特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

選挙で色々な情報が飛び交っていますが、私が思うにこの選挙で国が良くなることはあり得ません。

むしろ悪くなるための選挙であるように思います。

本当に国を良くしようとするなら政治に期待することを見直してみる必要があると思うのです。

同じような心持ちのまま何かを改善しようとしても、同じような結果をまねくという事を知らなければなりません。

いくら良い考えを主張しようがそれが実行されて行かないのはそういった事です。

政治を批判しようが、主張しようが今の世の中が大きく変わことはありません。

政治や国をつくっているのは理念やルールではないからです。

それに一人ひとりが気づくまで政治は国民を真綿で首を絞め続けるでしょう。

そろそろ、真綿で絞められていても苦しいと感じる人が増えてきたようにも思います。

そこで政治を批判するだけなら、何も変わりません。

一瞬良くなったように感じていても手を変え品を変えだれかの都合が通されていくだけです。

意見によって変わったと感じるのはつかの間の改善でしかない事を主張に明け暮れているなら気づくことはできません。

人間が都合で生き続ける限りは大きくは変わりません。

殆どの役人はほぼ都合の塊です。

自分を守るために必死に生きています。

そのような観点で仕事をしているという事を理解する必要があります。

ですから国民の非難を避けながら都合を通そうとします。

これは批判ではなく、それを理解したうえでどう生きるかが大切だということです。

そういった人たちに頼って生きる事を選択しているうちは何も変わりません。



政治に対して批判や主張を繰り返すという事は、政治に影響されて生きる事を選択しているのかもしれません。

政治に無関心でいるというお話でもありません。

関心を持つことは悪くありません。

それを通して、何を学ぶかが大切です。

何千年も政治が世の中をつくって来たようにも見えますがそうではありません。

どの様な政治が行われているかよりももっと重要なことがあるのです。

それに気づく過程で政治に関心を持つことも必要かもしれません。

一生懸命主張する時期も必要かもしれません。

しかしもっと大切なことがあり、それに気づいた人が増えた分だけ世の中は良くなっていくように思います。

色々なことに関心をもって生きるだけではいけません。

なぜそうなるのか根本の理解が欠如しているなら、なにもかわらないのです。

ブログではこのくらいの事しか書けませんが理解てくださる方は行動に移してみてください。

都合に生きる人間を変えることは至難の業です。

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2017/10/19 06:54 悟り TB(0) コメント(-)
人を救うことができるのは神のみ

