そのまま「観る」という科学
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

先日、悟りと目覚めの違いを書きましたが、違うことを言っている方を責めたり糾弾するためのものではありません。

今回書いたことで半年後にはかなりそれらを取り巻く状況が変わっている事になります。

他の記事も書くことによって、ブログを読んでいない方にも影響が及んでいる事になります。

そういった事を意識していると、まるでこのブログを読んだのかとおもうような場面に出会うようになるでしょう。


過ちをなおそうとすることは、自分自身にだけ行うべきです。

他者に対してそれを行うという事は、自分自身を失っていく事になります。


しかし、世の中には過ちを正そうとする方が沢山いらっしゃいます。

そのような葛藤が必要な時期もこの地球上にはあります。

そのことを通して、学ぶべきことがあります。

不正を正す事について、あまり生産性を感じません。

不正を何とかしようとすることが不毛に見えるからです。

不正は、不正を在るようにする心から出てきます。

その心の持ち主である人間が変わらないかぎり不正は無くなりません。

不正はその人間の産物であり、いくらでも無限に作り出されます。


私からすると、地元の腹黒い人間と、日本の政治を動かす腹黒い人間の仕組みは同じです。

同じ考え方をして同じような行動をとります。


その「同じ」を見ていった時、人間が何を大切にするべきなのかという事がわかってきます。

近所のおじさんでも、政治家でも、意識の成熟なくしては考え方や行動は変わりません。


物事を良い悪いで判断しているうちはそれを見通すことはできません。


そうはいっても、私も腹黒い人間には怒りを持っていました。

だからこそ、本気で何とかしてみようとしましたし、最も合理的な方法を探しました。

探した結果、「自覚」にたどり着いたのです。


世の中もしくは他者を変えるという事をやるためには、まず自分が変わらなければいけませんでした。

それをしているうちに、変えようとしている私自身がどの様な認識をしていて、どのような思考をしているのかがハッキリわかるようになります。

すると、そこに矛盾や不合理が浮かび上がってくる事になります。

その不合理が無くなればなくなるほど、さらに見えてくるものがあります。

その結果、最も早く世界や人を変える方法は、一人ひとりわかる者からわかっていくという事でした。

それは今でも伝えるという事を通して続けています。

そして、表現していく事。

それは意外にパワフルな事だという事を表現しているうちに経験的に理解するようになりました。

不正を放っておくという話ではありません。

それがあなたが今やるべきことなのかという事です。

都合に絡めとられる人間がいて、その不正に怒りを感じる人間がいて、成り立っている。

そうしながらわずかな意識の進化を起こします。


その進化があるところまで来ると、一気に加速する時期があります。

すると人間は内側に向かい始めます。


不正を糾弾するという事は意識が外側に向くという事であり、進化のスピードは極端に遅くなります

しかし、その経験は次の進化に活かされることになります。

糾弾すること自体に意味はなく、進化していく為の触媒と言えます。

それと同じで、人間のまま良い社会をつくろうとすることにも意味はありません。


人間がつくる社会は必ずひずみが生じるからです。


今最も大切な事は、人間から人になる事です。

この移行が遅れると、人類は破滅することになります。


それが計画されているのは3~4年後と聞いいます。

激動の時代を迎えている中、人類の進化は促され続けています。

それでも、自分を守る事ばかり考える人間は多くいて、恐れを大きくするばかりです。

計画とは、宇宙連合とかそういった類のものではなく、オリンピック延期(中止)や今回の騒動を動かしている勢力の話です。

綿密に練られた計画は、日本人に変化の最先端を求めています。

しかし、その道のりは末法の時代とも相まって、前途多難な状況にあります。


目覚めても、人間のままです。

人になるにはその先に進まなければなりません。

今私は、線引きがどこになるのかという事を探っています。

どこまで、意識を高めれば世界はつぶれないのか・・・・・・


話は少し逸れますが、悟りは個人的な事です。

しかし、深い悟りを得たのなら、地球という遊園地から卒業できることになります。

そうなると、これから世界はどうなっていくのかという事は関係ありません。

