特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

人が成長していく過程で「こうしなければいけない」「こうでなければいけない」とそれに向かって努力してみたり、そうでない自分自身を責めたりしている事は誰でも経験していることではないでしょうか。

その様に教わって、

その様に生き

「それで何かしらの結果を手にした」と考えるかもしれません。

人間は向上心を失ったら終わりだと考えることも一般的です。

その中で、「こうでなければいけない」は正当化され、いかにも正しいように認知されています。


「こうでなければいけない」に違和感を覚える人でさえ、『「こうでなければいけない」はいけないんだ』

と考えることになります。


どんなに考えても「こうでなければいけない」は無くなりません。


そこで一つの方法ですが、「こうでなければいけない」とうまく付き合う方法を探ってみてはいかがでしょうか?

どんなことでもそうですが、対象と戦うことをやめるのが近道になります。

戦うことに気をとられ、感情や衝動で合理的な行動をとれなくしてしまっているのが人間です。

合理性より、感情や衝動に流されてしまう。そのような場面は社会的日常です。

会社の上司も好き嫌いで人を判断しますし、気分で物事が決定されている事の多さは社会の幼さの現れとして、人を苦しめます。


さて、話を戻して・・・・

「こうでなければいけない」という考えは、ひとつひとつ見ても万国共通ではありませんし、考えつくすべてが個人的、集団的考えにすぎないという事です。

あなたが限定をつくった時、それは既に始まるのです。

地域という限定

社会人という限定

性別という限定

・・・・

それらから生まれるものはなんでしょうか?

それが分かったとして、それを何とかしようとしてはいけません(笑)

そうであることを知ることが大事です。

「私は社会人としてと考えるから、いけないorべきが沢山でるんだなぁ」

と知るだけで構いません。

それだけで不安になるかもしれませんが、本当に知る事を始めると、その周りになる事にも気づき始めるようになります。

その気づきとともに(あくまでもその気づきではありません)「こうでなければいけない」が緩んでいます。

じわじわですが自然な形で緩みます。

知らないうちに楽になっている自分自身に気づくかもしれません。

自然の流れは偉大です。

その流れを変えようとしたり、さえぎることで人間は「苦」を体験します。


サーフィンやラフティングをしているイメージです。


あらがうことなく自然をつかんでいく

決して流されるわけではありません。

そこに生きる事の醍醐味があるのではないでしょうか。

サーフィン



上に書いた方法は時間はかかりますし、顕在的に気づけないかもしれませんが誰もなしえる事ができない成長を起こします。

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2017/05/13 23:42 悟り TB(0) コメント(-)
アーティスト K.M.さん:

おめでとうございます!

私は、差取り塾に 出会えて本当にラッキーだった

と思っています。

だから、これを読んでいるあなたも「ラッキーだなあ」

と思うのです。



私は、ニューヨークに住んでいるアーティストです。

日本から20年前に移り住みました。

絵を描いたり、日本語を教えたりして、

暮らしています。



アメリカの禅のコミュニティに参加して、

座禅をしたりもしています。

人生の苦しみからの解放を求めて、

20年前から、瞑想や精神世界の勉強を始めました。

ありとあらゆる本や瞑想、教え、

ワークショップをあさって、

本当の幸せ、本当の自由を求めて、探してきました。

差取り塾に入る前の私は、瞑想や教えにより、

前に比べると、

少し、楽になっている感じはありましたが、

感情を揺さぶられるような出来事があると、

また、絶望感、孤独感、悲壮感に浸っていました。



「本当の幸せ、自由、悟り、解脱は

頭では、理解できるけれど、それを私が実際に経験して、

到達できるかどうかはわからない、

でも、もうこれ以上は探しても無駄なのだ。」

とあきらめていたところに、

友達の紹介で、明人さんと「差取り塾」とに出会いました。



一番最初に、明人さんの Youtube の動画を見て、

何か深く感じるものがありました。



そして、明人さんと個人セッションで3回お話して、

明人さんの言葉から「はっ」と気づくことが、

何回かありました。

そして、もっと、明人さんから学びたいと思い、

入塾することにしました。



今、差取り塾で、明人さんと仲間たちと

心の勉強をして1年半になりますが、

私は 一歩一歩、心の成長のために

進むことができるようになってきたように感じています。



私を知ることで、私が変わり、成長して、

大きくなっていくなんて、

魔法のようですが、

今では、それが、

釈迦やイエスや道元禅師やラマナや他の賢人たちが

伝えようとしていた

「汝を知れ」、「己を知る」、「私が誰か」、

「私が道である」ことだと感じています。



明人さんに、アドバイスをしてもらい、

仲間とディスカッションを続けながら、

心の勉強をすることは、

今の私にとって、かけがえのないものです。



差取り塾で学んだおかげで、心が穏やかになり、

冷静に物事を見ることができ、

自然と仕事で成果が出たり、

人間関係がうまくいったり、

仕事や家庭の問題が解決したりしています。



私の友達は、私が変わっていき、軽くなっていくのを見て、

私が何をしているのか興味を持つようになりました。



そして、今はそのお友達も差取り塾で、

一緒に勉強しています。



毎日の勉強とディスカッションで仲間たちから学ぶことで、

私が、変わっていって、

どんどん生きるのが楽になっています。

私を知ることがこんなに楽しく面白いものだなんて

考えてもいませんでした。



差取り塾の心の学びは、誰にでもできるのですが、

頭で理解するものでは、ありません。



ハウツーではないし、何々法でもありません。

差取り塾は宗教ではないし、グルもいません。

だから、依存をつくりません。



ひとりひとりが、自分の足で、

立って歩んでいくことを学ぶところです。



でも、自転車の乗り方や、泳ぎを習うように、

実際にやってみないことには、始まりません。



もし、貴方が、素直な気持ちで、学ぶ姿勢があれば、

明人さんも差取り塾の仲間も一生懸命手取り足取り、

手伝ってくれるでしょう。



そして、きっと、差取り塾は、

あなたのためになるでしょう。



20年間の探索の経験から言うのですが、

私は、このような場所は、

「他にはない」と思っています。



もし、少しでも興味があれば、

ぜひ、Youtubeの画像、

『悟りへの道 明神さん スピリチュアルTV 2013/12/25』を

見てみてください。



あなたにいつか差取り塾のディスカッションで

出会えることを心から楽しみにしています。
2017/04/14 12:27 悟り TB(0) コメント(-)
例えば・・・・



地上から空を見上げた時、雲が空を覆っていれば空は見えないだろう。

心を静かにしてみた時、思考の雲は徐々に薄くなり空が見えるようになる。

そして澄み渡った物がだんだん見えるようになる。

一瞬の雲の切れ目から起きた体験は切れ目の消失とともに記憶へと変わる・・・

空を覆う雲が消失したとき、何が待っているだろうか。



消失で起こることは地上から見るそれに起こる。

それは起こるそれに名前を付ける。

名前を付けたときからそれは思考の世界から抜けだし、雲の彼方に消える。

雲


地上で見たそれはの中には僅かに気付く者がいる

それは空に起こったのではなく、地上で見ている私に起こったのだと。


多くの者が雲の向こうに見たモノに気をとられている中、ほんの僅かな者がそこから孤独な旅に出て行く。


2017/04/06 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
お伝えしていてたまに全く知らない人の意見を聞く機会があります。

そこで感じることは、文章や言葉の分析や判断に囚われて伝えたいことがほぼ伝わっていないということです。

伝わっていないどころか表面的な解釈により違った理解(誤解)を生んでいる事です。

最近人づてに聞いた話ですが、このブログを読んだ覚醒体験をした人がこのブログの解釈を行っているのですが独り相撲をしているようだと聞きました。

差取り塾では、導くことはできても連れて行くことはできません。その人の足で歩むと決めない限り道のりを進めないのです。

別の例えをするのなら進む道を指さすことはできても引っ張って連れて行くことは出来ないということです。

「のどの渇いていない牛に水を飲ませることはできない」というお話は多くの方が知っている事実です。

牛

そして、指している指をみてその事を解釈し、分析し思いをめぐらせ、批判や共感をしても指している指を観ているだけでしかありません。

のどの渇いていない牛は導かれて水辺に行くことはありません。のどが渇いていないので余裕なのです。

指先をみて解釈をしている暇も十分にあります。

私が指を指している先を見て、そちらに行ってみなければ何を言っているのは分かる機会は無いでしょう。

のどが渇いたときはじめて指を指す方向に歩いてみようとするかもしれません。

それが人間の苦しむ理由の一つでもあります。

指はどうでもいいのです。指した先を見ることをできるのが人です。

2017/02/23 18:18 悟り TB(0) コメント(-)
スポーツでも芸術でもプロとアマという線引きはあります。

それぞれの中身も色々です。

プロになれないアマもいれば、アマが抜けないプロもいるでしょう。

悟りにおいても一緒です。

しかし、困ったことに言った者勝ち。それっぽくしていればそれっぽく見えてそれっぽい人を好む人はそれっぽい人に集まり、それっぽく学びます。


その時にうっすらと支配している思考は「それっぽければよい」という安心感です。

それが大方アマチュアの思考です。

ですからアマチュアのままで終わります。

悟りにおいてアマチュアとは、悟りを開かない。もしくは開いたところで終わり。

くらいのところでしょうか。

今回のお話ししている部分については8割位の人が当てはまるところだと思います。

ですから後の2割については別の機会に・・・

そこで8割の人を本当の悟りに導く道を案内する事はあまり意味がありません。

分かっていると気分を悪くされるのがオチです。

本物の道を選ぶことができないのが8割

ですが悲しむことではありません。

道を選べないのではなく、選ぶ段階ではなくそこに続く道を歩んでいる(選んでいる)とも言えるわけです。

どんな道を歩もうが悟ったと勘違いしていようが悟ってその後道を外れていようがそれをとがめる必要などありません。

そういった段階ですし、悟りの勉強をしていても一生懸命やらない人が殆どでやっている気になっている人であふれています。


悟らなくてもよい

という話は

そんな中から生まれます。

なにをしてよいか明確に分からなければその隙間を埋めなければなりません。

隙間を埋める為にスピリチュアルや心理学、悟っているかもしれない人の話を聞いたり批評したり・・・


だいたいその辺に落ち着いていきます。

それってプロ野球中継を見ながら選手を批評するおじさんと一緒ではないでしょうか?

ゴルフの中継でも一緒です。


アマがプロの批評をするのが冷静に見れば面白いことなのですが・・・

アマはアマに教わりその気になります。

志高いアマはプロに教わるという選択をするかもしれません。

アマはアマの考え方から脱却できないのです。

できないというお話もまた一つの見方。

脱却するゲームを楽しんでいるのかもしれませんし、その部分を磨いているともとれますし、磨く必要があるとも言えます。

気がついた人から違和感と共にそこから離れていきます。
2017/02/09 21:09 悟り TB(0) コメント(-)
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