そのまま「観る」という科学
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

考えに流されるという事は

簡単にいうと、自分の軸がない事で生じる思考や行動。

自分の中に指針がないと、外から入ってくる思考の取捨選択ができません。

こういった話で展開していくと良い話になりそうなのですが、自覚の観点から見るなら単なる対処法になるのでこういった話を膨らますことにはなりません・・・・・が敢えて書くなら・・・・・

自分自身に軸を持つことで、情報処理がシンプルになります。

シンプルになりますから見かけ上処理能力が上がります。

頭が良い方々は自然にこれをやっていて、例えば仕事の基準が明確であると、その基準を満たすか満たさないかで考えればよいので、満たさない事について考える必要は無くなっていきます。

仕事ができない方の場合、基準が無いか曖昧です。

その為に、色々な意見や手法を取り込もうとしますが、そのためにすぐにキャパシティの限界を迎える事になります。

キャパシティの大きさが同じでも、情報処理能力が同じでも、見かけ上仕事ができないという事になります。


そういった事を表面的に見ると、考えに流されているという表現ができます。


こういった事は至る所で見て取れる取れますが、このケースは目的(達成)意識を共有していく事で、仕事がスムースになる傾向にあります。





と言った事は自覚ではナンセンスですが、ノウハウという意味でわかりやすく、そういった事が多くの方に好まれるのはわかっているのですが普段はとても書けません。

軸という思考に依存する事から出発しているからです。


ところで、今マスクをつけ続けている方々どういった考えから(影響から)マスクをつけ続けているのでしょうか。

それを批難も肯定もしませんが、マスクをつけつづける事によって具合が悪くなっている方も少なくないように思います。

これから先、大切な事は免疫力を高める事だと私は考えていますが、マスクが血中の酸素濃度を下げて免疫力を下げるというお話もありますし、様々な影響から体力を低下させる事に繋がっているように思います。

