特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

先日悟りについて久しぶりに書きました。

悟りは、それが在るのではなく、物事に真正面から向き合った先、向き合いきった時垣間見えるものです。

ですから、悟ろうとする人はそこを目的にするのですからそれを知る手段を飛ばしがちになってしまいます。


それよりも、真剣に向き合ってきた人は無意識のうちにそこを垣間見ています。

ですから、そういった人が差取り塾に来るととても早く進むのです。


正直悟りという言葉はどうでもよく、場合によっては邪魔にしかなりません。

本気で向き合った人に訪れる在るがままとでも表現したらいいでしょうか。

何ものからも逃げない本気を表すことができた人に与えられるギフトのようにも見えるかもしれません。


そういった理屈を超えたものについて、人間の理屈で目指すことの浅はかさを感じます。

分からなくなったら、「神のみぞ知る」と言って、思考を停止させます。

本当にそうなのでしょうか。

少なくとも知った人は違うというでしょう。

そこに行きつく過程で大切なのは、「私自身がそう考えている」という事をまず知る事。

そこにすべての答えが在るからです。


その答えを考えようとするのが、人間の習慣です。

そして、人間としての常識の中にとどまり続けます。


人間の意識のボーダーラインに立った人が「神を見た」といいます。

しかし、それは神ではなく、人間という常識から自由である自分自身の意識に触れたために起こる現象です。


本気で、死に物狂いで、向き合った時、はからずもそのボーダーラインに立ち、超える人もいます。

一度その境地を知った者は、またそれを求めるようになります。

それは一般的に無我夢中の時に起きることが多いようです。

それを人間が実現しようとした時、最も効果的な事が「追い込むこと」「追い込まれること」なので、そういった手法を用いることが多くなります。

しかし、それは人間的な方法です。

すると、危険も伴い場合によっては命を落とすこともあります。

限界まで追い込むことによってうまくいった時はその境地に身を置けますが、うまくいかなかったときはクラッシュします。


今までの世の中では人間の意識でそこに到達する方法が殆どだったと思いますが今は進化しています。

追い込むことで何かを成し得るという事は、古くて合理的ではないということですが、いまだにそれは多く行われています。

だからと言ってぬるいわけではありません。


気休めな話をして向き合えるはずもありません。


追い込まれて神を見るような状況をつくりだす、意識を再現すればよいだけの事ですが、それが思考では出来ないのです。

それを意図的に可能にすることが最も近道になると思いませんか。


意図的というところが大切で、なんとなくそうなっている人はかなりいます。

なんとなくを意図的にする事。

まぐれを意図的に起こすこと

それができるのです。


人間の意識を超えたところは人間にはわかりません。

それを人間の意識で何とかして分かろうとするから、ずっと分かる事ができない状態が続きます。

それをしなければスパイラルにはまることなくスパイラルから抜けることができるのです。

これを読みながら方法を探るならスパイラルにはまっています。

それでも、多くの人が理解を得ようとして、スパイラルにはまっています。


これを読んで、答えを得ようとしているのは人間の意識なのです。

私も同じことを今したら分からなくなります。ですから心配しないでください。理由はハッキリしています。


くどい様ですが今綴っていることは人間の意識では理解できません。

できないからこそ、その先に行ってからにすればよいのです。

今できないことを考えつづける事は向き合っている事でしょうか。


今できる事に対して最大限善処することが向き合う事ではないでしょうか。


それをしないで逃げているなら(できない事に意識を注いでいるなら)状況は変わりません。


逃げることが必要な人もいます。

それは別の言い方をすると、向き合いきれない、その段階にないとも言えます。

その時もその時にできることがあります。

その過程は誰でも通るものです。

何かを勉強して安心することも必要な時期もあります。

しかし、いつかは卒業する時期が来ます。

そして、向き合える体力・精神力が人生の営みで培われ始めていきます。

その様な時に差取り塾を思い出してください。


昨日も書きましたが、「悟りとは○○だ」と言って安心するのは逃げであり、向き合う事を放棄して思い込みで安心しようとする人間の行動です。

人間は規定すると一時的に安堵します。一時的が一生続くことも珍しいことではありません。
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2018/04/25 12:24 悟り TB(0) コメント(-)
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