特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

今日は差取り塾でどんな事をやっているのか書いてみたいと思います。

わかりやすく言うと己を知ることなのですが、それでくくれるところではありません。

己を知ることと言うと、「あ~そういうことね」と考えますが、そういうことではありません。

「そういうこと」と言っているとき、それは自分自身の理解の中でしか考えることが出来ていない表れで、「そういうこと」と言いながら同時にメモリー(知識)を辿っているのです。

「そういうこと」とすぐに考えてしまう人は自分の知識以外の事を吸収出来ないのです。

それを柔らかくして溶かしていくことは大切なことです。

理解とは、今の知識以外の知識を受け入れ、自分のモノとすること。


受け入れ体制が出来ていると自然に理解が起こり始める


これが最も大切なことの一つです。

人は理解が起こると、受け入れ体制を一端閉じてしまう傾向があります。

閉じることで、閉じこめてしまうモノがあります。

それは他でもない自分自身

そして苦しむ

その仕組みは頭でわかってもなんの支えにもなりません。

それを本当の意味で理解する事は日常生活では起こらない事です。

それをどうやって伝えているのか・・・

差取り塾の人はは無理なく出来ることを、無理なく出来る人がやります。

何も求めませんし、無理しているならやめるようにも言います。

「自覚」を続けるうちに出来る人が自然な形でやるようになります。

人のために何かやることはなく、自分の為にやったことが人のためになっている状態が自然に起こり出します。

そういった循環が勝手に出来て、澱みが無くなっていきます。

その循環にふれる人の意識も澱みが無くなります。

澱みがある時、誰かが掻き回します。するとその澱みに自分で気付きます。

澱みをかき回してあげるのは結構な労力を必要とするのですが、自分で出来るようになるまでみなさん惜しみなくお手伝いしてくれます。

ですから澱んでいるところがどんどん無くなっていきます。

何故、みなさんがお手伝いするかといえば、合理的に考えるとそれが明らかに得だと知っているからです。

差取り塾は個人が「自覚」を伝えているコミュニティーではないのです。最初は一人で掻き回していましたが、今では多くの人がそれをしています。

掻き回し方もバラエティーに富んでいます。

掻き回すといっても、一朝一夕に出来ることではありません。

自分自身を知り、相手を深く知ろうとする決した心を持ち合わせていない人はただ傷つけるだけだからです。

おちゃらけた事を言って安心させる事とは違います。

それはどんな事かというと・・・・

安心感を共有する(特別感の共有・志の共有・善行しているという思い込みの共有・・・)

依存心を刺激する(もたれ合いの仲間意識・養護・・・)

共感を与える(一緒に泣く・縁・・・)

恐怖心を利用する(恐怖心を置き換えて巧妙に無くなったようにする・・・)

etc....

差取り塾で自分だけ良ければいいという考え方は自然になくなっています。

それは教えを守るという話ではなく、それが理にかなっていると知るようになるからです。

ですから、本気で皆さんお付き合いしています。

物事に向き合わないことは自分を追い込むことと深く理解しているなら、一人ひとりが向き合う事も当然になり誰かが停滞していたらそれに真剣に向き合います。

大切なのは一緒に向き合うという事

当の本人が向き合いたくないのに他者が向き合おうとさせることは苦しみを生みます。

本人に向き合う準備ができるまで、その準備を手伝う。

そして、向き合う準備ができたとき、核心に一緒に向き合ってみる。

すると、本人だけではなく一緒に向き合った人にも自覚が起きていくのです。

ですから、他人事ではないのです。

そこで、ごまかすようなことはしっかり自覚している人には起きません。

ごまかし、向き合う姿勢が少しでもずれたなら受け止められないことを知っているからです。

テーブルの上にボールを落とすようなものです。テーブルが少しでも傾いたらボールは落ちてしまうのです。

真剣勝負の中で、真正面から取り組むことを体で分かる(この場合意識ですが・・・)これができるようになると、どんなことにおいても知恵が湧くようになってくるのです。

テキストなどはありませんが、そういった仕組みを自然に分かっていくのが差取り塾です。

差取り塾の皆さんがテキストであり、仏教でいうなら仏法です。道元禅師が中国から持ち帰った仏法と同じものです。

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テキストは逆にじゃまなのです。

人間は理解できないのです。違う言い方をするなら、人間の意識では理解できない。さらに言うと、思考での理解を超えているとうことです。

意識を扱えるようになるには、テキストで勉強してはいけませんし、本を勉強してはいけません。

一緒に体を張って「自覚」していったとき、マインドで理解できない何かを知ることになるからです。

ですから、数回のセッションで悟りや「自覚」を伝えることなど不可能なのです。

稀に一瞬ですべてが分かる人もいますが、それは極稀な事でしかありません。

差取り塾である程度進んだ人は、伝える事も学び始めます。

そこにもテキストはありません。

一歩一歩何を伝えるべきなのか知っていきます。

それがシンプルになればなるほど、核心を示唆するようになっていきます。

伝えるものは示唆し、学ぶものはそれを悟る

思考を超えたそれらはその様に伝える事が最も合理的です。

答えを言った瞬間にマインドの渦中に落ち、マインドの外の理解が起きにくい状態になるのです。

これを明確に分かってやっているところは世界中探しても、差取り塾しかないと思います。

精密に作用させる事を何年も磨いてきた結果です。

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2017/08/16 13:15 明人からのお知らせ TB(0) コメント(-)
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