そのまま「観る」という科学
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

既に分かっている人が多くなってきたのでそろそろ書いてもよい時期かと思います。

去年のうちからそれについてお話しています。

しかし日々の事に気をとられている方々はいまだに気が付いていません。

自分自身がそこに足を踏み入れていても気づけないのを見ていると、人間の盲目がどの様な結末に至っていくかという事をハッキリ表すことになります。

人間の考え(エゴ)が蔓延すればするほど、その場所は自然の摂理から離れていきます。

自然の摂理とは、健康であることや人としての喜びも含まれます。

人間としての喜びを求める事とは違います。


具体的な事はここに書かなくともすでに起こりはじめれば否応なく分かるようになります。

そうした時に何をすればよいのかは、頭が良い人が考えたところでわかりません。

知識でものを考える人間が人間を寄せます。

多くの人間が、その情報に翻弄されることになるでしょう。

すでに、情報に翻弄された状態にありますが、危機が起こった時それが自分自身の危機を顕在化して身に迫ったという事にすぎないのです。

普段からそうなるように生きていて、危機に陥った時慌てるのが人間の常です。

人間の都合で考えて行動してもどうしようもなくなる世の中は人間をさせるのかもしれません。

しかしその中で進化できる人間は限られてしまいます。

それを選んでいるのは神ではなく人間なのです。


何が起こっているか正しく見る事、

在るがままに観る事

それが情報リテラシーでもありますが、そこから離れている人間は淘汰されるのではなく、自分からその道を進んでいるにすぎないのです。

ある予言で世界の三分の一、日本の三分の二の人間が死ぬという話を聞いたことがありますが、そういった世の中なのかもしれません。

その中において、私が死ぬのならそれも受け入れる準備は日々しています。

逆説的ですが、死ぬ準備ができた人から結果的に救われるのかもしれません。

私はそれ程生きたい思っていないのですが、理から物事は起こっていきますのでなるようになっていきます。


この文章で答えを得られないなら、それはそういう事です。

自分人からその答えがすでに現れているという事を無視されませんように願っています。

この文章はその様に書かれているのですから。

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