特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

心を静かにすることが瞑想だと考える

広がった感じが起こる事が瞑想

深く入った感じが瞑想

癒しが起こる

・・・・・

これらは瞑想ではありません。

現れを以って瞑想と言うならそれは違います。

そして、心を静かにすることは瞑想において最初の入り口、準備運動にすぎません。

ヨガが悟りへの準備であるように、心を静かにすることは瞑想の前段階。その事はヨガの成り立ちとほぼ同じです。


多くの瞑想は瞑想をしているようで、瞑想の入り口に立つ練習をしている事になります。

そのことに気づかないでその瞑想を一生続けるなら、入り口にとどまりつづける事を意味するのです。

ここで色々な意見が聞かれるかもしれませんが、それは瞑想の入り口に差し掛からない観点から発せられることが多いと思います。分かりやすく言うとエゴが言っている主張になるという事です。

瞑想をされている方は、心をオープンにして読んでみてください。必ず助けになるります。この瞬間だけでも心を静かにして読むことが大切です。


心を静かにするという事について

心が静かになるという事は一つのフォーカスが起こっているという証拠でもあります。
静かな部分にフォーカスするから静かに感じて当たり前なのです。

もしくはフォーカスを極限までしていくと点になります。点の上には考えが存在するスペースがなくなります。



瞑想の達人がしている瞑想はどのようなものなのでしょうか?

それは、思考をフル回転する瞑想です。
そうは言っても一般的に考えられる思考ではありません。
それを超えた思考を取り扱います。

その様な瞑想法は世の中にあまり伝わっていないようですが、実際聖者の瞑想はそういったものです。
分かりやすいところではミラレパという人の詩を読んでみるとそれが垣間見れるかもしれません。

瞑想を極めた観点で書かれているミラレパの詩は瞑想の真髄も描かれています。

しかし、その真髄は瞑想をきわめてみて初めて理解できる事です。

ミラレパの詩をみて理解した気になるのならそれは一生本当の理解を得られないことになります。


なぜ今この様な事を書くかというと、瞑想は理論的で科学的なアプローチの時代に入り始めているからです。

だからと言ってどこかの大学の先生が提唱しているマインドフルネスとは全く違うことは言っておかなければなりません。

マインドフルネスの瞑想は入り口にも達していない瞑想だからです。それでも効果はあるようなので、その効果で十分な人はそういった選択をすることになりますし、良いも悪いもありません。

瞑想で悟る人は一般的な瞑想の概念にとらわれない人です。

捕らわれている人がいくら瞑想しても、座禅をしてもその境地は得られません。これは動かしがたい事実です。

だからこそそこから抜けるための実践を行っていく・・・・それは修正をしていくことなのです。


ゴルフでフォームが違うのに真っすぐ球を打ち出すことができるでしょうか?

出来たとしても確率は落ちます。

フォームを整える事で球が真っすぐ飛ぶ確率は飛躍的にアップします。

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今瞑想をしているあなたを否定しているのではなく、フォームを変える事で飛躍的に確率が上がるというお話を書いています。

瞑想をしている人は自分が行っている瞑想を否定されると感情的になります。それをやめてみてください。今の瞑想に執着をていることから離れたときに本当の瞑想が理解できます。

誰でも自分が良いと思っているフォームで実践します。しかし、レッスンに行ったなら先生から違うと指摘されないことの方が珍しい事。先生からフォームの指摘を受けて怒る人はあまりいません。

しかし、瞑想をしている人にその瞑想は違うというと気分を害されます。それは、相手に対しての規定(思い込み)や執着の中に生きているからですし、瞑想の効果がそこに現れていない証拠でもあります。

世界的に有名な瞑想も入り口までです。

その先は伝えられる人が殆どいません。インドに行っても無駄です。

多くの瞑想や座戦は間違った理論の元に行われています。


悟ったといわれる人も瞑想を分かっているとは限らないのです。むしろ分かっていないことが多いです。

日本でも有名なヒマラヤ関係の人が言っている事も、間違っているとは言いませんがぼやけているんです。体が浮いても息をしなくても、瞑想を知っているとは言えないのです。

有名な僧や聖者もぼやけたことを言っているのですが、それに気づけますか?世界にはほぼいないのです。

それでも看板や系統で判断する人はそちらを選んで良いと思います。今はそれが合っているからです。

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2016/12/08 02:06 差取り塾の瞑想 TB(0) コメント(-)
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