死んで、地球に生まれてくる事は無くなります。

これからどうなろうがそれだけは確定します。



さて、目覚めた人間が傲慢になることなくさらなる進化を続ける事は大切な事です。

それとは別に、進化しやすい環境が整っていくということはどういう事かというお話は以前書きました。

意識の進化に対して、苦しみを味わうという事は必ずしも必要な事ではないというお話でした。

しかし、苦しみが進化する原動力になる事も確かです。

今の社会では、苦しみがない限り人間が変わろうとする事は稀です。

しかし、これからの時代は、誰でも生きるという事が進化に繋がっていくべきだと考えています。

それにはどうしたらよいかという事も答えがあります。

個人の深い悟りは、その準備であり理想の社会を形成するためには必要不可欠です。


目覚めの段階ではまだまだ現象に影響されます。

それを超えた時、天国の様な神様が住人の様な社会が出来上がっています。


しかし、私はその理想を前面に出すことはありませんし、その理想を実現しようとする運動はしません。

そういった運動は宗教家や政治家に任せます。

そんなことをしてもただ遠回りなだけです。

変わる意思を持った一人ひとりが進化していく事が最も早く確実な方法なのです。

理想は描くものではなく、主張するものでもありません。

人間が人になった時、理想を超えた理想を生きているのですから。

2020/08/04 08:27 差取り TB(0) コメント(0)
タイトルは少しマイルドに書きましたが、これは全く違います。

なぜこのような事を書くかというと、昨日塾生の方と話していて只管打坐とワンネス体験の区別ができないアマゾンレビューを見ていて、「末法」と言う言葉がインスピレーションとして入って来たことから、書くことにしました。

そもそも、末法という言葉の意味を私は知りません・・・・・・そこで、調べてみると・・・・・

ウィキペディアから抜粋

末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことである[1]。


という事だそうです。

私が感じている事とほぼ一緒です。

それらしい勉強をした方が、いかにもわかっているように語っているところを見ていると、末法と言う言葉がちょうど当てはまります。



ワンネス・一瞥体験・目覚め

世の中で語られるお話は殆どがこれです。

簡単に書くと、自分のいる境地より一つ上の次元からの認知を得た時、強烈な経験をします

あくまでも概念ですが、4次元の意識で5次元のエネルギーを浴びたら、それは強烈に感じる事になります。

そうした強烈な感覚に本人は陶酔するかもしれませんし、感動するかも知れません。

例えるなら、目の前にUFOが現れた時に似ています。


悟り

これも概念ですが、自分のいる境地が5次元で、5次元を生きている状態です。

5次元に限らず、体験している次元が自分と同じ次元で起こっているという事。

例えるなら、UFOに乗って操縦している状態です。



とても簡単に書いてしまいましたが・・・・・・

UFOと遭遇した方と、UFOに乗っている方の違い

位違います。

しかし、それほどの違いがあっても人間はそれを区別できません。


人間の観点からすれば、UFOに接近遭遇したという事は「すごい」という事になります。

それは十分にわかります。


しかし、UFOに乗っている方からすると・・・・・・・・


座禅でワンネスが体験できる・・・・・

道元禅師がガッカリしている姿が思い浮かびます。

それ程人間はわからないで傲慢になっているという事です。

欧米で悟っている方はほぼいません。

せいぜい目覚めです。

名誉のために書かないといけない事ですが、悟っているのはエックハルトトール(くらい)だと師匠が言っていた記憶があります。しかし、浅い悟りです。

目覚めと悟りをしっかり区別できるようになり、日本人の本質が目覚める事をを欧米の方のお話によって阻害している事に気付かなければいけません。

それほど遠くない未来において、それは常識になっていくでしょう。

100年以内にはそうなります。


人間は、刺激を通してしか人間自身を確認できません。

人は自分自身の在り方を知り、それだけで満ちて生きる事ができます。


100年以内にとは書きましたが、それはこれからの日本人次第です。


私はあまり詳しくはありませんが、座禅中にセンセーショナルな体験があったらそれを殺すというようなお話があったと思いますが、ワンネス体験や一瞥体験も、悟りに至ろうとした時そういった事と同じだという事です。

仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ

というお話です。


ここでこういったことを書くことが、ある個人の気持ちを逆なですることになるかもしれませんが、なるべく多くの方々が正しい理解をする事で、日本人また、人類の意識が進歩していく事を願っています。

そういった流れができた時、逆撫でされたかたも、すんなり、もしくは苦渋の決断で受け入れられる世の中になっています。


ワンネスや、一瞥を体験された方は、その後師匠につくという事をあまりしないように思います。

しかし、差取り塾にはそのような方々も何人かいます。

体験した時、傲慢になるか、真摯になるかはその方次第であり、意識の成熟度の違いでもあります。

これが意味するところは、意識の成熟度が体験を起こすわけではないという事です。


このように分けることができるようになると、ノンデュアリティは目覚めまでの勉強としては悪くはありませんが、それ以降は足かせになるという事がわかります。

それはヨガも一緒です。

今、人類は目覚めの段階に差し掛かっていて、悟りは次の段階にあたります。

目覚めた時、傲慢にならなければその後悟りに向かう事になります。


差取り塾で私はあまりこのような話はしませんし、聞かれなければ出てこない話です。

塾生においては、各々自覚しているとこういった事を自然に理解しているようです。

私がしているのは自然に理解している事を言葉で補うだけです。

また、良いものがあったら私に紹介してくださるようにお願いもしています。

私自身、深く悟った人を探しています。

そういった方がいらっしゃるなら、私も勉強させていただきたいと思っているからです。


そう考える中、探してみてもなかなか見つからないのが現実であり、勘違いした悟りばかりという事に危機感を感じています。

これを読んでいる方も、悟りと目覚めの区別がつかない方が多いと思いますが、今回の記事を読んで理解に繋がれば書いた甲斐があります。

前回の記事

目覚めと悟りの違い

と併せて読んでいただくとさらに深く理解できるかもしれません。

目からうろこ落ちたら、世の中で勘違いされている悟りのお話に違和感を感じ、さらにはその違いをはっきり分かるようになっていく可能性があります。

知ったかぶりは格好悪い・・・私にはそう見えるのです。

2020/08/03 13:40 差取り TB(0) コメント(0)
今日は意識の進化について概要を書いていておきたいと思います。

意識の進化は突然起こるものではありません。

大きく変化したと感じることがあるのは、無意識、潜在意識において準備ができた状態を突然顕在意識で理解することで起きます。

気付きとは、それを小さくしたものです。

意識の進化を続けるという事は絶えず潜在意識を広げていくような概念です。

※概念ですから、正確にそれを表しているわけではない事をお断りしておきます。

人間はどうしても、3次元的にものを考えます。

ですから、広がると言うと空間をイメージしてしまいます。

空間や時間を超えた理解をできるようになるにはそれなりの意識の成長が必要です。

そうなってから理解できることは空間と時間に制限されている時とは比べ物にならないほどです。


さて、進化とは次の段階に移る事でもあります。

この事はとても重要です。

次の段階に移るには、その手前にいないといけないからです。

例えば、書道には級や段があります。

修練し続けている方が次の段に進むことと、修練から離れた方が次の段に進もうとすることと一緒です。


意識の進化もこれと同じです。

人間は、日々の事に気をとられて生きています。

それは意識の成長から離れている事になります。

昔書道で3段まで行ったことがある方が、10年のブランクを経て準4段をとろうとした時、とても苦労することになります。

人間として生まれ、意識の成長に無頓着である期間が長ければ長いほど次の段階の手前まで行く事すら難しくなります。


今の社会はそういった方々が殆どです。

何かしらのショックや、大きな事が起こらないかぎり意識に目が向くことはないでしょう。

