特別なことをやめると自然になります。
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プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

自覚が今より多くの人に伝わるにはどうしたらいいのかと度々思います。

ご意見をいただくことが早いかもしれませんが、コメント欄も閉じています。(様々な経緯があり今は閉じています。FBのメッセージで質問等してくだされば受け付けています)

そこで思うのが、聖者の言葉って、どこか希望に満ちていて何かをかき立てるように思いますし、スピリチュアルは願望をかなえさせてくれるような期待に満ちています。

そういった事は差取り塾では全く感じられないように思います。

書いたとしても今一つインパクトに欠けるような書き方しかできません。


そんなこんなで華もありません(笑)


磨かれた宝石がそれらであるなら、差取り塾は川に転がっている石のように思います。

輝きは一切映りません。

しかし、上流から流れ着いた石はそのまますべてをかたっています。

その良さが分かる人はもはやマニアックすぎます。


しかし、ダイヤモンドより、河原の石が大切だという話ではありません。

多くの人が誤解する部分です。

河原の石とダイヤモンドを並べて、ダイヤモンドを取ることをしないのが悟った人ではありません。

そうではなく、ダイヤモンドはダイヤモンドの美しさがあり、河原の石には違う美しさがあります。

それは同じ土俵で比べる事の出来ない美しさです。

元々比べることができないものを比べようとすることなく、純粋に美しさを感じてみた時、ある理解が起こります。

その時パラダイムシフトが起こっていますが、人間の観点では感じられない変化です。

この変化が感じられるようになると、宇宙のすべての美しさより美しいものを知るようになります。


それをお伝えするためには小手先の美しさは語れないのです。

純粋さを保つこと。

それは余計なものをなにも足さない手作り醤油のようなものです。

本当にしんどい(笑)

最高の味を保つためには、自然本来の力を使い人間のエゴは介入できません。

時間をかけて熟成された醤油はそれだけで美味しものです。


しかし、スーパーで大量生産された大手の商品が醤油だと勘違いされています。

本物は時間も手間もかかります。

その手間や時間を惜しんだ時、何か足すことになります。

本物の醤油を好んで使う人はそれほど多くありませんし、違いが分かるためには少なくとも一度は本物を口にすることです。

本物の醤油を世の中に営業することと、本物の自覚を伝えることは似ています。

本物の味を守るという事はとても難しい事で、月日が経っていくと違ったものになっていることは珍しいことではありません。


ここで最初の話に戻りますが、そういった醤油をつくることに浮ついた夢は感じられません。

実直にただ向き合っているだけです。

地味ですが、できた物は最高のものになります。


そこに在るなにかを感じられる人が量産物を選ぶでしょうか。


これからも差取り塾は何も足しません。

ですから、夢がないままです。

しかし、創意工夫はいつも起こっています。

ですから、前よりもっとおいしい醤油ができるようになってきました。

熟成の精度も大分変わりました。


本物を守るという事は、工夫しないで同じことをやり続けることではありません。


最高の醤油を創ろうという努力はずっと続きます。


差取り塾の世界観が伝わったでしょうか。


これからもする努力は最高にうまい醤油をつくる事だけです。

それに反することはできないのです。


また、つまらなそうできつそうなことを書いてしまいました、、、

実際はどうなのか、ここに書いても仕方ないかもしれませんが、皆さん熟成を楽しそうにやっています。

たまには汗かいて、きつそうなときもありますが、それが終わったとすがすがしい顔をされています。

差取り塾の歴史はそれ程ありませんが、年単位で在籍されている方が殆どです。

本物の味を分かったら他に行く理由はありません。

しかし、もう一つお伝えしていることがあります。

「もっとおいしい醤油があるなら、そちらを選ばなければいけません。そこで遠慮などしてはいけません」と

今はだいぶ熟成が進み大きく悟る人も数人はいらっしゃいます。
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2018/05/16 18:56 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
多くの指導者が思い込みを呼び寄せる言葉を発し、それを聞いた者は思い込みに陥る。

それを繰り返してきた人から思い込みが消え去るまでは真実をみる機会を失います。

このブログを理解する人はブログを理解しに来る人ではありません。

真実を垣間見た人。または、真実に向き合う人です。

真実とは何か?

