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特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

例えば、信仰していることを捨てたなら悟りを開けるという真実があったなら、信仰を捨てるでしょうか?

そもそも、悟りとは別に信仰をしているなら愚問になってしまいそうですが読み進めてみてください。

しかし、悟りを得ようとして信仰をしているなら湧きおこる何かがあるかもしれません。

信仰と聞いて宗教をやっていないから関係ないと考える。

それは違います。

これを読んでいる人すべて信仰があります。

[名](スル)《古くは「しんごう」》
  1.  1.神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」

  2.  2.特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」

gooより

ということです。

信仰をけがされたなら、何かが動きます。

しかし、「その信仰をやめたら、その好きなものをやめたら悟ります。」などと聞いても、その悟りに興味がなかったり、嫌悪感などいろいろな考えがあるのなら、捨てる気にもなりません。

この話を進めるためには悟りの話もしなければなりません。

悟りとはどのようなものなのか?

誤解と妄想の中で悟りが規定されているわけですが、それを何とかしようとすればするほど信仰心が強い人ほど離れていくのかもしれません。

悟りについて語られたものはありますが、それはすべて間違えています。

なぜそのように言えるかというと、それを理解する土壌がない者が理解した気になって、妄想しているだけだからです。

その状態を間違えていると言っているのであって、書いてあることが間違えだという事でなありません。

どれだけ正しいことが書いてあろうが間違えたことをかこうが、読むものが分かっていなければ想像して理解した気になるしかないのです。

その事はどうお伝えしたら伝わるの分かりません。

チベットの偉い人の話を聞いて、思いをはせる・・・・

お釈迦様の話を読んで、イエスキリストの話を読んで、松下幸之助の話を読んで、世界で成功したといわれる人の話を読んで・・・・・

これは理解していることになるのでしょうか?

その区別がつかない人はいつまでも妄想に明け暮れ続け、人生を妄想の中で終わらせていきます。

悟りとは明確に区別ができる状態でもあります。

経済学者が悟ったとしたら、明確に何が作用し、どのようなプロセスで経済が動いているのか思考を超えた理解が訪れます。そして、ノーベル賞をもらえるくらいの発見をするでしょう。

心理学者が悟ったなら、過去の偉大な心理学者が提唱していることが子供じみて感じると思います。

物理学者が悟ったら、物理現象をつくる「それ」を知る事になります・・・・

・・・・etc......

しかし、学者ほど信仰が厚いように思います。

信仰とは知識であり、そこから生み出される思考です。

現象を紐解こうとした時、結果に対してどのような考えをつけるかは自由です。

自由な考えに裏付けが付けばつくほどそれは正しいと評価されるようになります。

それが真実であろうがなかろうが、裏付けが沢山あると真実のように見えてくる。

それが在るがまま起こっている事。

だから後に理論がひっくり返ったりするのです。

確実なことはなんでしょうか?

それを一つ一つ確認していくこと。

あなたにとって裏付けとは何でしょうか?

スタップ細胞の実験結果が怪しかったらそれは無かったのでしょうか?

誰が怪しいと言っていたのでしょうか?

誰がそれを嘘だと言ったのでしょう?

何が真実で何が嘘だったのでしょうか?

こういった事で知る機会は沢山あるのです。

あなたがいくら裏付けをとろうと裏付けるものが嘘だとしたら、どうするのでしょうか?

裏付けることに頼るから裏付けに騙されます。

誰かが言っている時点で嘘である可能性、勘違いである可能性があるのです。

そういった不確実な真実を探し続けていることに気づくのなら、真実を探す次元が変わるかもしれません。

話はそれましたが、信仰は全人類がしているといっても過言ではありません。

もちろんこれを読んでいるあなたもです。

その信仰を捨てた時、真実が見えます。

信仰を捨て真実が見える

というプロセスを悟りという表現をしても良いのかもしれません。

しかし、それ自体を悟りと言ってはいけないのです。


信仰とは何か?

信じる者から自由な者になった時、身に染みて分かる事でもあります。


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2018/03/06 19:33 差取り TB(0) コメント(-)
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