特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

今回は塾生の方にブログを書いていただきます。これを機に塾生の方にもブログを書いていただき塾生がどのように学んでいるのか外から見て感じていただけると良いと思います。

さて、今日はYさんです。





差取り塾では、みなさんが集まる第1日曜グループセッションの日に、
お茶を飲み、ご飯を食べて、ともに時間を過ごしています。


私は、差取り塾でいらっしゃるみなさんにお食事を提供しています。


山梨には美味しいお野菜や果物が豊富にあり、
地物、季節の旬の物を中心とした料理を用意しています。


季節がきたら、お味噌を仕込み、
みなさんが集まる日に合わせて、
天然酵母を起こし、パンをこね始める。
パンに合うようにと、ヨーグルトやコンフィチュールの仕込みを始める。


そして、当日集まったみなさんの顔を見ながら、
最終的なメニューが出来上がっていきます。


献立から組み立てるのではなく、
集まった食材、みなさんの様子から料理を仕上げていくので、
同じ食材であっても、形はいつも変化していきます。


口にしたものは、味わいを生み、
咀嚼したものは、そのまま体を作りあげていきます。
作り手は、食事を堪能してもらえるようにと、
その素材の声を聞き、それをあらわし、料理へと昇華していきます。


古来より禅宗においては、修行僧の食事を担当する、
典座は修行の行き届いた高僧の役割でした。



米を淘(よな)げ、菜を調(ととの)うる等は、自手(みずか)ら親しく見、
精勤誠心(しょうごんじょうしん)にして作(な)し、
一念も疎怠緩慢(そたいかんまん)にして、
一事は管看(かんかん)するも、一事は管看せざることあるべからず。
功徳海中(くどくかいちゅう)、一滴も也(ま)た譲ることなく、
善根山上(ぜんごんさんじょう)、一塵(いちじん)も亦(また)積むべきか。


お米をといだり、おかずを調えたりすることは、典座が自身で手を下し、
よくよく注意し細かな点まで気を配り、心をこめておこない、
一瞬といえども、おろそかにしたり、なげやりにして、
一つのことはよく注意し気をつけるが、
他の一つのことには注意を怠ったりするということがあってはならない。
典座の職責を全うすることは、大海のように広大で深い功徳を積むことであり、
この大海も一滴一滴が集まってできているのであるから、
ほんのわずかのことでも他人にまかせてはならないし、
また、山のように高い善根を積み重ねることにおいても、
大山はひとつまみほどの土が積もり積もって成ったものに外ならないのであるから、
高い山のひとつまみの土ほどの小さなことでも、
自分で積み重ねなければいけないのではないか。

道元『典座教訓・赴粥飯法』 講談社学術文庫 より



料理を通じて、私、食材、みなさんと向き合い、それをあらわしていく。
とても奥が深く、尊い業です。


季節をみて、それを味わう。
私をみて、それを知る。


楽な心持ちで、食卓を囲む。
味わい深い食事を堪能しに、差取り塾へ足を運んでみてください。


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2017/11/16 21:49 塾生ブログ記事 TB(0) コメント(-)
何もしていない時、焦りの様なものを感じることは度々あるのではないでしょうか。

その時何が起こっているか分かって行動している人は少ないように思いますが、分かったなら行動が明確になり、肯定的なことに繋がっていくように思います。

起こす原因はぞれぞれですが、起こる原因は同じです。

起こす原因を通して、起こる原因が分かるなら成長に繋がっていきます。


大切なのは焦りがなぜ起こるかという事ではなく、それを分かるためのプロセスを知る事ができる知恵を学ぶならどんな時でも自分自身で分かるようになれるという事です。

今回は「焦り」という事をを通してその練習です。

具体的な「焦り」と抽象的な「焦り」

おなじ「焦り」です。

共通することはなんでしょうか?

それを見つけてみてください。

それを見つける過程で、あなたは本質を知る練習をしていることになります。

具体的な焦りとは期日が迫っている事などで

抽象的な焦りとは漠然と焦りだけがある状態。

何だか分からないけど心地が悪いときを感じたことがある人は多いはずです。


なぜ漠然とした焦りがあるのかは原因を探らないでください。

あるものあるのですから。

そのあるものを通して知るべきことはそこに共通する何かです。

答えは言葉にすれば簡単にここに書けます。

しかし、大切なのは読んでいる方の意識の成長であり、知識の成長ではありません。

この答えを自分で見つけた時、あなたの意識は以前より必ず成長し、研ぎ澄まされています。

答えだけ知りたい方はネットで調べれば出ているかもしれません。

焦らずじっくりと取り組んでみてください。

その取り組みは必ずあなたを成長させます。

2017/11/11 12:34 悟り TB(0) コメント(-)
今日は私に近況について書いてみたいと思います。

難解な文章になるかもしれませんが、理解しようとしないで心にしみこませるように読んでみてください。


私は何も知りません。

知りませんが、聞かれれば答えます。

深淵なるところを知れば知るほど何も知らず、すべてを知っています。

これらのことは簡単にお話している事ですが、簡単に話しをすればするほど身近になるかと言えばそうでもないようです。

今日はあえて簡単にすることなく書いていますが、すべては簡単にいままでお話している事なのです。


何も知らない私がすべてを知っていることになる。

それはエゴにとってとてもつらい現実です。

何も知らなくてもすべて知っているという状態をエゴは理解できず、知る事ができないからです。

個性の私は個性をハッキリさせようとする性質を持っています。

個性をハッキリさせるために個性を在るようにする必然を集めなければいけません。

その必然が現象を知るという事です。

個性は現象の中でしか生きる事ができないと知っています。

ですから、現象を強化し、その中に個性というアイデンティティーを太くさせる必要があるのです。

それは、樹木が根ざし大木へと成長することと似ています。

現象が大地で個性が樹木です。


そんな風に個性は感じ取っています。


個性について勘違いしている人が沢山います。

個性が邪魔することで悟りが遠のく・・・・

これは個性が考えることです。

個性が考えるから大地から栄養を吸い上げようとします。

現象から利益を得ようとする事ですが、それは思い込みにすぎません。


何も知らない私から見るなら、個性という樹木は私という大地に根差しているのです。

個性から見た時と随分違うように見えますね。

その様に見ることができるなら、もはや現象も、個性という考えもどのように在るのかが見え始めるのではないでしょうか。


何も知らないという事は私を守り導きます。

知るという事を一度見直されてみてはいかがでしょうか。
2017/11/08 23:34 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
差取り塾ではどの様に導いているのか、なんで早く進むのか書いてみたいと思います。

先ず、その人の意識がどの様になっているかを知ります。

意識の使い方の傾向を知りながら、その時の意識状態がどの様になっているかでお話の内容が出来ていきます。

意識の向け方、意識のあり方で大方表れの傾向は決まります。

それを見ることで表れていなくても(言葉にしなくても・できなくても)そこの部分についてお伝えし、進んで行くことをサポートします。

そこで最も大切な事があります。

お伝えした事に対して本人が出来るか出来ないかという判断が伴わないことです。
出来ることをやってもらうということであり、そこには葛藤が起こらないのです。

もちろん、出来ることでもやるかやらないかは本人の自由です。

その自由も大切なのです。

お伝えしながらも一切のコントロールをしません。

最終的に本人が決めると言うことが大切だからです。

やることが出来て、最大限の効果を見込める方法は個人個人違いますし、同じ人であってもその時によって違うのです。

これらを全て自分で出来る人は早く進むはずです。

しかし、そのような人は経験上いませんでした。我こそはと思う方は挑戦してみてください。

本気で挑戦したなら必ず何かがあるはずですから。

自分自身いつも選択から自由でいることが最良の選択をしていくことにつながっていきます。

あなたにとって最良は何なのか考えるよりも、選択せざるを得なくなる状況をつくらないことです。

誰かから学ぶ事でいろいろな経験があるかもしれませんが、ネガティブな経験をしたとしても選択肢からそれをはずさないでおいてください。

嫌なら辞められるという選択肢も同時にあればよいのですから。

昨日は大悟のプロセスには行った人へのセッションでしたが、今出来ることを通して大悟するための道筋ができたと本人も感じたようです。

その人にあった方法とは「簡単に出来る」ことです。

簡単に出来ることで大悟出来るのか?といえば出来ると答えます。
簡単に出来ることを組み合わせることで複雑なプロセスであってもクリア出来るのですが、物事を簡単にしようとするのか?難しくしようとするのかで、後者なら不可能にしてしまう可能性が大きくなります。

大悟を簡単に出来るのか?という質問には出来ない(でしょう)と答えます。

しかし、簡単に簡単にやっていくのなら数年で大悟に至るでしょう。これを簡単というか難しいというかは一人ひとりの判断にゆだねられます。


簡単に出来るのはいつも理解した後です。

理解する前にやろうとするから難しくなりますし、理解した後はする前よりも簡単に感じるはずです。

そんな当たり前のようなことですが、理解した人から聞くと行うことはそれだけ優位性があるのです。

理解しているようでも、難しい説明をする人は理解が出来ていないか浅いかのどちらかになります。

本当に理解しているなら道筋も筋道も理解しているのです。
2017/11/04 10:20 悟り TB(0) コメント(-)
差取り塾でお伝えするときには人が自由になっていこうとしたときに働く力を計算に入れてお伝えしています。

ですから、捨てなさいとか手放しなさいという話はしません。

捨てられるときにどういったことが起こっているのか、手放すことが出来るときにどんな現象が起こっているのか知ることで自然に手から放れるにはどう導けばいいかはっきりしているからです。

吊り橋を高所恐怖症の人が渡る時を考えてみてください。

横に張ってあるロープをから手を離しなさいと言ったところで、素直に離せるでしょうか?

ロープから手を離して、真っ直ぐ渡りきるにはどう導くことが大切でしょうか?

そもそも何が大切なのかということも含めて相手にとって最善を一緒に歩まなければなりません。


言葉はすぐに一人歩きをします。

吊り橋にいる人にどういった言葉をかければよいのか考える前に、吊り橋にいる人という括りをはずさなければいけません。

一人ひとり真っ正面から向き合ったときそのときの言葉が出てくるからです。

個性というフィルターの向こうまで届かせるためには個性を無視してはいけません。

森の向こうに行くには真っ直ぐ歩くことが出来ないように、決まった言葉を使うことは出来ないのです。

しかし、多くの指導はナビゲーションシステムだけ渡されます。

そこには木の位置も起伏も危険地帯も示されてはいません。

ナビゲーションシステムを使って進んだ人は必ず行き詰まります。

絶壁があってもその先しか示さないからです。


そこでナビゲーションシステムを使った方法から卒業するか、進むことをあきらめなければなりません。

すべて計算に入れた地図はありえません。

しかしそのときそのときに目の前に広がる景色を一緒に見るなら、どの様に進めばいいか明確に分かります。

多くの場合、聞く人は目隠しをしています。

目隠しをしたままどこかに去る人もいますが目隠しをはずすためにお伝えしてるともいえます。

目隠しをしている人よりはっきり見ている人の方が先まで見えるのは当然のことです。

真っ直ぐ歩いたら木に当たる

これが外力。

右に行ったら険しい道を登ることになる

これが苦しみであり苦行

左に行ったら谷に落ちる

これも苦しみであり大きな経験


そういった外の力をどうしても最初は受けるのですが、それは皆さんそうなのです。

できた観点でモノをいわれても分からないですし、出来るように指導するのが指導者ですよね?

上から見てそこを真っ直ぐ進めばいいんだ

といわれても

目の前には大木があるなら指導が迷いを呼ぶのです。


2017/11/03 08:53 悟り TB(0) コメント(-)
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