そういった意味では2020年からは肯定的に作用することが沢山起こっていると言ってもいいのかもしれません。

それでも気づかないなら、ただ悪い事が立て続けに起こっているようにしか見えませんし、苦しみは増すばかりでしょう。


これからますます人間の都合に反することが起きていきます。

しかし、人の観点から見ると、それは肯定的な現象に映ります。


進化していくか留まるかは本人次第です。

誰もそれをせかしたりはしません。

自分の意思で決める事ができます。


脅されてやるにしても、自分の意思であることには変わりありません。


さて、話を本題に近づけていきます。

意識の進化は実はありません。

便宜的に、概念的にそう書いているだけです。

進化するという見え方は人間独特の捉え方です。

自分自身の偉大さを知っていく事が進化という形に見えるという事ですが、こう書くと更なる誤解を招きそうです。

では、自分を偉大だと知っていればいいんだと考えて、それだけで終わる人間が多くいる事を知っているからです。

最初から、進化と言っておいた方がそういった可能性は無くなります。

しかし、さらに進化(笑)していく為には、いちいち説明しているわけにもいかないのです。

これが言葉に限界を感じるところでもあります。


もう少し表現を変えてみましょう。

進化とは・・・・・

個として、意識にどれほど精通しているか・・・・・という度合いをあげていく事。

時間と空間の概念から抜け出ていない場合、これが最も伝わりやすい言葉のように思います。

それを絶え間なく続けていく為には先ほど書いたように何かに気をとられて休んでいる事がそれを留める事になります。

留まる事は自由に決められますから、良いも悪いもありません。


他の表現もあります。

しかし、それらの表現は、人間の都合で浅い理解に終わる可能性が高いので書きたくても書けません。

意識が幼ければ幼いほど自分の都合に負けてしまいます。

都合を降ろせば降ろすほど理解の範囲は広がっていきます。

だからと言って、無理やり都合を降ろそうとするのはあなたの都合なのです。


執着を無くしたと言っている方が執着から自由になっている事はあまりありません。

未知の執着が現れればそれに悩まされることになるのです。

そのような事は主張するものではありません。

それは個人の概念にすぎないのですから。


出来れは進化し続けていくという事が、最も労力を使わない方法なのですが、なかなかそうもいかないのかもしれません。

進化し続けていく為に最も大切な事は既に書きました。


さらに細かくお伝えしたいことがあるのですが文章ではなかなか難しく、今回まだ書けていません。

進化が進めば進むほど、人間の観点から離れれば離れるほど、進化しつづける事は困難になっていきます。

肉体を持ったまま意識を進化させることは肉体の引力で足かせをしているようなものだからです。


ひとつ、大切な事を書いて今回は終わりにしたいと思います。

とても難しいかもしれませんが、最速で進化することに欠かせない事は、いつでも自分史上最高の境地でいつづける事です。

それは、簡単にいうと、いつでも何事にもどんな人にも善処して向き合うという事です。

こう書くと、とても普通の話に感じると思いますが、このプロセスでいつも一般的な話にしてからここに書いています。


途中とても難しく感じてくださったら幸いです。

最後で、誰にでもわかるように表現するとこうなるという事をわかっていただけるからです。

いつでも最大限向き合って生きる

その言葉を捉える時、一人ひとりがどこまで深くとらえているのか。自分自身がどこまで感じているのか。

今回はそこに着目してもらうと、私が普段簡単な言葉で書いてはいますがその奥を捉える感覚が芽生えてくるかもしれません。

芽生えるという表現もまた・・・・・・・、、、、、、......

今日はここまでです。
2020/07/30 07:13 差取り TB(0) コメント(0)
多くの方が瞑想を実践していますが、そもそも瞑想とは何なのか。何を以って瞑想と言っているのかわかっている方はいないように思います。

