特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

自覚という言葉に聞きなれないと感じる方も多くいらっしゃると思いますが、自覚ってどうなの?というお話に少しお付き合いください。

お付き合いしていただいているうちに、思考の外からほどけているはずです。

自覚をすると悟る?

これはyes

ですが、自覚をしているつもりなら答えはnoになります。

自覚っぽいことして、自覚を誤解する人は沢山いますし、それで発信までしてしまう人もいますが、それはそれでいつか気が付く時が来れば自覚になるように思います。

自覚をして、生活が変わった

という人がいたなら、自覚をすると生活が変わるの?という質問が起こるかもしれません。

その答えは厳密にいえばno

結果にフォーカスするならyes

です。

自覚とはこういうものだという答えを表したなら、その答えすべては×です。

自覚で私を知れば悟ることができる?

答えはno

私を知ると悟る?

no

なぜnoなのかといえば、ここに書いてあることが真実なのではなく、ここに書いてあることを通して、あなたがあなたの中に真実を在るようにするからです。

あなたがどのような真実を創り出したかは、ここではわかりません。

「私」をみるんですよ

とお伝えしたとき、伝えたいことをそのままできる人は今まで一人しか会ったことがありません。

それでも勝手に分かったと思う人は後を絶ちません。

「その自転車を見てください」といった時、自転車を見ることができますか?

自転車

簡単ですね。

でも、おそらく自転車は見ていないと思います。

自転車が近くにあればあるほど、自転車は見なくなります。

知っていましたか?

知らずにそれをやっているのです。

間近にあったら多くの人が自転車を見ることができないのです。

そんなことはないと考えるのなら、この話はそれで終わります。

そして、自転車をみることなくその場を立ち去っていくのです。


そんな分かり切ったことを分かり切ったと思い込んでしまうのが人の思考です。

早く答えが欲しいと考え、急ぐあまり見逃していることが沢山あります。

いったんそこで立ち止まり、今、自分自身の心がどう動いているか、つぶさに見てみることが大切です。

さて、自転車の話でここまで引っ張りましたが・・・

答えを書くとなーんだで終わるかもしれませんし、あぁ・・・と気づく人がいるかもしれません。

これはあくまで例であって、そのようなことがそこかしこで起こっているという事です。

「ちゃんとみてるよ!」

「見ていないわけない!」

そんな風に自転車を目の前に言う人も珍しくないと思います。

これが世の中の仕組みです。

思い込みから抜けられないという仕組み。それがその世の中の仕組みだという事が分かったら、あなたは変わらざるを得ないと思うのですがいかがでしょうか?

すべては現れているのにそれを見ていない。

そんなはずはないとは思いませんか?

以前「私は盲目だ」と感じながらもどうしていいのかわかりませんでした。その立場からものを考えてもどうしても思い込みを材料に考えてしまう。それが今ではわかりますが、当時は気持ち悪さしか感じることができませんでした。

それでずいぶん苦しみましたし、それを解決する手段は無く、本を読んでも全く答えを得られませんでした。

それでも探し続け、本を読んでいくうちに何となくわかったようなところもありましたがすっきりすることはありません。

分かった気になって痛い目を見たことも、痛い行動もたくさんしていたように思います。

分かっていることと分かっていないことの区別はわからないときはできません。

そして、分かった時「分かっていなかったな」と分かるのですが、当たり前すぎて忘れ去られています。

しかし、知らなくても何となく気づいている人は物事に真摯です。

「知らない」という事を知っていると真摯にならざるを得ないのです。

これを読んで知りましたか?

目の前の自転車を見ることができたでしょうか?

自転車を見るのはこの後の追記で・・・

追記を安易に開くならそれは真摯な状態ではありません。

開いても何も起こりませんし変わらないでしょう。

また、「追記で」を読んで、追加の記事を待つ人もいるかもしれませんが、それも思いからくる勘違いです。

自転車ギヤ

さて、目の前の自転車

それを見てくださいというと多くの人は自転車のパーツにフォーカスを起こします。

それで「見た」と言い

見たこととしています。

それを気が付かないでスルーしているうちに思い込みが生まれ始めます。

ハンドルを見て「自転車をみた」という人もいればタイヤを見て「自転車を見た」という人もいますが、皆さん一応に「自転車を見た」というのです。

そして、ハンドルを見た人とタイヤを見た人で意見の食い違いが発生し、争いさえ起こります。

自分の観点で判断してもそういったことが往々にして起こります。

それでも、独学で勉強を続けるのでしょうか?

自分自身の意識・心は間近どころではないのです。

その不合理性が伝わったでしょうか?

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2017/08/09 14:43 明人の独り言 TB(0) コメント(-)
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