うがい薬を衝動的に買っている方々はどうでしょうか。

少しでも安心を得ようとする時、何らかの思考停止を起こしています。


人間の恐怖は思考停止をまねきます。

思考停止すると、判断を自分の意思でできなくなります。

思考停止は恐怖だけではなく色々なところで起きます。

その事については長くなりますのでまた別の回で書きたいと思います。


今の社会は思考停止が様々なところで起きています。

それに気付かないかぎり、それを補うノウハウを探し続け、さらなる思考停止を引き起こします。


考えに流されている場面は随所に見る事ができます。

それに気付く事も自覚ですが、自覚が起こると必ず肯定的な変化が起こり始めます。

人間は生涯流されたまま生きています。

各分野のリーダー的存在であってもです。

良い事悪い事という判断の中で生きているなら流されている事になります。

誰でも悪い事を好んでやる方はいないと思いますが、色々な観点から見た時に、良いことをやろうとすることが悪い事であったり、自分を苦しめたりすることになります。

そうなると、自分を苦しめる事は悪い事という判断がまた出てくるのではないでしょうか。


差取り塾を続ける中で、目覚めていくという事は比較的簡単に起こしていく事ができます。

なぜなら、人間の思考の枠を超える必要が無いからです。

そして、枠を超えたお話を聞いているうちに目が覚め始めます。


私にとってそこはゴールではなので、実際に枠を超えた状態「悟り」に至り、さらにその先までご案内します。

目覚めの状態では、枠を超えた話に何らかの影響を受けます。

その状態は流されていると言っていい状態です。

流されながら、修正していく事で「目覚め」が起こっていきます。

そこからさらに進んでいこうという考え方も実は流されています。

自分で進むという事は自分の考えで進んでいくという事であり、自分の枠の中で思考が展開されます。

それはちょうど流れるプールの中にいるようなものであり、どんなに泳ごうが、その中にいること自体気づくことは困難です。

プールなら淵がありますが、思考の流れるプールの中でその淵を認識することはできないのです。


どこかで、悟ったと自分で判断する方法という動画のサムネを見ましたが、それがどういったことに繋がるかは私にとって陽の目を見るより明らかです。


これから先、流されないためにはどうしたらよいか・・・・・・

それを考えている時点で流されているわけですが・・・・・・

こういった事をお伝えしながら目覚めて、悟っていく事になります。

すると生活も楽になり、生きる事が楽になっていきます。

ノウハウは、勉強することなく知っていて創り出すことができるようになります。

実践的であり、勉強して身につける事とは次元が違います。

勉強する方はできない状態から勉強をしていますが、自覚をされる方はできる状態になってからするしないを自分で決める事になります。

この違いの価値を感じられる人間はどれほどいるでしょうか。

差取り塾では実践的なお話を通して楽になり目覚めて、悟っていくことになります。

それは同時に情報リテラシーを高めていくという事となり、これから刷新される社会において重要な役割をしていく事になります。

今までの世界では理想論では生きられない世界でした。

なぜ理想論が否定されるような世の中だったのでしょうか。

理想論と何が摩擦を起こしていたのかを知ることが大切です。

よく、理想と現実と言います。

現実とは何でしょうか。

金を稼がなければ食っていけない。

そんな現実が信じられていました。

今でも、それを信じる者とそれを変えていこうとする者のせめぎあいが起こっています。

そのせめぎあいは、どちらが勝つことになるでしょうか。

自然の摂理からすると必ず理想論と言われるような事が勝るようになります。

それが今回私たちの目の前で起きようとしています。


そして、目覚めたモノから先に理想を生きるようになってきています。

理想で生きるようになった者は自由で幸せな生活を送り始めています。

まだまだ社会全体に波及してはいませんが、その流れは大きな流れとして現れ始めています。


なぜこのような事を書いているかというと、もう、理想論で生きる事を怖がる必要は無いという事であり、むしろそれで生きなければ流れに置いていかれるのです。

金を稼ぐために嘘をつかない。

こんな単純な事さえ今までの社会では理想論でした。

長いものに巻かれる必要はこれからはありません。

