
罪と罰このことについて、人間は妄想的に信じています。

そして、罪や罰が現実に現れることになります。

罪と罰について冷静に向き合わなければいけません。


私ははっきりとお伝えします。

罪と罰はありません



それは誰かが与えるものでもなく、存在するものではありません。

それを許すことができるのは神ではありません。

自分自身です。

罪というと少し現実離れしているように感じる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、自分を責めることは自分に罪を着せていることと変わりません。

私は、誰かの罪を取り払うことはできません。

しかし、罪を許すことができるのは人であり、本人なのです。

それは思い込みでは起こりません。

思い込みで罪を逃れようとする人は結果的に罪と罰を受けることになります。


ここで大切なことは罪と罰がないのに、罪と罰を受けるということですが、これを理解するには少し時間がかかります。

そして、理解した暁には自分自身で罪と罰から自由になる選択ができるようになります。

今の人類は、罪と罰を背負って生きています。

それらから自由で生きていくことはどんな人生になるでしょうか。

それをお伝えすることができるだけでも、大きな価値を感じます。

2018/07/18 19:54 差取り TB(0) コメント(-)
子どもたちの未来は子どもたちがつくっていきます。

それを大人が邪魔してはいけません。

しかし、多くの大人は、子供の意識の成長を邪魔しています。

今までの考え方や、法律では子供は守れません。

私は法律を使って、子供をお金に変えようとした親を知っています。

そういったことも今の世の中ではできます。

子供の意志は尊重されません。

だからこそ、大人が大人の意識にならなければなりません。

子供のままの大人は、自分を守ることでいっぱいです。

それは裁判官であっても同じですし、子供を守るという建前の機関に置いても一緒です。

理にかなった判断はできません。

そういった事が起こるのは、社会全体が子供の意識のままの大人によって形成されているからです。


社会という現実は幻想です。

それを形成する人間によって社会という幻想が投影されています。

世の中を変えるということはできません。

なぜなら、世の中は幻想だからです。

それをつくる一人ひとりが変わることはできます。

だからこそ、まず自分自身からなのです。

誰かを変えることはできません。

本人の意志なくして変わることはありません。

他人の意思を尊重するという裏には、尊重より前に本人の自由意志があるということを知っている必要があると思います。

尊重しようがしまいが、本人がその気にならない限り動かないということです。

話はそれましたが、我々大人が大人らしく生きていくということは、ここで書いても書ききれません。


多くの大人は自分の利益のために何かを学んだり行っています。

誰かを助けようとすることも自分が気持ちよくなりたいなら利益を求めています。

徳を積むことも同じです。

そういった幻想から自由になった時、子供を守り、導ける大人になるように思います。


さて、子供と書きましたが、子供のままの大人も一緒です。

子供と大人の違いは何でしょうか。

それは法律や社会通念上で自由意志が認められるか認められないかということが大きな違いです。

その場合子供にとって大人は大きな影響力を持ちます。

どんな事があっても大人になれば自由意志が発揮され、生き方も自分の責任によるところが大きくなります。

しかし、そこに至るまでに大人のエゴがたくさん介入するのです。


いま、社会を形成している大人の考え方は、ここに書くこともバカバカしいくらいです。

なんでも好きにやって、誰かに、何かに助けられて生きていくならそれも尊重されます。

そこに批判もありません。

ただ、私が感じることは面倒くさいことをわざわざやって自分自身を小さくしているなと言うことです。

人類の意識はかなり進化しています。

その進化に取り残される人は苦しみを味わうことになりますが、それも本人が選択しているのです。

子供の意識もずいぶん昔とは違います。

幼い心のままでは子供の成長とともに見透かされていくでしょう。

子どもたちがのびのび生きるならそれほど苦労せずに物事を成し得ていきます。

大人が邪魔さえしなければ・・・・です。

今の社会は本当にまだまだ幼い社会です。

だからこそ、少し成長しただけで抜きに出るとも言えます。

幼い社会で抜きに出ると社会に苦労させられます。

そして、社会からはじき出される人もいます。

あなたがそうである場合もあります。

長くなりましたが、考え方や法律は、意識が子供の大人がつくったものです。

だからこそたくさんの弊害を生みます。

いくら考えても、次元が低いところで考えるならいいものはできないのです。

それは全てにおいて一緒です。


大切なのは自分の意識の次元を高くすることです。

すると自然に在り方が変わり、考え方も変わっていくのです。

勉強では次元は変わりません。

一流大学を出ても次元は変わらないのです。


※苦行中のため(笑)、ずいぶんまとまらない文章になってしまいましたが少しでも伝われば幸いです。
2018/07/17 22:45 差取り TB(0) コメント(-)
差取り塾は生きるということを活かし切ることをお伝えしているところでもあります。

これを感じてみてください。

「生きるという事を活かし切る」

その上で、お金を稼ぐことや、仕事で成功すること、幸せになることなどがこれに当てはまることでしょうか。

その答えは一人ひとりのなかにあります。

その答えと、既存の考えが葛藤を起こすなら、知っていてもその方向には進みません。


この世に生きるということは、そういった小さな物事を進化の糧に変えていくことでもあります。

2018/07/15 03:08 差取り TB(0) コメント(-)
良いも悪いもないというのは本当です。

しかし、それを肚からわかっている人は稀です。

わかっていなければそれについて違和感しか起こりません。

しかし、経験を通して冷静に分析するならそれは事実だとわかることができます。

そういった事をしないまま、人生を送ることは、良い悪いに翻弄され続けて生きることになります。

どんなことが起ころうと、それを学びの機会に変えていくことができます。

これはきれいごとではありませんし、実践していくことで深い理解につながっていくものです。


失敗は悪いことでしょうか。

そこから学ばない人にとっては悪いままで有り続けます。

学んだ人は悪いこととは言わなくなります。

ただ、そのように日常的に起こっていることからわかろうとすればわかります。

これは表面的なことですが、こういったことが始まりであり、これさえできない人は辛酸をなめ続け、失敗したことを漠然と解釈し、失敗のせいで結果が出なかったと平気で話します。

「あれさえなかったらな~」

そういった言葉には向き合う姿勢は感じられません。


そして、同じ失敗を繰り返し、わかるまで続きます。


目先のこととは、自分が考えていることも含まれます。

こういうふうに考えよう

こう考えてはいけない

ポジティブな思考をしよう

私はできるんだ

私はすごい

また、ネガティブなことを考えている

もうやめよう

・・・・・・・・etc.

これらに(の)対処(を)しようとするなら目先のことにとらわれていると言えます。

考え方を変えようとすることは目先の対処です。

世の中にあるほぼすべてのことがここ止まりです。

経営セミナーや宗教・学問・・・・・・


自分の意識を進化させたいなら違う手法を取らなければなりません。

意識が進化するということは、全てにおいてインプットとアウトプットが変わるということです。

これは頭で考えてもわからないことです。


起こる現象を変えようとすること

これも目先に囚われています。


結局肚でわかっていなければ違和感とともに反論したくなる衝動が湧いてきます。

それについてももちろん良い悪いはありません。

ただ、そういったことが起こっていると知るだけです。

詳細に知ると感情は動かなくなります。

動く必要がないからです。


感情は理解不足から起こるからです。

理解不足は思い込みから起こります。

思い込みがなくなる時、理解が起こります。

これを知るならあなたは大きく飛躍します。


感情をなんとかしようとすることは目先の対処です。
2018/07/08 23:11 差取り TB(0) コメント(-)
差取り塾のお知らせ
差取り塾へのお問い合わせはHPからお願いします。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム