特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

お伝えしている事が何となくぼんやりしているのは、「これに効果があります」という事がないからかもしれません。

特定の何かに効果を発揮するような事ではなく、すべてにおいていつの間にかできるようになっていたり、変化しているのが自覚を続けた結果です。

結果をゴールとしないので、結果がどうなったかは最初からありません。

結果を想定しないので、結果が良くなったという判断基準もないのです。

ですから、「そういえば良くなっている」というゆるい認識になります。

それは、普段から痛くて仕方なかった人から痛みが消える事にも似ています。

痛みが消えたことは無自覚に生活していて、「そういえば痛くない」と気づくようなもので、痛くないと気づかないでいても、体の動きがスムースになりますし、そのおかげで物事もスムースにこなすことが自然にできるようになります。

そのような伝え方なので、学んでいるみなさんからは大きく変わったことでも緩く感じ、それほど喜びも伴いません。


いままで時間がかかっていた仕事が早く終わりすぎるくらい効率が上がる。なぜかわからないけど早く終わってしまう。

そのようなことを度々聞きます。

なぜかわからないけど、早く終わるんです。

それでいい良いです。

知らないうちに合理的な思考ができる人間に変わっているなら、仕事をして早く終わるのは自然なことです。

合理的な思考になっている事は本人には気づきにくい事です。

しかし、結果はハッキリわかります。

少し効率が上がっただけでは「今日はなんか早いな」くらいで流されます。

劇的に早くなったからこそ、気付かずにはいられませんし、その事についてお話する気になるのではないでしょうか。

変わっている事に自覚症状を覚えるまで大体半年以上はかかります。

それまでも症状は進んでいるのですが、本人に認識されるまではタイムラグがあります。

そういった事は経験を通して多くの方がご存知だと思います。


分かろうが分かるまいが症状は進んでいます。

そして自覚症状が出てきた時、やっていたことが正しかったと分かります。

それまでも、無自覚に結果はよくなっていきます。


意識の状態が健康になればなるほど思考は合理化されていきます。

しかし、判断をするのは顕在意識であり、個性に大きく影響される思考なので、気づくまでにはだいぶ時間がかかります。


多くの人が、何かしらのスキル(スポーツや芸術・仕事・子育て・・・・など総ての事)で正しいことをやって正しい道に進んでいるのに途中でやめてしまうのは顕在意識で判断を重視するからであり、起こっている事をハッキリ捉えられないからです。

その捉え方を元に判断を下すのはまた顕在的な意識です。

そういった仕組みから抜けないかぎり、合理的な行動はできないまま時は過ぎていきます。

どうあがいてもできないような体制を整えてから、結果を出そうとしている事に気づかないといけません。

それを知る事は大切なことのように思いますが、なかなかこの価値を分かってくださる方は稀です。


企業のトップや、人材を育てる方が知ってくださるなら結果は大きく変わります。

おかあさんやおとうさんが知るなら、子供が大きく伸びていきます。

芸術家が知るなら作品に大きく影響し深みを増すでしょうし、アスリートが知るならできなかったテクニックを比較的楽にに習得できるようになるように思います。

自然にできる器になっているので、そこに何をのせるかは個性により様々です。

個性によって表れる結果が違うので、何かに効果があるとはハッキリ言えませんが、どれだけ有効かは感じていただけたでしょうか。

あなた自身のポテンシャルをあげる。

即ち、器を広げておくことで、どんなことをやっても器にのる分はうまくいくことになるのです。

器が大きい小さいと言いますが、本人がその気になれば広げられるのです。

今までそういった事が天性のもので変えられないという認識がありましたが、それは今、違うのです。
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2018/06/21 10:39 悟り TB(0) コメント(-)
仏教の事やヨガ哲学、聖書、または心理学や哲学など、勉強されている方はたくさんいらっしゃると思います。