その様な宗教があるとしたら、それは正しいと言えるでしょう。

人の心では人を救うことはできないからです。

人が人を救おうとする時、計算が入ります。

100%良心で救ってもです。

※誰かが命の危険にあっている時は救ってください。そこに計算の余地はありません。

そういった難しい事は置いておきましょう。


大切なことは人を救う生き方ではななく、人が救われる生き方

人を救おうとした時、方法によって行います。

その方法は人が考える方法です。


人が救われる時、方法は介在しません。

方法が介在しない時、神が垣間見え始めます。

その神に触れた時、人は救われます。

人の行いの中に神を見る時、それは人が輝きを放つときです。

そうした瞬間は、人の営みで度々起こっています。

起こそうとしないで起こしてる時、輝きが放たれます。

人の意識がそこに介在しない・・・


人の意識が介在しないそれを神と呼びます。

大切なことは、神を表わそうとすることではありません。

そして、人を救おうとすることでもありません。


人が救われる生き方とは、自分自身の輝きを放つ生き方です。

そういった人が増えたら、人類はますます変わっていくでしょう。


神とは便宜上の神。

「それ」を神と言います。

そこに意志や意図はありません。

普段から人はそれに触れていますし、知っているはずなのです。

それを明らかに知った人が目覚めた人と言われています。

何事にも真摯に取り組む姿勢の中に神は顕れます。

2017/10/02 23:53 悟り TB(0) コメント(-)
どうしたら独学で至るかというお話の続きです。

独学で勉強するようになると至った(と思われる)人の話を理解しようとします。

それは悪いことではないのですが、その話の通りになると思ってしまうのならそれは違います。

至った人であっても、その人の観点でモノを見て話しているからです。

それを理解しようとすること自体が実はばかばかしいという事なのです。

至った人が言っていることは至った人が考えていることを話しているだけです。

行ったことのない場所、例えば海を見たことがない人が海の話を聞いて理解しようとしているのと何も変わりません。

本当に分かるべきことは、海を想像上・空想上・・・妄想で理解することではありません。

妄想が始まった時、妄想だという事を自覚していれば妄想は自然におさまっていきます。

最初に大切なのは妄想に煩わされていることに気づくことです。

それが体で分かった時、自然に何かが起こり始めます。

それはそこまで至った人が知る事であり、そこまで至る前にそれを聞くことはまた妄想を増やすだけなのだと知ることが大切です。


さて、そこまで至った人は自然に起こる何かが分からなくて苦しむことが多いようです。

それを知るために多くの場合、長い旅に出ます。

何年も何十年もかけて探し続ける人もいます。

しかし、そこで何も見つけられないという事はあり得ません。

探す旅自体が修練だからです。

その修練は決して無駄ではありません。

求め続けそのまま死ぬことになったとしても、大切な何かへの理解は起こり始めているのです。

求めていたものがすぐに見つかったからと言って、それが幸運なことかといえばそうでもありません。

苦労して見つけた人は、大切にできますが、苦労しないで手に入れた人はそのありがたみを感じることができないからです。

どんな事であっても一生懸命取り組む人は時間を超越しています。

知らなくてもそれは起こっています。

悟りを得たいといって、生きている事をないがしろにしている人は時間を無駄に使っています。

差取り塾で大切にしていることは、悟ることではありません。

何事にも真正面に向き合い一生懸命取り組んでみるというとです。

すると、悟る必然ができるからです。

向き合う事ができない人がいくら勉強しても悟ることはありませんし、悟ったとしてもそれはその人の妄想です。

これは大人なら考えればわかることですね。

今日は独学でどう取り組んだら良いか書いてみましたが実践すればできるようになります。

何事にも向き合う事です。

勉強してたからと言って悟ることはできないのはそれが足りない可能性が高いという事です。

一生懸命生きた人はそれを学ぶ必要なく知っています。

しかし、向き合うという事が分からない人が多くいらっしゃいます。

そこをどうやって勉強するかは悟りの本にはあまり書かれていないようです。


さて、私が言う言葉を聞いてはいけません。

なぜなら、私が言う言葉をあなたは聞いていないからです。
2017/10/01 10:00 悟り TB(0) コメント(-)
本や動画ではなかなか分からないと普段言っていますが、それでも本や書籍で最大限効果を発揮する勉強をするとしたらどうしたらいいのか書いてみたいと思います。