シンプルであるその答えをここに書くことはしません。

時期を見て書くかもしれません。

その内容は瞑想の概念を大きく変える事になるかもしれませんが、浅い段階でそれを聞くと極浅い理解に終わります。


どんな事でもそうですが、その方の段階によって理解出来る深さと範囲が決まります。


瞑想もその時に適切な瞑想があります。

人間の瞑想があり、人の瞑想があります。

それは

目覚めの瞑想と悟りの瞑想

とも言えます。

しかし、多くの場合目覚めの瞑想でめざめてもその瞑想を続けるのではないでしょうか。

私はある程度の瞑想の経験はありますがそれほど一般的に広まっているような瞑想をしたことがありません。

それでも、見性する前は瞑想で遠く離れた家の時計が鳴る音が聞こえるような体験などの五感が常識を超えて働くような経験をしたことがあります。

それも今となってみればどうでも良い事です。


ある程度の境地に至った時、今、差取り塾で行っている瞑想をお勧めするようになりました。

始めは、一般的に広まっている様々な瞑想と違っていたので、「瞑想のようなもの」と表現していました。

最近ではその様な表現はしないのですが、それはなぜでしょうか。

こういった事は塾内ではお話しません。

ですから、これを読んで塾の方々が「そうだったのか」と確認することになります。


人間と人

目覚めと悟り

そういった区別を曖昧にしていると、様々な事で整合性が取れない事があります。

今行っている瞑想も、答えから言うと、人間の瞑想とは一線を画した瞑想であったため、人間の瞑想からすると「瞑想みたいなもの」という表現が正しかったと言えます。

しかし、人間と人を分けてみると瞑想の整合性がとれることになります。

整合性を在るようにしている「それ」が今回書かない答えです。


ブラックボックスであっても多くの方が瞑想をしています。

それらはほぼすべて人間の為の瞑想であり、人間が目覚めるまでの瞑想です。

巷で確認できる瞑想はすべてそれだと思っていただいて構いません。


人の瞑想が巷にあっても意味がありませんし、誰も見向きをしないからです。



だれも見向きもしないような瞑想を私はし続けています。

そして、それを伝えています。

最近は伝える事を任せるようにしていますが・・・・



最近思うのは、悟りはそれほど簡単ではないという事であり、私が進めば進むほど師匠がどれ程の尽力をしてくれたのかという事を思い知ります。

この世で多く語られている悟りは昨日書いたように目覚めです。

しっかり分けていないと人間は目覚めても自分を迷いに追い込んでいく事になります。



一人でも多く、正しい認識をもつことを願って書いています。

非難の気持ちで書いているわけではありません。



さて、話は少し逸れます。

私は普段自覚を伝えているわけですが、自覚で小さな悟りつまり、見性に至る事はできます。

しかし、大悟の境地に至るためには自覚だけではとても苦労を伴います。

10年自覚しても、大悟に至る方は1000人に一人いるかいないか位です。


私は自覚でそこに至る事になりますが、それは大変な事でした。

自分で歩んだからこそ、これは誰にでも向いている手法ではない事を知りました。

では、どのように大悟の境地に至る事が最も優しいか寝ても覚めても自覚し続けました。

その時、そこに在ったのが今行っている人の瞑想です。

その瞑想の甲斐もあって、そこに至る方が出るようになりました。


その方々はする瞑想と、それ以前の方がする瞑想のようなものは明らかに違うのですが、一本の道で繋がるようにお伝えしています。

差取り塾で行っている瞑想ができた経緯を書きましたが、面白かったでしょうか。

自覚は究極に至る唯一という囚われがあったらできなかった瞑想です。

ここで少しネタばらしを・・・・・・

と思いましたが、今、瞑想と自覚をされている方にとって良い影響がないのでそれは行ないという、事になりました。

ネタばらしというのは、何か仕掛けがあるわけではなく、理を紐解いたらこうなるというお話です。

それは秘密にしているわけではなく、隠れることなく、隠すことなく表れていて一定の境地を超えれば誰にでも分かるかる事なのです。

それを前もって教えたら毒になるという意味です。


そういった事を多くの方が知り、私がいなくなったとしても、消えていかない事を願っています。

瞑想の仕組みは、大悟をはるかに超えてみれは普通にわかる事ですし、その時にわかれば十分です。



これから人間が迎える困難と、人が迎える安寧

そのボーダーラインになるところはどこでしょうか。

それは考える方の観点によって違うのです。

ですから、それを探さないでください。

探す事よりも、目覚めて悟っていく事に邁進してください。