嫌ならはっきり断る事がこれからのスタンダードになっていきます。


大企業は衰退し、大企業の下請けをして、儲けを抜かれる時代も終わっていきます。

頭脳だけで何の生産性も無い人間の搾取が終わっていくという事でもあります。


仕組みをつくって、働かせる

そういった事も目覚めていく事でその中に入る人間はいなくなっていきます。

仕組みをつくるのが得意な人間がいて、作り出すのが得意な人間がいる。

そこに上下があってはいけません。

頭が良い事に価値を置いていた社会は、変わらなければいけません。


それにはつくりだす人間も変わる必要があります。

変われなければその世界で生きつづける事になります。

こんな風に書いていて、どこを変えなければいけないかという事を書けません。

一人ひとり違う事ですし、一人ひとりが答えを出してくことだからです。

その答えは一人ひとりの中にあって、外にあるものではありません。


それを知って生きる事が大切であり、今までの教育ではそれを知るどころかそれを忘れさせる教育をしています。

そこから目覚める事は巷にあるスピリチュアルな修練で良いと思います。

その先どうするかはまた個人の選択になります。


色々な事を学んできた方が差取り塾に来ることは珍しくありません。

それらの学び以上の理解を無自覚にしている方々です。

そういった方々を満足させることは自覚」しかないようです。


言っている事はもっとものように聞こえるけど、何か納得できない・・・・・・

その様な方が最終的に集まってきます。

他のところで納得できるのならそれを学ぶべきです。

それがあっているのであればとことんやってみる事が最上の修練です。


誰にも差取り塾が最上なわけではないという事です。


しかし、完璧な理想論で生きるなら、差取り塾しかありません。

私は、リスクを承知で、理想論で生きるという試みをしていきました。

そうしているうちに、急にそれが可能になるのを感じています。


今年になって、もはや理想論で生きる選択をしないままいるなら苦しくなっていくという結論に達するようになりました。

世の中がそのように変わったという事です。

それまでは、随分苦い経験(人間的には)もしましたが、理想にかなった生き方をした方が肯定的な結果につながるという事が如実になって来たのです。


年を重ねれば重ねるほど、理想と現実の違いから、理想論で生きる事に恐怖を感じるかもしれません。

しかし、その恐怖をよそに世の中は大きく変化しているのです。


これは、みずがめ座の時代になったからとか、宇宙のなんちゃらとか関係なく、そうなっているものはそうなっているという肌で感じ取れる事なのです。

理想論で生きるという事は、哲学のように難しく考えることはありません。

子供の絵本にも書いてあるようなことでいいのです。

嘘はつかない

他者を助ける

分け与える

・・・・・


それをした時、自分自身に返ってくるものが何倍にもなっています。

私は相変わらずお金はありません。

しかし、そんな私でもできる事をしていると、何の不自由もなく生きる事ができるようです。

差取り塾の中ではこういった切り口では話していませんでしたが、皆さん理想論で生きて楽になっています。

本人達はこのように書かれると一瞬「え?」となると思いますが、その後「そうだったのか・・・・」と納得しているはずです。


理想論という言葉も一度整理してみてください。

理想論とは

ことわりをおもう

事でもありますし、

それをさらに突き詰めた時、

理を知ることに繋がるのです。

理を知った時、目覚めから悟りに至っていく事になるのです。


最も簡単な理解があります。

それは幼稚園児でも知っている事を大人がまじめに守る事です。
目覚めと悟りは違うというお話は先日書きました。

こちら

読んでいらっしゃらない方は読んでからこの記事を読むとわかりやすいと思います。

目覚めつつある方は場合によって目覚めている、悟っていると自称している方々のお話が物足りなく感じることがあるかもしれません。

その時、理解の助けになるような事を今日は書いてみたいと思います。



目覚めの段階にあるお話は、ポジティブ・ネガティブという切り口からお話が進みがちです。

その境地からのお話で思考を超え、次の段階に進むことはかなりの困難を極めます。

目覚め以前の方にとって、目覚めのお話は十分に有効に働きます。


ポジティブでいるためには?

ネガティブにならないためには?

