そのまま「観る」という科学
カレンダー
03 | 2020/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

子育てでどうしても余裕がなくなりがちなのはわかります。

そこで思うのは、子供をどうこうしようというより、親自身が楽でいる事が大切なように思います。

子供たちに向き合う事は大切です。

しかしそれを可能にするには、親自身が自分に向き合っていないといけません。

ここが大きな盲点になっているように思います。

自分自身に向き合えない状態で、子供に向き合う事は出来ないのです。


差取り塾にいらっしゃる方から、子供の相談を受ける時もあります。

そういった時、私が最も大切にすることは、親が自分自身に向き合う事をお伝えしながら、子供の事を話していきます。

親が自分自分で考えている事を知り、それに向き合う事で、子供への理解が深まっていきます。

理解が深まった時、今までと同じに見える事はありません。


そして、以前より深いところで理解が起き始めます。

その時、子育ての方法論を超えたコミュニケーションが起こっています。


目に見えて大きな変化が起こるかどうかはその時次第ですが、時間とともに大きな変化が起こっていくように思います。

子供を何とかしようとする前にしなければいけない事があります。

それが親自身が自分を見つめなおすことであり、「自覚」をしていくという事でもあります。
2019/05/19 23:02 子供たち TB(0) コメント(0)
覚悟が決まって一歩踏み出してみた時、前と景色が違ったはずです。

それは景色が変わったのではなく、君の心持ちが変わったから。

今君がどの様な心持ちなのか、伝わってくるものを感じることができます。

それは、自分の事と同じに君をみることができるからで、一生懸命その様な努力をしてきた結果です。

君が心を開いてくれているとそれを感じることができ、力を与えつづける事ができます。



一度お話した人の心が閉じないかぎり受け取り続けます。


そして一番大切なことは、君が腹を決めたら誰にも止めることはできないという事です。
2019/04/22 19:09 子供たち TB(0) コメント(0)
差取り塾ではお子さんを持つ親も在籍されています。

よく子供の相談も受けます。

そうしている中で感じることがあるのですが、既存の学術的対処では救うどころか、一人ひとりにレッテルを張ってそのレッテルに沿った対処が行われます。

工業製品と一緒の扱いです。

多くの方がこれに疑問を抱くことなく子供たちを検品するように捌きます。


もちろん学術的な対処がすべた悪いわけではありませんが、それに当てはまらないケースの時に子供を苦しめる結果になります。

それでも問題になりにくいのは、子供は自分の意思をはっきり伝えられないところにあるのではないでしょうか。

大人の言いなりになっているだけで、違和感があっても上手に訴えられません。

大人はそういったフィードバックがない中、職業であれば学術的な裏付けのある仕事を淡々とこなし、そうでなければ、ケースにはめ込んで安心をしようとします。

ここで気づく人はいるでしょうか。

太字のところです。

誰を優先とした対応なのか・・・・

向き合ってくれる大人は子供にとってほとんどいません。

その様に育った子供が大人になって、同じような対処をします。


何が足りなくてそうなっているのかわかりますか?

そもそも問題を感じていないかもしれません。



足りないのは、見通す目です。


理屈に頼ろうとすると、子供を見ることより理屈を探すことに視力を奪われています。

理屈にたよるなら、子供の意識(意志ではなく)を尊重する事より、親の同意を得る事がそれより重要になります。

理屈は、今起こっている事より、過去に起こったことを尊重させます。


これがどれくらいの人たちに伝わるかわかりません。

理解できる人がどれほどいるかわかりませんが、私は私ができることをしていこうと思います。

心理士で子供を救いたいけど、どうも学問自体に違和感がある方いるのではないでしょうか。

カウンセラーで、子供をケースに当てはめた判断することに違和感を覚える人はいるではないでしょうか。

そういった方々に教えることがありませんが、あるがままに観ることができる目を持ってもらう事は出来ます。


在るがままに見えたら、どう対応すればよいのかも一緒に見えるようになるのです。

2019/04/20 10:52 子供たち TB(0) コメント(0)
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
↑応援よろしくお願いします。