悟らなくてもいい、目覚めなくても目覚めているという言葉を信じてはいけません。

それは悪魔のささやきです。


目覚めて、悟って、真実を自分で確かめてください。

私はそこまで案内することが目的なので、私にとって嘘はご法度なのです。

至った時に嘘はばれます。


悟りを簡単に語る方の言葉を信じないでください。

悟りに至る時間や苦労は人それぞれですが、悟りを言葉で語りつくすことはできませんし、人間の観点では知る事ができないのです。

という事は、目覚めた観点からも悟りを理解できないという事でもあります。



目覚めた段階で、目覚める為の瞑想から卒業するべきですがそれを教えてくれる先生はいません。

それがとても不幸な事です。


人間の瞑想は現象の中であり、共鳴も現象です。

共鳴は考えであり、考えと考えが一致を見せる時共鳴が起こります。

それで目覚める事はあっても悟ることは難しいと考えてください。

共鳴はダイナミックな感覚を起こすかもしれませんが、それも現象のうちなのです。


尊敬される聖人たちが行っていた瞑想をけなすつもりはありませんが、それらが人間用の瞑想だとしたらどうでしょうか。

今の人間は過去の人間より大分進化しています。

瞑想が古ければ古いほど、過去の人間のためにつくられたことになります。

それが合理性に則った考え方なのではないでしょうか。


私がお伝えしている瞑想は、最新の瞑想ではありません。

今までなかったかもしれませんが、それはこの世に現れていなかった、過去の人類には早すぎた太初からあった瞑想です。

私が考えた瞑想ではなく、そこに在る瞑想を表しただけということです。


差取り塾の皆さんはこれを保存しておいてください。

さらっと教えていましたが大変な生みの苦しみの末にお伝えしているのです。



今まで悟り以降の話は必要性にかける話であり、あまり語られることはありませんでしたし、語ってはいけないという話でもありました。

今でも、目覚める方は多くいても悟りに至る方はまだ少ない状態です。


悟り以降のプロセスに向き合う中、精度は大きく進化してきました。

これからも、目覚め、悟り、深めていく事は昔とは比べ物にならないほど精度を増していくでしょう。

それが必然に起こるようにする、瞑想もあるのです。



2020/07/28 07:09 差取り TB(0) コメント(0)
ここには、人間が難しくしている事をまとめて、シンプルにしてから書くようにしています。

どこかの有名な大学で出された研究結果などと見比べていただければそれが分かるのではないでしょうか。

同じことを学者がまとめようとすると、そこに在る普遍性より、主観が勝る傾向にあります。

すると、普遍性(物事を在るようにする共通のもの)から離れていく事となり、それが強いほど分離された枝葉を語る事になります。

それが物事を複雑化させ、細分化を生みます。


人間はその細分化されたことから学ぶため、物事のつながりを理解できません。


細分化されたそれらをつないで、もとに近づけば近づくほど物事はシンプルであり、そこに在る普遍性が見えてきます。

様々な現象を見た時、それを分析するという考え方は人間の考え方です。

それを在るようにする元を知っているのが人です。

(人間で言う)頭が良い方ほど、細分化された物事を一つひとつ理解する能力が高いといえます。

するとその能力に溺れる事になり、先日書いた積み上げ式の理論構築にそれなりの成果を見ています。

学者ではなくとも、勉強して何とかしようとする・・・・

例えば

心理学、哲学、その他の科学、宗教的な経典など

を勉強した→学問として取り込んだ

そういった捉え方をしていると、積み上げ式の理論構築に陥り、エラーが挟まっていると大きな理論の崩壊に繋がります。

偉大な研究成果を得る学者は違った観点で研究をします。

先に答えがあるという事

夢で見た・偶然そうなった・閃いた

など、積み上げ式ではなく、それを後から裏付けるという事を行う事が多く、実際にそういった事が顕著に起こっていないとしても、度々そのようなインスピレーションを感じているはずです。

それを形にする時、個性のフィルターを通して行われています。

このような話の研究結果も既に在るのかもしれませんが、あったとしても難しく書かれているように思いますがいかがでしょうか。


わかりやすく、シンプルに表現するためにはその大元をわかっている必要があります。

そして、その努力をする事です。


私が今日お伝えしたいことは、難しい事をシンプルにわかるように書いているというアピールではありません。

簡単にシンプルに読んだ方は、何の引っ掛かりもなくそれを受け取り、受け流すという事です。

最高のマグロをあなたに差し上げます。

あなたはどうしますか?