その中で、難解で分かりにくい事はかなりあるのではないでしょうか。

そういった事をクリアにするためにグループセッションにいらっしゃいませんか。

専門用語はわかりませんが、何を意味するのかは大体こたえられると思いますし、どのような意図からそれが書かれているかという事もお伝え出来ます。

本を片手に本当に知りたいことを質問してみてください。

引っ掛かっていたことがクリアになり、スッキリと進めるようになると思います。


悩みや、仕事上の事、家族の事、そういったお話質問してみてください。

思いもしなかった解決法や見方がお伝えできると思います。


そういった事は修練次第で誰でもできるようになります。


私がお伝えしている事は、哲学を勉強することではなく、知っている状態になっていて、それに触れた時にはすでに知っている事を知るだけだという事なのです。

膨大な文献を紐解く事ではなく、すでに知っている状態にあるならこれほど楽な事はありません。

本を開くのは知っているという確認作業になるからです。


それがどういう事かわかるでしょうか。

超能力でも何でもありません。

誰にでも備わっている事なのです。


生きているうえで、なぜだか分からないけど違和感を感じることが誰にでもあると思います。

それは知っている証拠なのです。

取引先の営業に違和感を感じていて、それがハッキリわからなかったけど、取引しているうちにトラブルが発生し違和感と繋がる事もめずらしいことではありません。


表の顔と裏の顔が違う人に違和感を覚える事、そして、嘘をいつの間にか見抜いている事も珍しいことではありません。


それを直感で方付けてはいけません。

理論的になぜそういった事が起こるのか分かってくるなら、生き方もハッキリして「私」自身が知っている事を実感し、物事もスムースに運ぶことができるようになります。


あなたの中にあるブラックボックスは知恵に満ちた素晴らしいものなのですが、それを100%使えている人はいません。

それを100%に近づければ近づけるほど、最初から知っている事が増えるのです。

すると総ての事は知っているという確認作業にしかならなくなります。

潜在的な能力と顕在的な能力の差を無くしていくことは、想像もつかない様な変化をもたらします。


グループセッションは毎月第一日曜日に行っています。

申し込みされる方は

こちらから(画面が切り替わります)

お申し込みください。
2018/06/20 11:11 悟り TB(0) コメント(-)
人間は、個人的な真実から抜けることが困難なのかもしれません。

真実は個人的な真実であり、その瞬間の真実でしかない事は何度か書いてきました。

それでも、真実に対して何の疑いもなく行動を続けているうちは地獄から抜け出すことはできません。

互いの主張は互いの真実のぶつかり合いです。

なぜ、真実がぶつかるのでしょうか。

真っ向から違う主張を続けている人を見る機会は少なくありません。

真実は立場で変わりますし、人間の都合で変わります。

そういった真実で生きていくなら苦しみを味わうことになっていきます。


社会においてもそうです。

会社の都合による真実が沢山あると思います。

会社が成長しなければいけないという思い込み。

前年比に上乗せできるように計画を立て運営されます。

前年を上回ろうとする時、誰かの考え次第でその方法は策定されます。

誰かの考えとは、個人のモラルが大きく影響するとも言えます。

人を大切にできない人が計画をつくるなら、それに準ずる計画になります。

話がぼやけてきそうですが・・・・

人を大切にしない人の真実とは何だと思いますか。

上のケースで考えつなら、人よりお金の方が大切だという事ですし、自分の利益が大切だという事でもあるかもしれません。

それを価値観とも言いますが、そこを吟味することはまた主張と葛藤を生み出します。

ただそうであること。

そこに向き合ってみないかぎり先は見えません。

大阪で地震が起こりました。

Twitterの急上昇ワードに「人工地震」というワードが上がってきました。

それをのぞいてみると、「人工地震」と言っている人に対して馬鹿にしたりあるはずがないと言っている人もいれば、「人工地震」だという主張をする人もいます。

それを外から見ながら馬鹿にするならそれも、その人の価値観からそうしているという事です。


人の真実を変えることはとても難しい事です。

信じきっている人は動きません。

その人にとっての真実が溶けるまでとどまり続けます。

真実とは何でしょうか。

そして、自分が真実だと思う事は未来永劫真実なのでしょうか。

その様に自分自身に質問することから何かが動き始めます。


悪い政治家が悪いことをする。

悪いというのも真実なのか。

そして、その政治家の行為は、必然性があるからその行動を起こします。

必然性が価値観から起こるのが、人間特有の行動です。


さらに言うなら、価値観とは個人的な思い込みです。

個人的な思い込みで必然性があるように思う(思い込む)

いくら経っても思い込みから自由になる事はありません。


「私は大丈夫だ」と思い込むことも自由です。

しかし、それは真実なのでしょうか。


思い込みでいくらでも真実はつくる事ができます。

そういった真実が年齢とともに重なると、脱出はますます困難になります。

真実という定義さえ、長々と書かないといけないのかもしれません。

真実はその言葉が使われる時で意味が違うようです。


一般的に使われている真実とは、表面的で儚いものなのです。

そういった事が分かってきた時、持論を正しいと思って主張することがいかに恥ずかしい事か気づくかもしれません。

持論の主張を自分自身に許しているなら、このお話も主張と区別はつかないでしょう。
2018/06/19 01:10 悟り TB(0) コメント(-)
自覚を始める事も順調にいくことは難しいのですが、自覚を始めて、自覚がうまくいくようになると自覚自体がアップデートされるようになります。

概念が全く逆になることもありますし、それによって思考での判断がつかなくなり、肯定的な事も「私」を苦しめる事のように感じる方もいらっしゃいます。

進んでいるのに進んだがために迷う事も珍しくありません。

初めての土地に行った時迷いやすい事と一緒です。


わかった気になって、そういった事に蓋をする事も可能ですが、それでは自覚から離れていきます。

もし、自覚をしていてずっと同じようにできるのなら、停滞しているからなのかもしれません。


自覚を続けていて1年経っても同じような自覚をしているなら、それは自覚ではない可能性がかなり高くなります。

差取り塾の人を見ていると、自覚を一生懸命している事は確かですが、同じ自覚を変わりなく続けている方は皆無です。

観点が大きく変わって、相談される方がよくいらっしゃいます。

私自身も、観点が大きく変わる事は何度も経験していますし、真逆とも感じるような変化も繰り返してきました。

公開してそれを読んだ人が一人でできる事にこしたことはなく、それができるのなら公開することに迷いはありません。

受け取る人にしっかりお伝えすることができるかというと、今のところ不可能で、その状態で公開するという事は不誠実なように思います。

自覚とは、「私を観る」という以外に、自分がどうしてその行為をしているのか、それを行おうとするのか、などを知っている状態を保ちつづける事でもあります。

それは仕事においてもエラーを減らし、効率的で合理的な行動に自然に変わっていきます。

自覚を通して、ぼんやりした行動が無くなるなら、やっている事がハッキリしてきます。

ハッキリしてくるとエラーを起こす前に対処できるようになります。

スポーツにおいても、すべてのことがハッキリしてくるならエラーの起こしようはありませんし、それを知っている事で、エラーを減らすことに繋がります。

そういった感性が考えに流されることによってとても鈍くなってしまいます。

それが結果に繋がらない大きな要因でもあります。

2018/06/17 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
今日は東京駅周辺でグループセッションを行いました。

内容は自覚について。

あくまでも、自覚の方法ではありません。

どの様な自覚が、どのようになっているのか。

そういったお話をしました。

私を観るという事が、どういった現象を起こしていて、どの様に作用しているか。

私を観ると一言言っても、捉え方は様々で、思い込みによる勘違いや、言葉として伝わる時の相違など、「私を観る」という一言でさえ伝えることが難しいことがお伝え出来たらと思います。

また、補足ですが、人間はどうしてもやり方が先行してしまう傾向にあります。

その度に修正していけることが好ましい事ですし、進捗が滞らないように続けられることが結果的に早く楽になり、理解が進みます。

自覚のやり方を公開したくても公開できないのは誤解を生みやすいからであり、無責任に思うからでもあります。

自覚とは「私を観る」事ですが、このように書いた場合、「私」とは何なのか「観る」という事はどういう事なのかという疑問がわいてきます。

しかし、それこそが言葉で語れない部分であり、雲をつかむような話なのです。

それが、「私を観る」と説明された時何かわかった気になるのは不思議なことです。

「私を観る」とまとまると、一つの行為を表してますが、分解するとどちらもとても抽象的な言葉なのです。

それをどうお伝えするかが大切で、一人ひとり大きく違うところでもあることから、ひとまとめで説明をすることは不可能であり、最も効率的な伝え方は、一人ひとりその時その時適切な言葉でお伝えすることだと考えています。


これだけ意識の成長にとって効率的なものですが、90%以上の方が間違えたやり方を掴んでしまっています。

正しいやり方があるのかと言えば、ありますがここに書いて説明することは不可能です。

正しいやり方が分かったとしても、だんだんズレてきます。

それは人間のエゴがそうさせるのです。

知らないうちに都合で自覚をするようになり、大きくずれている事は珍しいことではありませんしほとんどの方がそうなります。

そういった事をすべてクリアするために差取り塾を続けているわけですが、一人でやっていて迷走を続けている人はもったいないように感じます。

「私を観る」これが的確にできたら悟り、すべてにおいて物事が肯定的な事に変わります。

それくらい難しい事ですが、言葉に騙されてできるような気になってしまいます。

「私」「観る」を一人で知るのは至難の業なのです。

2018/06/16 22:31 悟り TB(0) コメント(-)
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