そういった疑問に答えを出そうとする人は真実を見逃す人です。

すべてはその瞬間に起こっていて、答えもあらわになっている。

その答えを目の当たりにしながら他の答えを探しているという事。それがどれほど真実から遠ざかる事なのかを知る事が本当の学びです。

それを知った者は自然に真実の知り方を学び知るようになっていく。

知る事は自然に起こるようになる。

その自然を自ら起こそうとすることほど自然から遠ざかる事はありません。

誰が起こそうとしているのか?

これは簡単な問いではないのですが、簡単に言葉で答えは出ます。

そこで真実からかけ離れた状態に落ち着きます。

雲が晴れれば青空が見えるように、自然にそれは起こります。

しかし、雲をどかそうとする努力は雲に対して有効かと言えばそうではありません。

地上から何をしても雲は雲の気の向くまま・・・・

だから待つしかないという人も、指導者もいます。

雲を無くす方法はあっても、地上で雲を眺めてなくなる事を願っている人からすれば信じる事は出来ないでしょう。

曇り空しか見たことがない人はそれが空だと言います。

青空を一瞬でも垣間見た人は空の青さを知り、知った時から何かが変わります。

言葉は雲で曇り空を構成します。


しかし曇り空も人によって空であることには変わりありません。

それが自由のなかで創造されています。

2018/02/03 11:14 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
今日は私に近況について書いてみたいと思います。

難解な文章になるかもしれませんが、理解しようとしないで心にしみこませるように読んでみてください。


私は何も知りません。

知りませんが、聞かれれば答えます。

深淵なるところを知れば知るほど何も知らず、すべてを知っています。

これらのことは簡単にお話している事ですが、簡単に話しをすればするほど身近になるかと言えばそうでもないようです。

今日はあえて簡単にすることなく書いていますが、すべては簡単にいままでお話している事なのです。


何も知らない私がすべてを知っていることになる。

それはエゴにとってとてもつらい現実です。

何も知らなくてもすべて知っているという状態をエゴは理解できず、知る事ができないからです。

個性の私は個性をハッキリさせようとする性質を持っています。

個性をハッキリさせるために個性を在るようにする必然を集めなければいけません。

その必然が現象を知るという事です。

個性は現象の中でしか生きる事ができないと知っています。

ですから、現象を強化し、その中に個性というアイデンティティーを太くさせる必要があるのです。

それは、樹木が根ざし大木へと成長することと似ています。

現象が大地で個性が樹木です。


そんな風に個性は感じ取っています。


個性について勘違いしている人が沢山います。

個性が邪魔することで悟りが遠のく・・・・

これは個性が考えることです。

個性が考えるから大地から栄養を吸い上げようとします。

現象から利益を得ようとする事ですが、それは思い込みにすぎません。


何も知らない私から見るなら、個性という樹木は私という大地に根差しているのです。

個性から見た時と随分違うように見えますね。

その様に見ることができるなら、もはや現象も、個性という考えもどのように在るのかが見え始めるのではないでしょうか。


何も知らないという事は私を守り導きます。

知るという事を一度見直されてみてはいかがでしょうか。
2017/11/08 23:34 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
悟った話を聞きたいですか?

悟る為の話を聞きたいですか?

悟るまでの話。

悟ってからの話。

聞くタイミングがあります。
2017/10/08 18:46 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
悟りとは○○だ

と規定する事は、間違っていると師匠は言っていました。

私自身も自覚をしていてわかることは、確かにそうだな~ということ。

「こうやったら悟れます」とか、「こうやったら簡単だ」みたいなことは安易にいわない方が良心的。

本当に仕組みがわかれば簡単なのですが、仕組みを分からないうちから簡単だと言えるならそれはどうかと思います。

今までやってきて、やればやるほどシンプルになって伝えることが本当に簡単なモノになってしまいましたが、簡単すぎて分からない人もいるかもしれません。

何故なら人は簡単なことに答えはないと考える傾向にあるからです。

悟りは特別なことではないのですが、特別感が好きな人は特別に捉えようとする。だから簡単ではいけないし、みんなが悟ったら良くは思えないのは特別感が脅かされるからです。

