特別なことをやめると自然になります。
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プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。


関西在住 Cさん:

数年前、私はうつ状態になり働けなくなりました。



それまでナースをしていた私は、

仕事柄、精神疾患の患者さんと関わることも多く、

そのような患者さんの辛さを感じつつも、

どこか他人事のように思っていました。



「なんで自分で自分の首を絞めるような考え方しか出来へんのやろ」

「そんなん気にしてんの本人だけやで」

「薬で治るような問題ちゃうやろ」



診察介助につきながら、

殆どの患者さんに対してそんな風に思っていました。



しかし、気づけば、

私自身が自分を苦しめる考えに囚われるようになり、

そうして初めてその苦しさを知ることになったのです。



とは言え、当初は

「私はうつじゃないねん!」

「めっちゃめっちゃ苦しいだけ!」

と自分がうつであることを認めたくありませんでした。

うつ状態の思考パターンも理解していたつもりだったので、

私自身の思考パターンを変えれば、

投薬無しでも直ぐに苦しさから抜け出せると考えていました。



そこで、巷の心理療法・スピリチュアル等、

出来る限りをし尽くしました。



しかし苦しさは増す一方で、

結果、精神科に入院しました。



入院中、認知行動療法なども行いましたが、

これじゃない。。何か違う。。



ドクター・ナースの助言も全うであり

本当にありがたいけれど、

そうじゃないんだ。。

という違和感が拭えませんでした。



「直ぐに抜け出せるはずやったのに…」

万策尽きた感じで、

そこはかとない違和感と苦痛が続いていました。



そして3年が経とうとした頃、

差取り塾のブログを目にしました。



それを読んだ時、

「この人(明人さん)やったら私を救ってくれるかもしらん」

なにか静かに響くものがありました。



その後、差取り塾に入り、

『私を観る(自覚)』ということを続けていました。



そうして数ヶ月が経った時、

「全然心が楽にならへん!」

「いつになったら楽になるん!」

「やっぱり私がおかしいんかなぁ」

「何やってもあかんのかなぁ」

と感じ始め、思い通りに進まない苛立ちと、

深刻に自分を責めてしまう苦しさが募り、

自覚を投げ出した時期もありました。



苦しさは続き、

でも自覚のことも気になるという葛藤が続きました。



「差取り塾に入ったらなんとかなるんじゃないか?」

「差取り塾がなんとかしてくれるんじゃないか?」



そんな他人への依存と期待が大きかったことに気づきました。



「もういい加減、私と向き合うしかないんやなぁ。。」



拗ねてる自分が恥ずかしく思えてきたのです。

ようやく『私を観る』ことに

真剣に取り組むようになりました。



そうして日々私を観ていく中で、

考え・思い込みから少しずつ自由になってきていることを

感じるようになりました。



それは、ただ苦しさを解決させるために考えを転換したり、

消したりすることではありません。



『私を観る』ことで、

考えがあってもそれに影響されない私になっていく

ということです。



「私と向き合おう!」

「ただ『私』を知ろう!」

とするその思いがあったからこそ、

気づけば自然とそのような変化をもたらしていた、

という感じです。



こうして、紆余曲折を経て1年以上たった今、



「ホンマ楽になったなぁ・・」

「生きやすくなったなぁ・・」

とホント実感しています。



理想と現実のギャップに苦しみ、

一生懸命努力してもどうにもならなかった自分を責め、

自分に失望したり、

自暴自棄になったり、

無気力になっていた頃を思い出すと

随分変わったんだなぁと懐かしく感じられます。

そんな私も可愛かったな〜と^ ^



そして何より、こういうことを書けることがすごく嬉しく、

ありがたく思っています。



自覚を続けてきて本当によかったと、

ぐっっと込み上げてくるものがあります。



『私を観る』

これを言葉や文字で伝えられない歯がゆさはあります。



でも、考え・感情に影響されない、

またはそれらがあっても大丈夫な『私』は、

どれほど楽でいられるか!



