特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

何もしていない時、焦りの様なものを感じることは度々あるのではないでしょうか。

その時何が起こっているか分かって行動している人は少ないように思いますが、分かったなら行動が明確になり、肯定的なことに繋がっていくように思います。

起こす原因はぞれぞれですが、起こる原因は同じです。

起こす原因を通して、起こる原因が分かるなら成長に繋がっていきます。


大切なのは焦りがなぜ起こるかという事ではなく、それを分かるためのプロセスを知る事ができる知恵を学ぶならどんな時でも自分自身で分かるようになれるという事です。

今回は「焦り」という事をを通してその練習です。

具体的な「焦り」と抽象的な「焦り」

おなじ「焦り」です。

共通することはなんでしょうか?

それを見つけてみてください。

それを見つける過程で、あなたは本質を知る練習をしていることになります。

具体的な焦りとは期日が迫っている事などで

抽象的な焦りとは漠然と焦りだけがある状態。

何だか分からないけど心地が悪いときを感じたことがある人は多いはずです。


なぜ漠然とした焦りがあるのかは原因を探らないでください。

あるものあるのですから。

そのあるものを通して知るべきことはそこに共通する何かです。

答えは言葉にすれば簡単にここに書けます。

しかし、大切なのは読んでいる方の意識の成長であり、知識の成長ではありません。

この答えを自分で見つけた時、あなたの意識は以前より必ず成長し、研ぎ澄まされています。

答えだけ知りたい方はネットで調べれば出ているかもしれません。

焦らずじっくりと取り組んでみてください。

その取り組みは必ずあなたを成長させます。

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2017/11/11 12:34 悟り TB(0) コメント(-)
差取り塾ではどの様に導いているのか、なんで早く進むのか書いてみたいと思います。

先ず、その人の意識がどの様になっているかを知ります。

意識の使い方の傾向を知りながら、その時の意識状態がどの様になっているかでお話の内容が出来ていきます。

意識の向け方、意識のあり方で大方表れの傾向は決まります。

それを見ることで表れていなくても(言葉にしなくても・できなくても)そこの部分についてお伝えし、進んで行くことをサポートします。

そこで最も大切な事があります。

お伝えした事に対して本人が出来るか出来ないかという判断が伴わないことです。
出来ることをやってもらうということであり、そこには葛藤が起こらないのです。

もちろん、出来ることでもやるかやらないかは本人の自由です。

その自由も大切なのです。

お伝えしながらも一切のコントロールをしません。

最終的に本人が決めると言うことが大切だからです。

やることが出来て、最大限の効果を見込める方法は個人個人違いますし、同じ人であってもその時によって違うのです。

これらを全て自分で出来る人は早く進むはずです。

しかし、そのような人は経験上いませんでした。我こそはと思う方は挑戦してみてください。

本気で挑戦したなら必ず何かがあるはずですから。

自分自身いつも選択から自由でいることが最良の選択をしていくことにつながっていきます。

あなたにとって最良は何なのか考えるよりも、選択せざるを得なくなる状況をつくらないことです。

誰かから学ぶ事でいろいろな経験があるかもしれませんが、ネガティブな経験をしたとしても選択肢からそれをはずさないでおいてください。

嫌なら辞められるという選択肢も同時にあればよいのですから。

昨日は大悟のプロセスには行った人へのセッションでしたが、今出来ることを通して大悟するための道筋ができたと本人も感じたようです。

その人にあった方法とは「簡単に出来る」ことです。

簡単に出来ることで大悟出来るのか?といえば出来ると答えます。
簡単に出来ることを組み合わせることで複雑なプロセスであってもクリア出来るのですが、物事を簡単にしようとするのか?難しくしようとするのかで、後者なら不可能にしてしまう可能性が大きくなります。

大悟を簡単に出来るのか?という質問には出来ない(でしょう)と答えます。

しかし、簡単に簡単にやっていくのなら数年で大悟に至るでしょう。これを簡単というか難しいというかは一人ひとりの判断にゆだねられます。


簡単に出来るのはいつも理解した後です。

理解する前にやろうとするから難しくなりますし、理解した後はする前よりも簡単に感じるはずです。

そんな当たり前のようなことですが、理解した人から聞くと行うことはそれだけ優位性があるのです。

理解しているようでも、難しい説明をする人は理解が出来ていないか浅いかのどちらかになります。

本当に理解しているなら道筋も筋道も理解しているのです。
2017/11/04 10:20 悟り TB(0) コメント(-)
差取り塾でお伝えするときには人が自由になっていこうとしたときに働く力を計算に入れてお伝えしています。

ですから、捨てなさいとか手放しなさいという話はしません。

捨てられるときにどういったことが起こっているのか、手放すことが出来るときにどんな現象が起こっているのか知ることで自然に手から放れるにはどう導けばいいかはっきりしているからです。

吊り橋を高所恐怖症の人が渡る時を考えてみてください。

横に張ってあるロープをから手を離しなさいと言ったところで、素直に離せるでしょうか?