少しでもヒントになればと思います。

すべてに通じる事ですが、色々な人が色々なことを言います。

例えば、イエスキリストとお釈迦様

言葉としては色々な解釈がありますが、指し示している方向は一緒です。

道元と空海

これも同じ

スポーツ理論もどんなことでも一緒です。

世界中に大きな宗教がいくつかありますが、教理の指し示す方向は同じです。

あまりにもエゴが介入しているモノについてはぼやけています。

自分の力で知りたければ、仏教だけでなく、キリスト教も深く知ってみると、共通する何かが分かるようになっていきます。

道元と空海を深く勉強すると共通するものが見えてきます。


たくさん本を読んでいる人の中にはそれに気づいている人もいらっしゃると思います。


たくさん勉強すれば分かる事ですが、それを邪魔するものが思考です。

思考は独自の個性を持ち、その個性で独自の判断を下します。

ここから先は脱線しますので別の機会にすることとします。

今日は自己流で何とかできるようになるお話です。

正直言って私は自己流だけでは無理でした。

初めて師と巡り合った時、師にはすでに悟っていると伝えられましたが、今振り返ってみるとそれなりの理解はありましたが、今から比べると雲泥の差です。

何が雲泥の差を創るかといえば、精度です。

おそらく今と比べるなら1/1000~1/10000位の精度です。

ですから、多めに見積もって、その精度に掛け算をして10倍すればそれなりの進捗を得られるのではないでしょうか。

努力で解決できない事はありません。

独りでやっていてもその努力を怠らなければいづれ精度も上がっていきます。

差取り塾の動画でもかなり参考になるはずです。


私は精度を追求してきました。

精度というのは、どうしたら進捗率をあげられるかという事です。

やり方は動画やブログでも紹介されているのでなんとなくわかると思います。

どうやってやるかが重要ではなく、結果にコミットしないと本末転倒です。

進捗率を上げる事。精度が大切です。

その精度を独学で学ぶのは大変かもしれませんができないことではありません。

実際私もその辺は独学です。

そこについては誰かに教わったわけではありませんが、師が教えてくれたことにすべて詰まっていたとも言えます。

今では悟るまでの時間は相当短縮されています。

その後のマスターコースの人が占める割合は9割以上で、さらなる勉強をされています。


表れを通して表しているモノを知る事ができるようになればそれらもおのずとわかるようになります。

表れは言葉でもあります。

言葉を理解することが重要ではなく、そこに在る表すようにする「それ」

そこに精通する者が結果にコミットできるのです。

ですから、それを意識して勉強されてみてください。

どんな勉強をするかが重要ではなく、共通して流れるモノを見通す力が大切です。

何かを理解しようとする欲求に惑わされてはいけません。

それば思考(マインド)の欲求です。

そこから自由になった時マスターの道を歩んでいます。
2017/09/27 21:52 悟り TB(0) コメント(-)
やればやるほど、知識を満たすようなことを書いてはいけないと思うようになりました。

未知の事を書くなら、それに対して想像=妄想を掻き立てます。

目新しいことを書いたらそういったエゴを引き寄せる結果にもなります。

地に足がついている人はそういったものは好まない傾向にあるようです。

ですから、益々地味になってきているようにも思うのですが、いかがでしょうか。

きらびやかな感じがするところとはどのようなところでしょうか

大きな要素の一つとしては、想像力を掻き立てるところではないでしょうか。

楽しさをもとめるなら、楽しい想像が掻き立てられるものがあったら、それに導かれるように進んでいくでしょう。

きらびやかな自分自身を求めるのならそういった事が想像できるところに進んでいくでしょう。

そして、得るものが想像以上であればそこに落ち着きますし、そうでなければそこから離れます。

想像=妄想を元に何かを求めつづける事、そして当たるか当たらないかはもはやギャンブルです。

ここで書いている事にそういったギャンブル的要素はありません。

到達するかしないか流動的なのに到達するとは書きません。

何かを成し得ようとする時、「何か」を追い求めるあまり大切なことを見逃してしまいます。

成し得るときにエゴ・思考の興味から自由でなければいけません。

この事は悟りに限ったことではないのです。

総て同じ仕組みです。

悟りに容易に至る人をみていると、社会生活においてある程度能力を発揮している事が分かってきました。

それでいてどこかで知っているからこそ、社会生活に没頭できないという事が起こりやすい傾向があります。

社会生活に没頭できないと言うことは社会から見たら(没頭していない人たちから見たら)少し変わって見えます。

仕事ぶりや振る舞いなどにそれは表れているかもしれません。

没頭できない人になにが起こっているかというと、エゴ・思考の主張に違和感を感じています。それは自分自身だけではなく他者のそれに対してもです。

その様な観点を持っているのなら、悟りを開くことは差取り塾で半年もやれば大体至ります。

その位意識の成長度が進んでいるともいえます。

そうではなくても、やると決めて腹を括った人は1年。なんだか分からないけど、のらりくらりと差取り塾で学んで2年。

そこにすべて共通する事は、エゴや思考よりも意識が高いところにあるという事です。

エゴや思考が高い場合はおそらく差取り塾には来ません。

先ほど書きましたが地味だからです。

刺激物が入っていない食べ物のようなモノです。

ジュースではなく、お茶(無農薬)若しくはミネラルウォーター

そんな風に考えていただければと思います。

ですから胃が疲れて調子悪くなったなら、遊びに来てみてください。

自然な食事とおいしい水・お茶を用意してお待ちしています。



2017/09/25 23:56 悟り TB(0) コメント(-)
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