こういった二元性の中でのお話はいつか卒業していく事になります。

それまではそこで納得するまで味わい尽くす事で次の段階への準備が整っていきます。


準備が整い始めた方にとって、一般的に話される目覚めや悟りの話が心地悪くなってくるという現象が起こり始めます。

なぜかわからないけど、違和感を感じたり、居心地がだんだん悪くなり、最後にはストレスに感じるようになります。

ストレスから、自分がおかしくなってしまっていて、勉強が足りいないのではないかと強引に自分をそこに留めようとする方もいらっしゃいます。

肯定的な現象が起きているのに、心配をする方は少なくありません。

目覚めのお話は、それを超えようとしている方にとっては足かせになりストレスを呼ぶ事も少なくないのです。


さて、人間にとって喜びや至福は大切なものであり、度々そのためにはどうしたらよいかというお話が展開されます。

このブログで、そういった事にあまり触れないのは、人間にとって大切な事が必ずしも人にとって大切な事ではないという事でもあります。

人にとって至福という感覚は、雑味のある粗い感覚であり、高い次元にはない感覚です。

至福についてもほとんど触れないのはその為です。

至福が大切なのは人間の観点のうちだけであり、目覚めるまでは大切な指標になります。


その先からが私がお伝えするところであって、人間にとってつまらないのは当然の事です。

ですが、何か目覚めや悟りの話で違和感を感じる方にとっては目の前が開けていく事になります。


自分にあった学びをしている事は大切ですが、今は小学校1年生だからとか、大学生だからとか分かりにくいのが意識です。

私から見るとどの段階にいるかは一目瞭然です。

なぜなら、そういった事をずっとやっているからです。


楽しい、楽しい雰囲気を醸し出しているところも人間の感性を刺激し人間が集まります。

楽しい事はいいことだ。

人間にとってはそうかもしれません。

しかし、楽しいという事は同時に真実をうまく隠してしまい、人間の注意力を散漫にします。

では、人は楽しいではなくなにを好むのでしょうか。

「面白い」を好むようになります。


本当に面白いと笑いにはつながりません。

子供が本当に一所懸命遊んでいると、笑う事を忘れて真剣にそれをします。

「面白い」と「没頭する」は分けないといけませんが、笑いは人間を無防備にし面白いは人間や人を思慮深くします

また、人が求める笑いは、緩める笑いです。


人間が笑う時、私はそこにその方の癖を同時に感じます。

人間を笑わせる事はコントロールしたい人間にとってはスキルのようなものです。

笑いで締めくくればすべて許されるような感覚になります。

また、楽しいという感覚も似たようなマインドコントロールに繋がります。


目覚めまでの段階では、感情を基準に物事を判断する傾向にあります。


楽しいからやる。

好きだからやる。

嫌いだからやらない。

気持ちいいからやる。

などなど・・・・


そういった段階の学びは、この日本教育においてどこにあたるでしょうか。

幼稚園から大学院の中でどこに相当するでしょうか。

目覚めの前後ではその当てはめた辺だという事になります。



さて、悟りのお話ではポジティブもネガティブもあまり出てきませんし、このブログではそれ程触れていないと思います。

たまには書きますが、あまり重要な事のようには取り扱われていないはずです。

また、考え方のお話はこのブログでは重要視しません。

心の訓練法などという話は全くでない話です。


もちろんそれが有効に働く段階はありますから、それがだめだという事ではありません。


目覚めのお話をするコミュニティーで、劣等生だと感じる方がいらっしゃいますが、実際はその方に合わないというだけであり、優れているとか劣っているという判断は私には起こりません。

そのように見てみると、数々のお話を聞いても全くそれができなかったという方が差取り塾に来てすべてスッキリすることはよくあります。

私の個人的見解ですが、スピリチュアルや目覚めや悟りのお話で一所懸命取り組んでもダメな方(劣等生のような方)に来ていただくことを望んでいます。

大学生が知らないうちに幼稚園に入れられ、一緒にお遊戯させられることに違和感を感じるのと一緒ですし、同じ目線で楽しめないのは当然です。

それが楽しく全く違和感なくできているなら、幼稚園児だという事であり、今必要な事をできている事になります。


その逆も然り。

幼稚園生が大学の勉強に興味を持てない事も自然です。



本当の悟りのお話は、執着に執着しません。

手放すことを手放している人の話です。


思考優位の話はしません。

私はいない

とか言いません。

いてもいなくても関係ないお話です。

何者にも影響されないお話であり、どんな現象にも影響されない話です。


どんな優れた情報を得ようと、どんなに嘘にまみれた情報を得ようと、動じる事はありません。


静寂を得る

そんな事もどうでもいいのです。

悟りを誤解しないでわかる方法があります。

それは悟る事です。


悟らないから何でも好き放題言えてしまうのです。

知ったかぶりの小学生を思い浮かべてみてください。



知恵を駆使しているうちは智慧が現れる事は無いのです。
この件については、あまり気にしなくてよいように思っていましたが、区別ができない状態で囚われている方も少なくないので書いてみたいと思います。

文章は稚拙かもしれませんが、これからの人類が迷わないための指針になるはずです。

大げさに聞こえるかもしれませんが、これを知っていると知らないでは進化のスピードが大きく変わります。


結論から言うと、目覚めと悟りは全く違います。

悟ったといっているほとんどの方が目覚めた状態であって悟っているわけではないという事も事実です。


目覚めを経験した方がそれを悟りと区別できないのは、悟った師匠を持たないないからです。



そして・・・・悟りを好き放題に語ります。

これが最も大きな弊害です。



では、どんな状態が目覚めなのか・・・・・・

目覚めとは現象から抜け出ていない状態です。

覚醒体験は体験という現象を伴いますから、目覚めです。

よく言われる、ワンネス、一瞥・・・・・etc.(私はこういった事にあまり興味はありませんので、好きな方は調べてみてください)

チャネリング、これはもはや目覚めているというよりよく知っているというカテゴリに入るように思います。


ネット上でよく、悟ったという方々がいらっしゃって、その話を聞いてみるのですが、閉口します。

目覚めました、と言ってるなら違和感を覚える事はありません。


また、宇宙人チャネリング系のお話は目覚めのお話であり、「目覚め」と表現していますし、目覚めの話として違和感をほとんど感じる事はありません。




もう一つ入れていきたいお話、カテゴリーがあります。

それはヨガです。

ヨガは目覚めるために行う業であって、ヨガを極めた時、目覚めが起こります。

ですから、ヨガの聖者が発する言葉は、現象界にまだまだ囚われており、人間の観点で語られてるわけですが、大げさにありがたがって聞いている方が多いのはなぜでしょうか。

とても不思議な話です。


この事から、ヨガを極めた方(ヨガ聖者)は目覚めた方と同じくらいの境地だといえます。


目覚めるという事を起こしていく事は悪くありません。

それが悟りだという話になると、思考停止状態を意味します。

実際あちらこちらでそれは起こっていて、悟りを騙ることになります。

しかし、目覚める方々にとって、悟りも目覚めも、ヨガ修行中もヨガ聖者も区別がつかないということは当然といえば当然です。


簡単に概念で分けてみるなら・・・・・

悟りの準備ができた状態が、目覚めた状態、ヨガを極めた状態。


マラソンのスタートを切った状態が目覚めで、ゴールした状態が悟りです。


先ほども以前にも書いたことですが、現象の中に観点がある状態が目覚めで、現象の外に観点があるのが悟り。


悟りに至る時、悟りを得る時、師匠の見えない後押しは大きな割合を占める事になります。

目覚めはそれを必要としません。ある境界を突破する必要が無いからです。


目覚めの境地と悟りの境地は天と地ほどの力の差があります。目覚めた方100人かかっても悟った方一人に及びません。

これと同じような事をお釈迦様も言っていますので参考にされてください。


第三の目を開くことは目覚めですらありません。

霊的能力と目覚めは関係ありません。

以前写真を撮ると透けて映るという方が悟っていると勘違いし、その周りの方々も勘違いをしていましたが、そのエネルギーはとても重いものでした。


本当に悟ったと思っている方には申し訳ないのですが、さらに深めるという意味で良いので、悟りの修行をしに来てはいただけませんか。進んでいけば自然はっきりする事です。

また、目覚めた方はぜひ差取り塾にいらしてください。その先「深く」案内できるところはおそらくここしかありません。

できれば私がいなくなる前に・・・・いなくなったら、私の力は使えません。

その時は深く悟っている者が力を貸すことになると思いますが。


目覚めた段階で満足するという事はとても傲慢な事です。悟っても一緒ですが。

無自覚にその傲慢さをあらわしていても、いずれそのつけを払う事になります。

それでいいのか?

私はそんな風に見ています。

そこまでの素質を持っていながら、そこで終わるのか。

本当にもったいないようにも思いますが、そこからだいたい3回以上の輪廻を通して悟りに行きつくのが通常です。

ネットで語るような方々が悟りの修行をしっかりやろうとする可能性は相当低いように思います。


今は目覚めが起こりやすい時期です。

しかし、悟りやすい時期かというと、やはり師匠につかないかぎり無理でしょう。

悟りは、ビビッときません。

ビビッきたらそれは気付きか目覚めです。



目覚めるという事は、人(地球人)が必ず通るところではありますが、そこで終わってはいけないのです。

しかし、2020年以降、沢山の目覚めが起こるなら、次の修行の価値を知る方が多くなるという事でもあります。


目覚めたという機会を活かすには、悟ったといって語る事ではありません。

このように書くのは本当に申し訳なくも感じるのですが、少なくとも一人でも誰かに伝わる可能性を秘めているなら書くことも悪くないように考えています。

悟ったら、悟った内容を喋る事はありません。

なぜなら、それを語ったところで意味がないどころか迷わせると解るからです。

非二元のお話などその最たるものであって、学んだ方々を妄想の沼に叩き込み捕える為の学びに結果的になっています。

学べば学ぶほど囚われます。


申し訳なく感じるのは、それで食っている人に対してですが、都合悪い真実であっても早期に気付きあらためるなら、代償も少なくて済むのではないでしょうか。


批難されかねないこと書いている事は承知していますが、これから津波がやってきて巻き込まれる場所にいる人がいたら、バカにされてもののしられても声をかけるのが、私が感じる合理性です。

