特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

美を追求しそれを表す人。

表面的でも美しくなることに力を注ぐ人。

美を追求するあまり、すべてをなげうつ人。

・・・・

世の中「美」を追い求める人は数多くいます。

「美」とは何か?

それを哲学のように持っている人も追求の過程で通る道。

しかし「美」を哲学したとしても、「美」を知っている事とは違います。

「美」の哲学は「美とはこうだ」という本人の主張なのですから。

人は「美」の追求を通してある深淵に触れることになります。その深淵を定義することが美の哲学。しかし、定義に意志(意思)が入るので主張になるのです。

「美」を追求する人は深淵に触れています。

そして

「美」を求める人は表れたそれを見て美を感じます。

表面にこだわりその表面を良くするための努力で少し内面を向いていくことになります。


■なぜ美を求めるのか

「美」を追求するする人も求める人も、どうして「美」に魅了されるのか探求する人は稀です。


茶道・華道・弓道・・・・

道を追求する人はいますが、なぜ追求したいのか知ろうとする機会はほとんどないことと同じです。


追求に忙しく意識を使っている事で、追求した結果をもって終わります。それを哲学といいます。

そこからさらに極める事で、美が自分のものとなります。

「美」を求めるとき、あなたのどこかに「ある青写真」があります。知っているそれに魅力を感じるから求めるという動きが起こります。

その「美の衝動」を羅針盤に美の究極に進もうとしますがそれは衝動であって、「美」そのものではありません。

衝動を超え、それを知り「美」が自分のものとなったとき、哲学は消え、「美」のあるがままを知ることになります。

すると芸術性を有するものは総て次元が変わります。そして見るもの総てに芸術性をみることになります。


「美」の追求を超えて(終えて)こそ、「美」を悟ることが出来るのです。

茶道


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2017/07/28 10:19 悟り TB(0) コメント(-)
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