ロープから手を離して、真っ直ぐ渡りきるにはどう導くことが大切でしょうか?

そもそも何が大切なのかということも含めて相手にとって最善を一緒に歩まなければなりません。


言葉はすぐに一人歩きをします。

吊り橋にいる人にどういった言葉をかければよいのか考える前に、吊り橋にいる人という括りをはずさなければいけません。

一人ひとり真っ正面から向き合ったときそのときの言葉が出てくるからです。

個性というフィルターの向こうまで届かせるためには個性を無視してはいけません。

森の向こうに行くには真っ直ぐ歩くことが出来ないように、決まった言葉を使うことは出来ないのです。

しかし、多くの指導はナビゲーションシステムだけ渡されます。

そこには木の位置も起伏も危険地帯も示されてはいません。

ナビゲーションシステムを使って進んだ人は必ず行き詰まります。

絶壁があってもその先しか示さないからです。


そこでナビゲーションシステムを使った方法から卒業するか、進むことをあきらめなければなりません。

すべて計算に入れた地図はありえません。

しかしそのときそのときに目の前に広がる景色を一緒に見るなら、どの様に進めばいいか明確に分かります。

多くの場合、聞く人は目隠しをしています。

目隠しをしたままどこかに去る人もいますが目隠しをはずすためにお伝えしてるともいえます。

目隠しをしている人よりはっきり見ている人の方が先まで見えるのは当然のことです。

真っ直ぐ歩いたら木に当たる

これが外力。

右に行ったら険しい道を登ることになる

これが苦しみであり苦行

左に行ったら谷に落ちる

これも苦しみであり大きな経験


そういった外の力をどうしても最初は受けるのですが、それは皆さんそうなのです。

できた観点でモノをいわれても分からないですし、出来るように指導するのが指導者ですよね?

上から見てそこを真っ直ぐ進めばいいんだ

といわれても

目の前には大木があるなら指導が迷いを呼ぶのです。


2017/11/03 08:53 悟り TB(0) コメント(-)
目を開いてみればすべてわかる

なのに、なぜ目を開いた後の勉強をしなければならないのか。

そして、目を開くための勉強は必要なのだろうか?

目を開くための勉強をしているようで、喜んでいるのはマインドにすぎない事が殆どのように思います。

達成感はマインドが感じるもの。

充実感もマインド

閉塞感

停滞感

すべてマインドです。

マインドを満足させることを一生懸命してはいけません。

マインドが喜べば喜ぶほど、夢の世界にフォーカスが起こります。

夢から目覚めるためにはどうしたらよいでしょうか。

誰でも知っています。

目を開けばよいのです。
2017/10/23 10:00 悟り TB(0) コメント(-)
目を閉じている人に進んだ先に段差があるといっても、それを見ることはできません。

閉じている人は信じるか信じないかという判断をすることになるでしょう。

いつも正しいことを言う人だから信じよう。好きな人だから信じよう。

嫌いだから信じない。

そんな風に考えます。

今回の選挙も同じです。

目を閉じた人は考えでいっぱいになります。

信じるか信じないか?

何を材料に信じるか。信じないか?

沢山思考が働きます。


思考が働いている間も、物事は進みます。歩みは進んでいくのです。

刻一刻と進んでいきます。

その先に段差があるかどうかは、信じるか信じないか・・・・あったとしても落ちるまでは信じるか信じないかが議論され続けます。

そういった議論が重要視されていますが、私にはそうは感じません。


目を開いたならそんな議論は全く必要ないからです。

そんな当たり前の事が分からない世の中なのですが、この簡単さが伝わるでしょうか。

政治も目を開いてみるならどうなっていくのかは明らかに分かります。


先ほど段差と書きましたが、段差は奈落との段差なのかもしれません。

目を閉じているからこそ、それも怖いような怖くない様なはっきりしない状態でいられます。


さて、世の中が大きく悪い方に傾くという事は段差から落ちるようなものです。

目を閉じた人は段差から落ちるまで、気づくことは無いのです。

これは決してネガティブなことではなく、気づく機会と考えるのならポジティブとも取れます。

政治に依存しない生き方をしている人は何も困りません。

依存している人は影響を大きく受けるでしょう。

準備とは備えることではなく、自由でいることです。
2017/10/22 16:32 悟り TB(0) コメント(-)
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