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特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

なぜ私が今この様なことを伝えているのか振り返ってみると、あるころから世の中を知りたいという衝動がいつもあったように思います。

世の中の仕組みを知りたい。

これが一番大きなきっかけだと思います。

それを知るために色々なところで一生懸命やってみました。

一生懸命やっていると、そこにいる先生から恐れられたり、技術を盗もうとしていると言われたり予想だにしない結果もありましたし、やっているうちに違う事が後から分かる事も多かったように思います。

そういったことを突き詰めるうちに、周囲の人たちの言葉にも違和感を感じながら生きていて、それに対して怒りを感じたり、悲しみを感じる事もありました。

何だかわからないけど、感情が出てくるのです。

今なら、感情が道を指し示してくれていたという事も知っていますが、それを分からない当時は、苦しみにしか感じません。


そうしているうちに「悟り」という言葉に触れました。悟りのマスターがいて、悟りに導いてくれるというのです。

最初、怪しさと共にいったん忘れましたが、大きな出来事をきっかけになんでもいいからやってみようという気になり、そのコミュニティーに参加してみました。

そこで悟りについて知っていくのですが、そこで「悟りました」と今は言う必要もありません。

結果が全てですから。

しかし、悟りを通して知ったことは沢山あります。


今、それが生きることに大きく貢献していることも否定できないくらいの事実です。


さて、そこで思うのですが、私は悟りなど求めたことはありませんでした。

世の中の仕組み、森羅万象の仕組みを知ったら、生きることがもっと楽に明確になるのではないかという確信のような妄想のようなことをずっと求めていたにすぎません。

ですから、お金を儲けるという事もやってみましたし、仕事も睡眠削って休まずやり続けたこともあります。世の中で不思議だと言われるような現象にも飛び込んでみました。

とにかくそれと決めて、一生懸命やったのです。


そうしているうちに今があるのですが、最も大切事は物事を一生懸命突き詰めてみる姿勢だと思います。

どんなことでも、一生懸命向き合っているうちに何となく本質が分かってきます。

本質がないものについて、嘘があるものについてはそうしているうちにいずれ分かります。


ですから、一生懸命向き合う姿勢は、最終的に自分自身を守ってくれるお守りのように作用します。

それをしないで誰かに、何かに守ってもらおうとする人間は大勢います。

そういった人たちはその時点で地獄に片足突っ込んでいる事にも気づかないまま、目先の損得勘定に夢中です。

そうしているうちに自分の力で歩く人はその横を通り過ぎていきます。

これは事実なのです。

甘えはなくなればなくなるほど、生きることがシンプルに楽になっていきます。

そして、合理的な思考ができるようになり、それが顕著になってくると、どんなことをやってもうまくいく確率が高まります。


だからと言って差取り塾が厳しいところというのは違います。

合理性を重視します。

すると、甘えを無くしたいと努力する人にはそのように話しますし、甘えていたい人にはそれなりに話すという事になります。

本人にとって合理的な進み方とは何かを突き詰めていくのが私の役目です。

ですから一人ひとりに対してオーダーメードのやり方を採用するしかありません。

大勢集めて一つの話をするという事は、一人ひとりに対しての合理性からは離れます。



ここで少し脱線するかもしれませんが、これも差取り塾の理解の一部です・・・・


感謝

この言葉、多くの皆さんが何となく使っています。

胡散臭い使われ方も、すがすがしい使われ方もします。

「感謝しなさい」と感謝の意味が解らない人が使います。

これが世の中の仕組みの一つです。

ぼやけた中でぼやけた言葉を使って、ぼやけた結果をつくろうとするなら、いつハッキリするのでしょうか。


感謝とはどのような事なのか理論的に、感情を一切入れず知ってみる事で、感謝の仕方も使い方も変わっていくのではないでしょうか。

感謝がない人は物事の理解が薄い人です。


感謝とは理解です。

理解が起こらないと感謝は起こりません。

神様への理解がないのに神様に感謝することがおかしなことなのです(多くの理解だと思っている事は誰かに聞いた妄想です)。

感謝する色々なシチュエーションを通して、感謝とは何なのか理解してみてください。

「ありがたいな」と思った時、自分自身の中でなにが起こっているのかを知ることが、感謝の理解に繋がります。

多くの場合、感謝は自分の都合と相手の行為が合致しした時に起こりますが、それはとても表面的な感謝です。

それを感謝と思うなら、感謝を深く理解することができないばかりか、思考停止に陥っています。

「本当にありがたいな」と感じた時、あなたは感謝を理解していますし、深い理解を同時に無意識も含めて感じています。

それが多ければ多いほど、理解の範疇が広がっていきます。

感謝を通してそのようなことが起こっているから、感謝することを先人たちは勧めてきたのかもしれません。

「だから感謝するといいんだよ」

という話は差取り塾ではしません。

感覚が伴った理解が感謝です。

その感覚についても知るなら、もう一歩深くなります。

すると、表れてくる感謝と、しようとする感謝の違いが分かります。

その時、ある理解が起こっています。

その理解は時間と共に顕在化してきます。

今しようとしている感謝はどういった感謝なのか。

起こってくる感謝は成長させ、しようとする感謝は停滞させます。


ここで答えを書くことは思考を停止させる人を多く生み出します。

ここまで書いたなら一生懸命向き合う人には既に理解が起こっているでしょう。

答えを文章から探した人には理解が起こる代わりに、嫌悪感や気持悪い感覚が起こっているのではないでしょうか。

それも、人間の仕組みですが、そこを少しづつでも超えることが理解の範疇を広げることになります。


個人的な必然があります。

それを個性と呼びます。

個性に左右されているうちは、その度に思考停止に陥り、停滞を続けます。

それを打破するのは根性ではありません。

いつも理解が先にあるのです。
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2018/06/26 12:48 差取り TB(0) コメント(-)
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