学習障害を持つ小学生の娘と過ごす毎日の中で
自覚をするようになってわたしが向かい合うようになったのは
わたしの中にある、
「普通の子になって欲しい」と願っているわたしでした。

自覚をする前は「ありのままの娘を受け入れなければ」と頭で考え、
「ハンデを背負っているこの子に優しくしなければ」と考えて行動するわたしの心は
学習障害を受け入れられずに戸惑い、大きなショックを受けていました。

娘を専門家に診てもらい、学習障害を持っている事が明確になった時、
恐れていた事を目の前に突き付けられた感じでした。
途方にくれて、仕事の昼休みに一人でラーメン屋で人目をはばからず泣きながら食べた事もあります。
「学習障害児の親の為のワークショップ」に予約を入れてみるものの
事態に向き合う事ができなかったわたしは、泣きながらキャンセルの電話をした事もあります。

離婚していて母子家庭、
自分自身が精神安定剤に頼りながら仕事をしていたという環境も
その頃のわたしを追い詰めていました。
同時期に妹の方も、通っている保育園から「発達障害の疑いがあります」と告げられたのも堪えました。
「乗り越えられない試練はない」というたぐいの言葉には強い反発を覚え、
人を妬む気持ちが沸き上がってくるのを止められず
友人とも距離を取るようになりました。

でも、わたしは、その打ちひしがれているわたし自身には全く目を向けずに
とにかく娘の「困っている行動」をどうにかしようと
学習障害のアドバイス本を読んでは、ノウハウを実行していました。
娘がひとつの事が出来るようになったら、つかの間の安堵に浸り、
出来てない事の解決法のノウハウを探してネットを検索する。
一喜一憂の毎日でした。


そのような時に、
差取り塾に入り、自覚をするようになりました。
当時は出口など見えず、ただただ、自覚をしていました。
そして自覚しながら娘に接する中で
どんなわたしがイライラや不安感を自分の中に作っているのか見ているうちに
「普通の子になって」と願っているわたしを知りました。

何度もそのわたしを自覚しても
毎日のようにそのわたしはいました。

でもだんだんと、そのわたしとの向かい合い方が変わってきました。
「普通の子になってと願うわたし」を否定しているわたしがいる事に気が付き、
「普通の子になってと願うわたし」を見たくないわたしがいる事に気が付き
逃げ腰でわたし自身に向かい合っていたのが
逃げ腰のわたしもみることが出来るようになりました。

宿題を一緒にするときに「なんで分からないの!」と言うことは
いつの間にかなくなりました。

そうやって自覚をしながら娘と接するようになって二年ほど経つと
娘がずいぶんと変化してきました。
集中してドリルが出来るようになり、授業中にずっと歌っていることもなくなりました。教室から出ていく事もなくなりました。

あくまでもわたしの解釈ですが
おそらく娘は自分の内側に起こる衝動から離れていられるようになり
目の前に起こっている現実と折り合いをつける事が出来るようになったのだなと感じます。

娘の人とのコミュニケーションも大きく変わりました。
1年生の時に「人とのコミュニケーションに問題がある」と専門家に指摘され
学校でもお友達ができず、休憩時間や学童ではひたすら一人で本を読んでいました。
それが去年(小4)の春からは、徐々に学校での表情が柔らかいものになり、
自分からも人の輪に入っていくようになりました。
小1から同じ登校班のお友達とも、3年間、ずっと喋れなかったのが
並んで話しながら登校できるようになり、
最近では休日にお友達を家に呼んで遊ぶようになりました。

「学校の授業に集中できる子になって欲しい」
「お友達と仲良くできる子になって欲しい」
その自分自身の強い願望に目を向けないまま子供と接していては
このようにはならなかったと思います。

授業が聞けない、お友達がいない、
という現れていることを表面的に対応して、
ちゃんと授業を聞きなさいと怒ったり、
宿題を白紙で出すのを責めて圧力をかけながら監視したり
お友達の顔を見て笑うように誘導したり、
人に話しかけるテクニックを教えたり
そうやって、
授業が聞けない、お友達がいない、というその子が行動としてあらわしている結果を、
結果の方から操作して規制して娘をコントロールしようとしていたなら
今日のような状態にはなっていなかったと思います。


