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特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

フェイスブックを見ていると、世の中で起こっている事を憂いている記事も出てきます。

世の中で起こっている悲しい事。

そういった事について、起こる事が起こっているという学びをすることは、目を塞ぐことにもなりかねません。

勉強して分かったような気になって、行動し、他者を言い聞かせようとするなら、どうでしょうか。

ですから、自分で見て、自分でわかっていくことが大切なように思います。


遠くの国で誰かが殺された

それは悲しい事でしょうか。

それはあなたにとって悲しい事でしょうか。

当たり前な答えを探そうとしているなら、それは自分の本心ではありません。

遠くで起こっている事ですから、知らなければ何も起こりません。これこそ当たり前ですが。


そうなると

誰かが殺された=悲しい

は成り立ちません。


殺したいほど憎い誰かが亡くなった。

これもそれなりの反応があります。


近しい誰かが亡くなった。


人が亡くなると悲しいという事は常識でしょうか。


例えばある集団で、昇天させると称して、殺人が行われるならその集団にとって正しいことをしている事になりはしないでしょうか。


人間の反応は、環境や教えなどによってまちまちです。


そういった事は世界で起きています。


大量の虐殺が起こった。

虐殺した側は正義の名のもとに、悲しみも罪の意識もない(かもしれませんし)、その中にいても罪の意識にさいなまれる人もいる(はずです)。

それを第三者が判断した時、良識という偏りにより判断が起こります。


こう書くと虐殺も肯定しているようにも見えますがそうではありません。

そのくらい人間は判断が変わるという事を知っている事が重要だという事です。


高い志を持っていても、年齢を重ねるごとに真逆のことをやっている事も珍しくありません。


起こっている事に気をとられているなら、しっかり観れば誰にでも分かる事がお留守になります。

そして、自分にとって悲しいことを憂いて、他の人を巻き込もうとします。

巻き込まれた人は、同じ種を持っていて巻き込まれたという表現は正しくなく、同調したと表現するべきでしょうか。


話が複雑になってしまいましたが、純粋に自分に近しい人が亡くなる事と遠くの知らない人が亡くなる事に違いはないでしょうか。

おそらく多くの方は、近しい人が亡くなれば悲しく、遠くの知らない方の死は何とも思わないと思います。


それなのに遠くの国の虐殺を悲しまない事を非難されないために悲しいふりをすることは誠実でしょうか。

虐殺を悲しむ人に虐殺が起こったという嘘を聞かせたら悲しむでしょうか。答えは大筋で決まっていると思います。


目に見える、自分自身の中に起こっていることを通して知る事を無視するなら、そういった事になります。

しかし、「そういった事」になっている事も気づかないで世の中は進んでいます。


人間は起こった出来事によってはじめて知ったように勘違いを起こし、それをもとに反応を起こします。


蒔かれた種によって、芽を出すものは決まっています。

芽が出てから人間は後悔します。

それでは未来永劫変わらないままです。

今の社会は土の上の芽が出て成長した結果です。

その結果を憂う事は種を撒いたことを忘れているという事です。


では、種とは何なのでしょうか。

良質な種とはどんな種で、憂いのもとになる種はどんな種なのでしょうか。


本気で変えたいなら、蒔く種を変えなければいけません。

そこに着目しているお話はほとんど目にしません。


良質な種を撒く。

ただそれだけで、芽を出し育っていくのです。


私がお伝えして続けていらっしゃる方は・・・・・

嘘をつきません。

嘘をつく方は自然に去っていきます。


人を欺きません。

欺く方は過去を改ざんし責任転嫁し去ります。


誰にでも真剣に向き合います。

向き合えない人は停滞しています。


自分の事と他人の事の区別が薄くなっていきます。

区別をする人はマイノリティーになります。


仕事に一生懸命取り組み結果を出すようになります。

悟りやスピリチュアルにかまけている人は、一生懸命取り組むという事を知らないままです。



人々の意識がこの世の中を在るようにしているという事実を無視して、世の中を変えることはできません。


差取り塾は世の中を良くしようとするコミュニティーではありません。

ただ、種になる部分を磨くだけです。


世の中に関心がないわけではありません。

一人ひとりの意識が世の中をつくっていると知っています。


誰かを助けることを教えるところではありません。

自分自身と向き合い、助けることができる人が、他者と向き合い無理なく助けることができるようになると知っています。




助ける事は良い事だと考えているならそれは間違いです。

それは、落ち着いて考えれば誰でも分かる事です。

助ける意識が幼ければ助けた(と考える)人を殺します。


これほど書いていても伝えたいことは伝えきれません。

意識の成長が起こる事は一生のうちでもわずかしかありません。

そのわずかを瞬間瞬間積み重ねていった時、大きな成長が起こっています。

人の一生分の成長を一瞬で起こすことができるからです。

逆に言うと、一瞬で起こる成長を一生をかけて行う事はとてももったいない事でもあります。

何かを憂い続け、一生を使い果たしてしまうか、確実に意識の成長を起こし一人ひとりが変わっていくか・・・・

私は後者が最良なのではないかと考えています。

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2018/08/26 10:49 差取り TB(0) コメント(-)
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