自覚を通してそれを体感してもらえればうれしいです☆



是非、一緒に私を観ていきませんか ^ ^

笑顔


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2017/04/19 11:54 悟り後の視点 TB(0) コメント(-)

ITコンサルタント Mさん:

差取り塾に入って何が変わったのか。



やはり、そこは大切なことだと思います。



まず、いろいろな出来事に対する反応に距離を置くことができるようになり、

とても楽になりました。



一般的に、人は自らの考えと同化して、

そこから生まれる感情に溺れて生きています。

私も差取り塾で学び始めた当初は、

考えに溺れていたような状態でした。



差取り塾で教えられている「自覚」を実践していくと、

私そのものと私の考えに距離ができていきます。

その結果、私と私の考えは異なるということが

次第にわかってきます。



そして、考えや感情に巻き込まれなくなり、

現実的にもより適切な対処ができるようになっていきます。



私はそれまで苦しさを何とかしたいと思い、

ご多分に漏れず、さまざまなことを学んできました。



それは自己啓発から始まり、スピリチュアルの教え、

あるいは何かの方法論、

さらには特定の瞑想法だったりしました。

しかし、結局はそのどれも何かが違うと感じ、

離れていくことになりました。

世間でよく言われるジプシーというやつです。



そんな感じであれこれやりつくした時に

明人さんのブログを見つけました。



読んでみると、ここには何かがあると感じました。

そこに書かれていることが明確には理解できなくても、

何か大切なことが書かれていると感じたのです。



これを読んでいる方は悟りに関心がある方が

多いと思います。



その意味では、私もまだ道の半ばにいます。

しかし、自覚を通して「私」自身を知っていくことが、

その道を歩み続けていくことであり、

悟りにつながっているということが腑に落ちています。



これは思い込みでもなければ、

論理的な理解でもありません。

ただそうなのだとわかったと言ったらいいでしょうか。

これは言葉だけだと、根拠がないという点で、

思い込みとの違いは微妙に感じられるかもしれません。

しかし、これも自覚することで

明確に区別できるようになっていきます。

本棚


私は長年ITのエンジニアをしています。

そのため、仕事では論理的に考えることを

訓練してきました。



そのため、どんなことでも無意識のうちに

論理的に考え分析してしまう傾向にありました。

どこかで論理的でないものは納得できないし、

正しいとは言えないと考えていました。

しかし、これも論理教という一種の宗教と言えます。

論理で明らかにできることは

ごく一部に過ぎないからです。

悟りにおいては、それこそが障害となります。



差取り塾で実践しているのは、

ただ「私」を知っていくということだけです。



何も強制されることはありません。

ただ人それぞれ個性が異なっているので、

それに合わせた指導をしていただいています。



もし悟りに対して、何かの概念を持っているなら、

それは一旦捨てる必要があります。

肝心なのは、

素直でいること、そして「私」を知り続けることを

決してあきらめないことだと思っています。



明人さんのブログを読んで、

なぜかわからないけど何か気になると感じたのなら、

ぜひ差取り塾の門を叩いてみてください。



これをたまたま読んでいるという縁、

そしてそのあなたの感覚を大切にされてください。



それが道を一歩踏み出すことになるはずです。

2017/04/01 10:10 悟り後の視点 TB(0) コメント(-)
2016年中に頂いたものです。
読みながら穏やかさを感じてみてください。




1.自然を愛する大学教員I.S.さん

差取り塾はとても地味な塾です。



「ワンネス」とか、「自己実現」とか、「わくわく」などの

キラキラした言葉はほとんど登場せず、

ただただ「自覚」をしています。



「自覚」とは、自分の考えに気づき、

「ああ、私は〇○と考えているんだなぁ。

そう考えている私がいるんだなぁ」と自覚して、

その「私」を観るという、

あっけないほどシンプルなプロセスです。



私は去年の2月からこの塾に参加し、「自覚」を始めて、

もうすぐ2年になろうとしています。



私は何につけても本当に歩みが遅いので、

「自覚」を始めた当初は、

そう簡単に満足のいくような自覚はできませんでした。

それは、今でもそうです。

けれども、

それでも2年近くこつこつと自覚を続けてこられたのは、

最初のセッションで「自覚」をすることで

