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特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

たまには悟りの事を書いてみたいと思います。

普段あまり書かないのは、悟りが特別なものだと認識されていることが多いからで、特別に感じているからこそ、いぶかしい目にさらされるように思うからです。

私にとっては何の変哲もない事ですが、多くの人はそうではないからこそ、悟りの誤解を解いて理解が起こればだれにでも必要と分かるように思います。



ヨガにおける現象は悟りとは全く関係ありません。

長い時間息を止められるようになっても、空中に浮いたとしても、意識が成熟している事とは無縁です。

ですから、そういった人に息の止め方を聞くのは勉強になるかもしれませんが、どのようにしたら幸せに生きられるか聞くのとは専門外で、畑違いです。

そもそもヨガは悟りの準備段階であり、ヨガを極めた後、悟りの修行にやっと入れると考えられていますし、私から見てもその通りです。

ですから、宇宙に行くために電車や飛行機を乗り継いでいる状態で、NASAからロケットに乗る前の道のりということです。

ロケットにのる前の人に宇宙の話を聞くようなものなのです。

悟りの為にヨガをやらなければいけない人は、随分前の状態から始めなければいけないことを示しており、ヨガで悟ろうとすることは必要な人には必要なのかもしれませんが、そうではない人が悟りの為にヨガをやるのは回り道でしかありません。

サマーディーという状態は、考えの世界での現象です。

ヨガをやりながら悟りを開くという事はあり得ません。ヨガの経典にも書いてあります。

ヨガの修行が終わってからその道への扉が開くのです。

詳しく知りたい方は調べるか、私に聞きに来てください。

差取り塾にはヨガ哲学に詳しい方もいらっしゃいます。

ヨガの目的も様々で何かの達成感(美容や健康など)の為にやっているならその限りではありません。


能力と悟りは関係ありません。

むしろ能力は悟りから遠ざかるか、悟りにわずかでも近づくための手段であり、誤解から生まれた手法です。

先ほどの書きまたが宇宙を目指している人に話を聞くことは違うのです。

その話に乗る人は乗ります。

好感を持っていたり自分より上だと思っている人の話は盲目的に聞き入れてしまう事は世界中、色々な場面で起こってます。


もし、悟りを開きたいと考えても、そういった人の話に巻き込まれるのはその段階だという事なのです。

本物と偽物の区別をつける必要なく、自分自身がそういった状態である・・・・

これが分かるでしょうか。


いい加減なことを言っても、それを聞きたいニーズがある。

いい加減なことを言っていることについて批判することは合理的な行動ではありません。

それを聞きたい人がいるのですから。

それを聞いている人は騙されているという見方はちょっと違います。

聞く人は満たしたい何かがあり、いい加減なことを言う人は何かの形でそれを満たしてあげているからです。

宇宙の話を聞きたいのであって、宇宙を知りたいわけではない。ということです。

そこでギブアンドテイクの関係が成り立っています。

その関係性を崩そうとする人は敵視されてしまいます。

善意は悪意にとられ、悪意は善意にとられます。

そこにいる限り成長がないのではなく、その心持ちでいる限り形を変え同じことを繰り返す事になります。


悟るという事は一般的な意味として、その場で感じられる(五感・六感で)ものを知る事と表すことができるのではないでしょうか。

ですから、悟りとはこういったものです。と言った時、現れてしまったので、それは悟りではなくなるのです。

しかし、悟りを求める人は現れたモノにしか興味を示さないことが大多数でそこに気づく人は極わずかです。

小さな悟りはあちこちで起こっていて、日常的に誰にでも起こっているものです。

しかし、それが無意識のうちに起こっているからこそ、わざわざ探す旅に出てしまいます。


小さな悟りといえど、それが沢山起こっている人は、生活を営むうえで大きな恩恵を受けて生きているようです。

本人が気付かなくてもそういった悟りは起こり続けていますし、それをもう少し深く知った人はその世界においてさらに優位な立場を築いています。

そういったところから悟りは既にあります。

日常の無意識の中に起こっている悟り。

無意識を意識化したらどうなるでしょうか。

そういった感覚が悟りを示唆します。

日常的に、特に日本人はそれに多く触れています。

口で表したら悟りではない事が理論的に分かったでしょうか。


おそらく世界初の理論です。

論理はありましたが理論はありませんでした。


差取り塾では論理の話はしません。

理論。

その違いをはっきり分かる事は難しいかもしれませんし区別がつかないかもしれません。

しかし、論理で進む人と理論で進む人の差は「地図を持たない徒歩」と「新幹線」くらいの差だと思ていただいて結構です。

それらしいことは論理で

「それ」は理論です。


悟りとは○○です

というなら、それらしい論理で目をくらまし、ごまかそうとしているという事です。

今日の理論を理解できた人なら分かります。

言っている本人は気づかずに言っているのですから、裸の王様と同様です。

裸の王様には沢山の味方が付いています。

ですから、そこで「王様は裸だ」と言ってはいけません。

正しいことを言う事は間違えています。

これを的確に表現しなおすと

正確なこと(情報)を言う事は人の執着している「考え次第」で、傷つけたり争いを起こしたりします。

となります。

悟りを開くと正確な情報すなわち、在るがままに物事を観ることができるようになります。

しかし、観たままをそのまま伝えることは正しい事とは言えないのです。


今日の理論を分からなくても構いません。

それをもって劣っているという条件にはなりません。

もっと大切な事をあなたは知っているはずです。

その大切なものを思い出す呼び水となる理解も差取り塾で起こる一つのことです。

論理は妄想を呼び、理論は真実に導きます。



【お知らせ:都内で開催のお話会について】

6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。
一般7,000円

お申し込みは差取り塾HPよりお願いします。

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2018/04/24 02:00 差取り TB(0) コメント(-)
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