申し訳なく感じるというのは社交辞令です、申し訳ありません、、

もう一つ伝えたいのは、このことに関して、かもしれないというお話ではなく、必ずそうなるという事を書いています。

目覚めと悟りの違いをわかっている事で自分の成長を止めない事になりますから、頭の片隅にでも置いておいてください。

今日は、思考中心のお話でした。

思考的な記事は、人間のエゴが好む記事でもあるのであまり書きたくはないというのが正直なところです。

これは、批判ではなく、見たままを書いています。

多くの方が曖昧な理解のまま行動することをやめると世の中は一気に動きます。

曖昧な理解上ででお金を稼ぐという事の危うさを知らなければいけません。

裸の王様に裸だと言っているだけですが、それでプライドを気づ付けられる方もいるかもしれませんし、何かしらの感情を動かすかもしれません。

しかし、気付き、肯定的に作用する方がいる事も事実です。

その方の為に書いています。

大きな波が来ますから、高いところに移ってください。

私から見て、人間が何か良くなろうとするノウハウや実際の行動を見ていると、毎回おかしなことをしているように見えます。

本来何もしなくても完全無欠であるのになぜあらためて良くなろうとするのでしょうか。

その考え方が自分自身を収縮させ苦しくさせています。


それさえわかれば、何もしなくてもすべて知っている状態に在るわけですが、それを放棄して大きなハンディキャップを自ら背負うところから始める必要は無いとおもいませんか。

それを伝える私の言葉も足りなかったかもしれません。


とりあえず、結論から言うとあなたはすべて知っています。

例えば、知っているのに学ぼうとする・・・・

ここから自由になればなるほど、内側にあるあなたの本質すべての中から叡智を引き出すことが可能になります。


いいですか?

あえて完璧なあなたをディスります。

いつまでそんなことに気づかないでぼーっとしているんですか。

人間がつくった方法では人間を超える事ができない間違えた方法だから、あなたの真価が発揮できないだけです。

あなたが完璧だった境地から創る手法は必然的にそこを示唆し、導きます。

ただ戻るだけなのに苦労をわざわざする。

あなたが完全無欠だった時を思い出そうとするのは愚かな行為です。

今もそうで在り続けているのに、なんで思い出そうとしなければいけないんですか?

今は違うと自分に言い聞かせているようなものです。

もうすこし、ディスりましょうか。

いつまで知らないふりしてるんでしょうか。

本当は知っているのに本気で知らないと言えてしまう事。

あなたが知っている境地に達したならそれを笑ってると思います。

波動をあげようとする?

そんなバカなことを言わないでください。

自分で下げているだけなのに。

それをやめるだけでいいのに、そう言うと、波動の低い言葉を使うのやめようという発想になるのは人間です。

それはやめていません。

やめるという事をやっている。自分自身を制限している。

という事に気付く事が大切です。


人間だからこその発想です。


もう一度書きますが、完全で無欠なのです。

ただ、そうであればいいだけです。

それになろうとしてはいけません。

その理由も上に書いたことと一緒です。


何もしないという事は、寝て待つことではありません。

今のあなたの総力を駆使することができればおのずと道は開けるという事であり、足りないものを足そうとするのは幻想に囚われている時だけなのです。

私は幻想を取りはらうだけでいいのです。

そしたら、手放すことも、善い行いをする事も、勉強する事も・・・・・etc.

完全無欠のあなたには必要なかったという事を知る事になるでしょう。


それを知らしめてやりたい。

というのが私の人間への復讐なのです。

何か少しでも触れたものがあるなら、私の復讐が少し実ったことになります。

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