心がほぐれる感覚があったからかもしれません。



また、「自覚」というシンプルな方法が面白くもありました。



自分がいかにいろいろなことを決めつけて生きているか、

考えに考えを重ねて何重にも捻じ曲げて現実を捉えているか、

どんな考えの癖があるか、

そういったことが、否(いや)が応(おう)にも見えてくるので、

ときに自分にあきれてしまいますが、

それもなんだか楽しいのです。



そんな風に考えの中でがんじがらめになりつつも

一生懸命に生きている私を見ると、

思わずふっと笑ってしまいます。



きっと「考え」との間に隙間ができるから力が抜けて、

笑う余裕ができるのでしょう。



差取り塾には、

自覚を通していわゆる「目覚め」の体験をされた方も

いらっしゃるようです。



「ようです」とあいまいなのは、

あまりそういう話が出ないし、

私も、「悟り」や「目覚め」というものに

興味がないわけではないのですが、

なぜだか根掘り葉掘り聞きたいと思わないからです。



差取り塾はそういうところです。



ある時そのような体験が私にも訪れるかもしれないし、

訪れないかもしれない。

でも、それはその時にわかればいいと思うのです。



そんな気持ちでいられるのは、

おそらく、私自身がゆるやかに変わっていっていることが

実感できるためです。



どんな風に変わっているか?

それは何かびっくりするような変化ではありません。



一言でいうなら、私がシンプルになっているように感じます。



考えに考えを重ねて現実を見ていた私から、

少しずつ考えがとれ、

「考え=私」ではないこともわかってくると、

現実の捉え方がどんどんシンプルになります。



シンプルになると身軽で、気持ちが楽になります。

また、「考え」と「私」の間に隙間ができるので、

前より少し余裕をもって人生を楽しむことができるように

なっていると思います。



こういった変化と関係があるのかないのかわかりませんが、

職場では、同僚からの相談事が増えました。

また、以前は相談事を持ちかけられると

一緒になって深刻になってしまい、

後でどーんと疲れるということがありましたが、

今は、多くのことが単なる考えであることがわかるので、

相談事にもシンプルに対応できて、

あまり負担にも感じません。



私に起きている変化は、今のところ、そんな感じです。

これまた地味ですが、私にとっては、

とてもありがたい変化です。

差取り塾幾さん

私は、いわゆるスピリチュアルな世界にあまり詳しくないのですが、

これまで、何人かのスピリチュアルな世界の方に

お会いしてきました。



その中で少し気になったのは、

次々とスピリチュアルなセミナーを受け、

たくさんのお金をつぎ込んで勉強をしても、

いえ、勉強すればするほど不足感に苛まれ、

スピリチュアル・ジプシーのようになっている方の存在です。

中には「目覚め」の体験をしたという方も

いらっしゃいました。

それでも苦しいのです。



今のスピリチュアルブームは、

キラキラした世界を見せることで、

かえって苦しい人を生んでしまっているのではないか

とさえ感じます。



私には「ワンネス」も「目覚め」も起きていません。

いたって地味です。



でも、目覚めて苦しいより、

目の前の現実をシンプルに生きられることの方がありがたいと感じます。



とはいえ、「知ること」、「わかること」を

諦めてしまったわけではありません。



「生について、死について、私についてもっと知りたい」

という気持ちは持ち続けています。



そんな私に、差取り塾の主宰者である明人さんは、

「自覚を通して少しずつ「私」が大きくなってくれば、

見えてくることも、わかることも変わってきます。

それが当たり前なのですよ」

と言います。



だから、安心して、今日もただ自覚をしています。



明人さんは、こういった言葉を、

その人が必要なタイミングで、

折りに触れ投げかけてくれます。

これも、自覚を長く続けられる大きな基盤となっている

と思います。



差取り塾は、

悟りを求める人にも、楽になりたい人にも、

おすすめの塾です。

2017/03/24 14:09 悟り後の視点 TB(0) コメント(-)
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2015/09/26 01:04 悟り後の視点 TB(-) コメント(-)
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2013/11/16 20:00 悟り後の視点 TB(-) コメント(-)
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