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特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

あなたはどんな時満たされていて、それ以上何も求める必要がない状態になるのでしょうか。

そもそもそんな時などないと答える人もいるかもしれません。

そういった人も、この話を読んでいただきたいと思います。

私が、差取り塾でお伝えしていて、こちらの方が良いから来て学んだ方がいいとは主張するつもりはありません。

今十分満たされて生きているなら、それに勝ることなどないからです。

今一生懸命苦しんでいる人も、それは苦しみという名の充実感です。

今夢中になっていることがあるなら、そこにも充実感で満たされているかもしれません。

何かに追われている事、それも充実感が形を変えて表れています。

そういった経験はとても貴重だと思います。

充実感が頂点に達した時、至高の時になるようにも思います。

追われて、追い詰められ、行きついた先に何があるでしょうか。

本当にすべて失ったなら、人は変わります。

味わったことのない様な感覚の中で冷静な行動をします。

命を懸けても守ろうとしたものを失った時、喪失感は起こりません。

何もなく、ただ自分自身があるだけです。

それは至高の時間というにはあまりにも悲しく感じるかもしれません。

しかし、そうではないのです。

私がしたような経験は誰にもしてほしくないと思います。


世の中で至高の時間を求めようとする時、常識的な方法ではなかなか難しいかもしれません。

アスリートが達するゾーン

芸術家が見る神

それを超えた感性があります。

私の認識ではその先にもう2・3段階あり、そこが今のところ至高の感覚です。

良いものを知ると、今まで良いと感じていたものがおもちゃに見えてくる事は良くあります。

美味しいものもそうですね。

だからと言って、誰でも、一番おいしいものを食べてみたいなどとは言いません。

私がお伝えしているそれは、誰でも求めるものではない事を知っています。


昨日、ずっと求めてきた人が求めてきたものを手に入れました。

それこそ、数十年。

その事を思い出したのでこのような事を書いています。

今日は誰に向けて書いているわけではないのかもしれません。

無駄な事は何もありません。

すべての現象は雲のようなものです。

ですから、なかなか雲の上を見る事はかないません。

雲を下から見る事と、上から見ることはそれこそ雲泥の差です。

多くの方は、下から雲を見ようとします。

それは世の中の常識的な考え方です。

苦労して、雲の上に広がる空を見ようとすることも世の常識的な考え方です。

自分の力で、いつも曇っている上にある空を見ようとしたらどのような方法があるでしょうか。

私は雲をも貫く高い山に一緒に登ってもらう事にしています。

そこに到達した時、人によっておこる感覚は違います。

しかし、今までみたことのない空と景色を見た時、見ている時(今までの経験において)至高にあると言っていいのではないでしょうか。

そんな時を一緒に向かえることができて、私の役目を一つ終わります。

まさに山のガイドと同じ心境です。

私はただガイドをします。

一緒に話したり、笑ったり、励ましたり・・・・

そして山頂までご案内した時、私が水を差す余地はありません。

その人がただ感じる。

表現してもしなくても、そこにいる事には変わりありません。

共に歩んだことで黙っていても横に立ってそれを感じることができるのです。

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2018/09/26 21:31 差取り TB(0) コメント(-)
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