苦労して解体し、食べたなら、その美味しさは特別なものになるでしょう。

しかし、さばいて刺身にして出したらあなたはすんなり口に運びその美味しさを味わいます。

しばらくすると、「そういえばうまかった」位の感覚しか残りませんし、忘れるのも早いのではないでしょうか。

差取り塾においても、そうであり、とても大切な事をわかりやすい言葉で伝えるという事を何度も繰り返す事になります。

実は、この何度も繰り返すというプロセスがとても大切なのです。


簡単な言葉で、引っかからない、苦労を伴わないでしみこませ、その時にできる理解をして、余計な記憶を残さない・・・・・・

スポンジに水をかけるようなイメージです。

留まらないものは留まらない。

そんな自然な状態の中で深めていく事はとても大切な繰り返しなのです。

こういったやり方はとても手間がかかりますが、最も自然に(無理なく)、最も早く(引っかからないで)進んでいく事ができる極意です。

私からするととても大変で、同じことを何度も言わなければいけないのですが、会員の方々はそれになかなか気づいてくれません。

気付いた時、恐縮してくださるのですが、また同じことの繰り返しが始まります。(それが一番自然な方法なのですから)


先生はこれをその時に覚えさせようとする傾向にあります。

不自然な動きを強要しているわけですが、その弊害が大きく世の中に作用しているわけです。


本当に簡単に書かれているようでも、根源を知る事で細分化された世の中の問題は無くなっていくのです。

自覚を通して悟りを得るという事を人間が考えてはいけません。

悟った時、悟りが深まっていった時、世の中の全ての問題から自由になっています。

そして、消えていく。

消えている。

簡単な事ですが、人間が考えるなら、また複雑なお話になっていくのです。

なぜなら、細分化して考えるから・・・・です。


少なくとも私は細かい事から考える習慣はありません。

細分化されたそれがどこに繋がっているのか知り、そこから(それを俯瞰しながら)考え始めます。


世の中を大きく変えたい方にとっては必要不可欠な観点だと思いますが、その価値を感じる方が少なすぎます。

価値をわかる方が増えないかぎり同じことは繰り返されます。

今人類がやっている事はもぐらたたきゲームです。

それは需要と供給の関係でもあります。

叩きたい人間がいるから、叩かれる場面をつくって、気を逸らす。

そういった仕組みがいつまで続くか・・・・・・

政治が刷新されたとしても、争いの根源が立たれたわけではありません。

世の中を大きく変える事は政治を変える事ではありません。


この世の中でリーダーになっていく方はここにいらしてください。

必須の知見を得る事で最も合理的な表し方をできるようになります。


誤解のないように書いておきますが、差取り塾で得る知見、情報リテラシーは個人的に人間から人になるという事でもあります。

この世を卒業した時、次のステージを担保するものであり、この世の中を変えるという事はそれ程重要視することではありません。

しかし、この世の中を変える事で、多くの方が安寧の中で意識の成長を加速させる土壌が整う事も確かです。

一人ひとりの意識が進化していく事が私は最も大切だと考えていますから、それはそれで私の目的を達成させる大きな流れをつくる事になります。

できるだけ多くのリーダーやマスターを輩出する事がどのような世の中になるとしても変わらず続けていく事であり、世の中の動きが私の行動を変えさせる力にはなり得ません。

この一文で最も大切な事は、どんな影響も全く受けない行いだという事です。


変える必要がない行い(あくまでも選択でなない)を続けるという事は思考を通してはできません。

それを知るという事も情報リテラシーの一環であり、悟りに至るという事でもあります。

物事の普遍性を認知できる感性は人間が進化していくうえでなくてはならないものなのです。

そういった事を仏教では悟りといい、

キリスト教では神の国に入るといい

現代では究極の情報リテラシーと言えると思います。


人間が人として生きる時、変えようとすることなくすべての常識が変わっているのですから、世の中が変わるのも必然でしかありません。

このように軽く書くから流されやすいという事も含めて沢山の記事を書いています。

特別感を感じることなく、染み込ませていく事が腑に落ちるという事なのです。
2020/07/24 18:39 差取り TB(0) コメント(0)
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