特別感が好きな限りその人にとって悟りは特別であり、とても難しいものになります。

何故私が普段簡単な言葉を使うように心がけているかというと、特別感が邪魔になるからというのも理由の一つです。


「自覚」とはそうしている「私」を知ることが大切・・・に思われがちですが、それは初心者の「自覚」(野球でいうとファールチップ(かすっているけど前に飛ばないという意味)

「私」を愛することが自覚をする人が大切にしがちですがそれは子供の自覚です。

一所懸命「私」を愛そうとしているのを実際みるとただの自慰行為を行っているだけの人が殆どです。それで気持ちよくなって、喜んでいるのですからそれを違うというのも酷なこと。嫌われただけでした。

大手を振るって自慰行為を出来るのだから、好きな人ははまり続けるでしょう。

知っていたらとてもできません。

そもそも満たされた「私」は愛を必要とするのでしょうか?考えれば誰にでも分かることです。

しかし、愛が足りないと考える人には愛と呼ばれるようなものが必要なのは確かです。

「私」を愛することに励んでいただきたいと思います。



「私」を知ること

大切なことですが、これが難しい、、

文章では伝えられないばかりが、書くと誤解をつくり出すきっかけにしかなりません。

安易に考える人は知るために掘り下げて考えてしまいます。

心理学的手法では「私」を知ることは不可能です。

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師匠におんぶにだっこでいた人が心理学的手法で悟ったと勘違いする事はよくあることです。

そういった人の10年後もみましたが、苦しみに満ちていてとても自覚を実践している人には見えなかったことを覚えています。

私の師匠ですが、悟りにおいて本当のマスターだと今でも思います。

しかし、師匠が伝えていることを理解している弟子は殆どいないように思いました。

悟りってそんなに難しいのか?

自覚ってそんなに分からないモノなのか?

正直私はそれがわかりません。

なんで自覚が分からないのか分からないのです。

師匠はそのまま伝えているのに弟子が勝手な考えを付けて、都合のいいように解釈するのをみていると何ともいえない気持ちになります。

何故弟子が分からないのか?

それを分かるための努力もしました。

それはここでは書けませんが、今では自覚を伝えるときに大いに役立っています。

自覚は多くの人にとって難しいようです。

難しいという事すら気付けない人も沢山います。

自分の都合で解釈する人は難しいし、難しくしていることにも気付かず、師匠の力を借りているので難しいとも感じない。

無自覚の中で自覚している事ですが、それを知っている人は稀です。

自分でやろうとしない限り分かることはありません。

お金が目的である弟子は自分を窓口にして自覚っぽい事を教えつつ、師匠のところに送り込みます。そして、自分の功績のように宣伝しまた呼び込みをおこないます。

それも悪くはないように思うのです。

結果的に呼び込まれた人は悟りを得ることになるのですから。

しかし、お金を取って呼び込んでいる本人の末路は恐らく・・・

しかも囲い込もうとするなら益々です。

囲い込まれた人も別のモノを背負います(背負わされているようにも見えますがおろすことができるのも本人次第ですから)。



ここまで書いてきましたが、私としてみれば書かなくてもよいことを書いていますし、書く理由も分かろうとしないとわかりません。



明らかに適当な「自覚」がこの世を独り歩きすることは、師匠の顔に泥を塗るのと同じ。

だから黙ってはいられない・・・・ということでもありません。

師匠はそれを知っていて警告をした上で許しているのですから。

「自覚」は今のところ適当なままでいると思います。

仏教もその様に今まできたように、お釈迦様の教えをしっかり伝えられたのは開祖と極一部の限られた弟子でした。

その限られた弟子は「自覚」に限っては日本にいないのかもしれません。

「自覚」を文章で伝えることが出来ると考えるのは自覚を知らない者の考えです。

師匠はそこをうまく悟れるように話してくださっていました。

師匠でさえ「自覚」とはこういうやり方だとはハッキリ言わないのです。


間違った「自覚」を広めても現世的に罪は無いどころか儲かります。

しかし、違う観点から見たときはどうでしょうか?

総て見ていた「私」は何をしようとするでしょうか。

神は罰を与えることはあり得ません。

「私」を知ることとはそういったことでもあります。

これを読んでいるそこの「あなた」突き刺さるものがりましたか?それがあなたの未来を示唆しています。

私が言っているわけではありません。


今回はこれくらいでいいしょうか?

「  」(^_^)ノ

2017/08/11 12:00 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
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