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特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

何も無いから、無いと言ってはいけません。

何か有るからあると言ってはいけません。


今日はそんなお話です。

何も無い

それは何も無いと感じているという事です。

何も無いと考えているという事です。

「空(くう)」と表現されるものがあります。

空は悟りを得たものが知る境地と言ったらよいでしょうか。

私も最初、空について何も無いけど全て在るというような認識がありました。


その次に知ろうとしたことは、空とそこまで至る段階を明らかにしようとしたことです。

それはかなりの時間を要しました。

そして、後から分かる事は初めに感じた、理解した空は、子供じみたものだったという事です。


よく、瞑想をしている人は、瞑想中何もなくなるとか、思考が何もないとおっしゃいます。

しかし、そこを目を凝らしてみていくと何もないという事はありません。

しかし、何も無い事が瞑想だと考えているなら何もない状態をもって、良い瞑想ができていると考えます。

そして、そこで留まります。


さて、目を凝らして見えたモノについて、有る(在る)というなら、それも思考に囚われているという事です。


ないと言ってもあると言っても、思考に囚われています。

ですから、あると言ってもないと言ってもいけないという事になります。


禅師は弟子が答えを持ってくると必ず叱りました。

「それが答えだ」と言っている弟子は、すでに答えに囚われているからです。


有るも無いもそれを答えとして握るなら、それは間違えなのです。

それはすべてに言える事です。

何かを規定した時、すでにそこに囚われています。

その規定は目を曇らせ、真実を見逃します。

真実とはその時の「ありのまま」

その時のありのままですから、その時だけのありのままであり、すぐに消え去るものでなければいけません。

消え去らないのなら、それは捕らわれているという事です。

瞬間をありのままに見ることはレコードに針を落とすようなものです。

レコードは針がなぞっている場所の音を出します。

針が触れていないところの音は出ません。

レコードのその瞬間のその音を出し続けます。

機械ですから当然ですが、まったく囚われはありません。

忠実に針が落ちているところの音を響かせます。


それを極めると、針を落とす場所を自分で決めることができるようになります。

その結果どうなるかは自覚を実践された方が分かる事です。


無いと言っている時、すでに無いは過ぎ去り、あると言っている時、あるは過ぎ去っています。

無いと言っている時、何かを見逃していて、あると言っている時、何かを見逃しています。

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2018/10/23 21:55 差取り TB(0) コメント(-)
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