FC2ブログ
特別なことをやめると自然になります。
カレンダー
07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
新着記事
応援クリックお願いします!
プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

人の話を聞かないでがむしゃらにやっている人。

何かを求めているけど、何を求めているのか今一つはっきりしない。

信念めいたものが見えているようで、それが何なのかはっきりしない。

探しているモノが見つかったような気がして、それを今一生懸命やっている・・・しかし、うまくいかなくなる。

何かをしなければいけないという衝動があり続ける。


差取り塾に来る人の数年前の状況を少し書いてみました。

そういった時、失敗もすれば、苦しみを生んであきらめを感じているかもしれません。


私も褒められるような人生を送っては来ていません。

それを正当化しようとは思いませんが、それも必要なことだったように今は感じています。

沢山の失敗があって、沢山の苦しみや悲しみがあって、大切なことになかなか気づけず、やっとの思いで何が大切か分かったように思うからです。

今はその様なものと随分遠くなりました。

遠くなっただけではなく、なぜそのような衝動に動かされていたかもわかるようになったからこそ、落ち着いています。

悟りの「さ」も求めていませんでした。


人間の行動に疑問を感じながらも、ハッキリわからない時は違和感だけがあります。

違和感が示すものが分からないから、「自分がおかしいのか」という疑いも生まれます。

違和感を払しょくしようと行動を起こすと、摩擦が生まれやすくなります。

その摩擦で、自分自身が疲弊し、苦しむことになります。


今、10年前の自分自身を差取り塾に招待したいかと聞かれるなら、間違いなく「しません」と答えます。

なぜなら、本人の意思は固いからです。

お知らせすることはできても、どうするかは本人次第。

ですから、ブログを書き続けているわけです。


自分でさえ無理強いできないのですから、これを読んで入らない人を責めることなどできませんね。

10年前、数年前の自分自身にどう話したらわかってもらえるのかという話はそれ程生産的な話ではなかったかもしれません。


差取り塾に入って、ある程度たった人はその価値を知っていますが、外にいる人にその価値をわかってもらうのは難しですね。

形がないのですから。

私は楽になろうと思って生きていたわけではなかったし、楽になる時は死んだ後だと思っていました。

この世の中で何をすればいいのかという衝動からくる疑問をずっと抱えていたように思います。

そういったものから自由になったのではなく、それを知ったことで、スッキリ生きているとも言えます。

観点を変えると、自由であるとも言えます。

知りたいことはすべて私の中から分かる。

それがどれ程素晴らしい事か、それも求めていたことの一つだと、今はわかっていますが、当時は・・・・・でした。

ですから、分かる人を求めました。

分かる人が特別に見えました。

そして、分かる人をリスペクトすることもありました。

その時は、自分で分かるという事を放棄していたことになります。

分かる人に質問し、わからない自分をなだめていたのかもしれません。

それと同時に、自分は本当に盲目だという事も感じていました。


同じような人は沢山いると思います。


しかし、自分で分かるようになるんです。


今すごいと思っているあの人の言っていることが、後になって子供じみて感じる・・・

その様になっていることに気づきます。

それ程自覚による成長は早いです。



なぜこの様なことを今書いているかというと、数年前に会ったことがある、黄金のオーラをまとって・・・・といっている人のサイトを偶然見ることになったからかもしれません。

まったく変わり映えのしないことが書かれていて、違う事を始めているのに意識は変わらないために、同じことを繰り返していることに気づけません。

私が知っている当時と同じような人を集めています。

それが悪い事かと言えばそうではありません。

それをきっかけに成長が起こる人がいるからです。

しかし、多くの人はそこで停滞します。

その停滞が許せない人は、そこからはじき出されることになるかもしれません。


はじき出されたように感じても、それは肯定的な出来事です。

なぜ、黄金のオーラを持つことができるかという事だけここに書いておきます。

29136217.jpeg


それは・・・

思い込みが強いから

です。


思い込みは現象の世界で大きな影響力を持っています。

その事についてはまた別の機会にしましょう。


思い込みが強い人にはあまり近づかないことが得策です。

思い込みで攻撃されていると感じ、思い込みより攻撃を始める事の可能性が高くなります。


イエスキリストがこの世に生まれたとして、目立つことをすると思いますか?

お祭りの山車のように、見た目の主張をするでしょうか。

人間の神様感からするとそのように考えるかもしれません。


そういった役が必要だとしても、イエスの役目ではありません。

(後から分かったことですが、その人は本で読んだ知識を思い込みとブレンドしてしゃべっていたことが殆どでした。そのブレンドが上手な人は沢山います。)

悟ってますと言っている人でも、この人はよく勉強しているなと思う人はいらっしゃいます。意識を読まれればわかってしまうのに、当人は裸の王様なのです。

※そこのあなたのことを言っているわけではありません。それは思い込みです(笑)

話がそれていきそうなのでこの辺にしておきます。



頑固な人はその頑固さ、悪くありません。

しかし、頑固さだけでは良くも悪くも作用します。

その頑固さをうまく使えるなら大きな推進力になります。

しかし、本人が納得しないと動かないというのが頑固さです。

納得の出所が分かってくると頑固さが輝き自分自身を導いていきます。

わかっていて納得できないというのは頑固さではなく、頑なと言います。

何か琴線に触れないかぎり人は動きません。

その琴線の次元が運命を決めます。

どの琴線に従って生きているか。

それが進む道を決めさせます。


ですから、黄金のオーラで揺れる琴線とはそういう事です。

否定も肯定もありません。その琴線に触れ、反応しているという事を知るというのが大切なのです。

それを知らないままに行動しているという事がどういう事なのかはもはや愚問です。

琴線に触れている事、それを知ることが大切であって、それに基づいて無自覚に行動を起こすなら琴線には気づけません。


このブログはなるべく琴線をかきならさないように書いているつもりです。

琴線が鳴り響くとそちらに意識が動いてしまうからです。

それでも、動かされない人が近い人です。


今日のブログを読んで、あなたに眠っている何かに気づいたでしょうか。

ただの勧誘ではありません。

向き合って読んでくれた人には必ず何かをもたらしています。

そうしているあなた自身が唯一の真実なのです。



【お知らせ:都内で開催のお話会について】

6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。
一般7,000円

お申し込みは差取り塾HPよりお願いします。
スポンサーサイト
2018/05/11 12:52 差取り TB(0) コメント(-)
トラックバック
http://subetetsunagaru.blog133.fc2.com/tb.php/1631-30c5f3fc
差取り塾のお知らせ
差取り塾へのお問い合わせはHPからお願いします。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム