特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

映画「禅」で道元禅師話す言葉

眼横鼻直

眼横鼻直

的を射た説明が見つからなかったので掘り下げてみたいと思います。

そもそも道元禅師は言葉の解釈をさせるために言葉を放っているわけではありません。しかし、言葉が独り歩きしたときから近しい弟子はそうでなかったとしても耳から入った言葉は思考で解釈されるのが世の常です。

月を映し出す水面に月はありませんが、月を知る事ができます。

しかし、見たそれを月といってはいけません。ただ、在るがままに水面に映った月を見ればよいのです。

水面に映った月から解釈を生み出そうとした時点から禅の真髄からは離れていくのです。

道元禅師が何を言っているか分かろうとした時から、道元禅師の教えから離れることを禅師も言うはずです。

禅の真髄はそこにあります。

言葉は水面に映る月であり、本当の月はそこにはありません。水面に映る月をいくら論じても月について知る事から離れていってしまうように、言葉を論じることも同じことなのです。

ですから、眼横鼻直も理解しようとしてはいけません。

とはいっても理解できないといっているわけではないのです。

あなたが悟り、それを深めたときに自ずと理解が在ることに気づくのです。

初めに眼横鼻直を理解しようとすることは単に本末転倒だという事をまず知らないといけません。

大人の言葉を子供が理解できなませんが、理解した気になることは十分起こり得ます。そして、大人になった時、理解が間違えていたと思うことは誰にでもある経験なのではないでしょうか。逆に大人になったら簡単に分かったという事ですね。

その経験は確かに起こった経験です。

その確かに起こったことをただ見つめてみてください。

すると、場合によってその経験をないがしろにする行為を沢山していることに気づきます。

目は横について鼻は縦についている。

このことをないがしろにすることと変わらないことを多くの人が行っているのです。

ここまで書いたことは誰にでも経験があり誰にでもわかることです。

そこから悟りにどう繋がるのかと思うでしょうが、ただ、その様に生きてみることが悟りを得ることになるのです。


あなたは人間です(おそらく)

しかし、人間でありながら人間をやりつくしていないのです。

人間をやらないで人間以外のことに夢中になる。

人間ができうることを、粗末にしてはいけません。

何ができるのか考えてはいけません。

目の前にある事、それができる事。

手が届かない先にできる事はありません。それも禅の心。

あなたが人間であるという事は眼横鼻直よりも確かなことなのではないでしょうか?

その確かなことをぼやけさせてはいけません。

確かな事を確かに知る。確かでないことを確かに知る。

そういった心持ちが悟りへと導いていくのです。

眼横鼻直を知る前に知る事ができる確かな「私」ならそれは容易に分かる事ができるのです。

眼横鼻直を言葉で語る事は道元禅師が伝えたかったこと限定することでもあり、別の場合はき違えることになります。

道元禅師の理解を在るがままに知りたいのなら、道元禅師と同じ境地になる事が最も合理的な方法です。道元禅師自身もお釈迦様と同じ境地からお釈迦様の教えを理解できたのですから。

それでも、どのように考えていたのかは思考の範囲外で知るだけです。


的を射るという事は的に矢を当てる事では非ず。
的はあちらにあるから好きにすればよいということ。

それが数々の禅師の教えです。

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2017/07/05 22:35 道元禅師 TB(0) コメント(-)
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