ただ、ただ、わたしは自覚をしてきました。
毎週、塾のスカイプで自分の自覚の話をして
ひとつひとつの自分の自覚を
ひとつひとつの自分の変化を
その都度、立ち止まって
そこにいる皆さんと一緒に確認できたことが
わたしを次の一歩に進ませてくれました。

わたしがそうするよりも
わたしのことを腹をくくってみてくれている皆さんからの言葉は、
皆さんから伝わってくる向かい合う姿勢や気概は、
いつもわたしを道に引き戻し、
次の一歩を踏み出す足元を支えてくれました。


わたし自身が楽な心持ちでいる。
そして子供がその子らしさを保ったまま、
のびのびと変化していく。
わたしはそれを今、経験しています。

夏休みに引っ越しをする予定でいます。
新しい環境で娘がお友達と上手くやっていく事を
期待し娘に押し付けようとしているわたしがいます。
今はそういうわたしと向かい合っています。



イベントのご案内
毎月第一日曜日グループセッションを行っています。
新宿から1時間くらい電車を乗ったところです。
13時くらいから始まり21時くらいまで、好きに過ごすことができます。

3月15日(金曜日)
静岡駅駅ビル内
申し込み・詳細はこちらからお願いします。
https://kokucheese.com/event/index/556644/
2019/03/02 14:31 子供たち TB(0) コメント(-)
先日次男のことをお話しさせていただきましたが、もう少しお話ししたいと思います。

次男は中学3年生です。

中学入学して間もなく学校に行ったり行かなかったりを繰り返すようになり
中学1年の秋頃完全に学校に行かなくなりました。

中学2年では週1回から2回中学校の中にある特別教室(教室に行けない子が過ごす部屋)で1時間半ほど自習をして帰るという生活をしていました。

毎週火曜と木曜の10時30分に学校へ送り、12時に迎えに行くのがわたしの日課になっていました。

それでも特別教室に新しいメンバーが加わると気疲れしてつらいと行き渋るときもありました。

わたしはそんな次男に『あなたはこのままでいいんだよ。』と伝え、学校にいかなくても良いんだと私自身も考えるようになりました。

結局2年生では一度も教室には行きませんでした。

そんな次男が変わり始めたのに気づいたのは2年の終わり。

3学期最後の日の球技大会に参加したのです。
最初で最後の2年生のクラスメイトとの交流でした。

3年生になると次男は目を見張る早さで変わっていきました。

教室に行くようになり、特別教室と教室を行ったり来たりしながらもだんだんと教室にいる時間が長くなり

2学期は一日も休まず、最後まで出席を拒んでいた英語の授業も11月には出るようになり

今は特別教室に行くことはなくなってしまいました。

そして高校受験。普通の高校は諦めていましたが、次男のがんばりを高校が受け止めてくれ、受験。見事に合格できました。


次男の心の中で何が起こっていたのか私にはわかりません。

ただ一ついえるのは、わたしが自覚をしていたということ。

自覚しながら次男と向き合って来た結果が今現れているのだと思います。

次男に向き合うと言うことはわたしに向き合うということ。

次男に対して発している言葉はどんなわたしが言っているのか

わたしが本当に思っていることは何なのかをひとつひとつ確認していく

自覚が進んで行くほど今まで次男になげかけてきた言葉がいかに彼を傷つけてきたか

わたし自身の思いに蓋をして、
わたしに嘘をつき続けてきたか

そしてそんなわたしが次男の前に進もうとする力の足かせになっていたということに気づいていきます。


これから新たにスタートして行く次男をわたしはそのまま見ていこうと思います。


今目の前のことをそのまま見ることは簡単ではありません。

ただ本当にそのままを見ることができたら、きっと目の前の景色は今までとは全く違うものだと思います。

自覚を始めて1年8ヶ月
これからも自覚を続けていきます。
2019/02/21 09:57 子供たち TB(0) コメント(0)
差取り塾のお知らせ
差取り塾へのお問い合わせはHPからお願いします。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム