そのまま「観る」という科学
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

この件については、あまり気にしなくてよいように思っていましたが、区別ができない状態で囚われている方も少なくないので書いてみたいと思います。

文章は稚拙かもしれませんが、これからの人類が迷わないための指針になるはずです。

大げさに聞こえるかもしれませんが、これを知っていると知らないでは進化のスピードが大きく変わります。


結論から言うと、目覚めと悟りは全く違います。

悟ったといっているほとんどの方が目覚めた状態であって悟っているわけではないという事も事実です。


目覚めを経験した方がそれを悟りと区別できないのは、悟った師匠を持たないないからです。



そして・・・・悟りを好き放題に語ります。

これが最も大きな弊害です。



では、どんな状態が目覚めなのか・・・・・・

目覚めとは現象から抜け出ていない状態です。

覚醒体験は体験という現象を伴いますから、目覚めです。

よく言われる、ワンネス、一瞥・・・・・etc.(私はこういった事にあまり興味はありませんので、好きな方は調べてみてください)

チャネリング、これはもはや目覚めているというよりよく知っているというカテゴリに入るように思います。


ネット上でよく、悟ったという方々がいらっしゃって、その話を聞いてみるのですが、閉口します。

目覚めました、と言ってるなら違和感を覚える事はありません。


また、宇宙人チャネリング系のお話は目覚めのお話であり、「目覚め」と表現していますし、目覚めの話として違和感をほとんど感じる事はありません。




もう一つ入れていきたいお話、カテゴリーがあります。

それはヨガです。

ヨガは目覚めるために行う業であって、ヨガを極めた時、目覚めが起こります。

ですから、ヨガの聖者が発する言葉は、現象界にまだまだ囚われており、人間の観点で語られてるわけですが、大げさにありがたがって聞いている方が多いのはなぜでしょうか。

とても不思議な話です。


この事から、ヨガを極めた方(ヨガ聖者)は目覚めた方と同じくらいの境地だといえます。


目覚めるという事を起こしていく事は悪くありません。

それが悟りだという話になると、思考停止状態を意味します。

実際あちらこちらでそれは起こっていて、悟りを騙ることになります。

しかし、目覚める方々にとって、悟りも目覚めも、ヨガ修行中もヨガ聖者も区別がつかないということは当然といえば当然です。


簡単に概念で分けてみるなら・・・・・

悟りの準備ができた状態が、目覚めた状態、ヨガを極めた状態。


マラソンのスタートを切った状態が目覚めで、ゴールした状態が悟りです。


先ほども以前にも書いたことですが、現象の中に観点がある状態が目覚めで、現象の外に観点があるのが悟り。


悟りに至る時、悟りを得る時、師匠の見えない後押しは大きな割合を占める事になります。

目覚めはそれを必要としません。ある境界を突破する必要が無いからです。


目覚めの境地と悟りの境地は天と地ほどの力の差があります。目覚めた方100人かかっても悟った方一人に及びません。

これと同じような事をお釈迦様も言っていますので参考にされてください。


第三の目を開くことは目覚めですらありません。

霊的能力と目覚めは関係ありません。

以前写真を撮ると透けて映るという方が悟っていると勘違いし、その周りの方々も勘違いをしていましたが、そのエネルギーはとても重いものでした。


本当に悟ったと思っている方には申し訳ないのですが、さらに深めるという意味で良いので、悟りの修行をしに来てはいただけませんか。進んでいけば自然はっきりする事です。

また、目覚めた方はぜひ差取り塾にいらしてください。その先「深く」案内できるところはおそらくここしかありません。

できれば私がいなくなる前に・・・・いなくなったら、私の力は使えません。

その時は深く悟っている者が力を貸すことになると思いますが。


目覚めた段階で満足するという事はとても傲慢な事です。悟っても一緒ですが。

無自覚にその傲慢さをあらわしていても、いずれそのつけを払う事になります。

それでいいのか?

私はそんな風に見ています。

そこまでの素質を持っていながら、そこで終わるのか。

本当にもったいないようにも思いますが、そこからだいたい3回以上の輪廻を通して悟りに行きつくのが通常です。

ネットで語るような方々が悟りの修行をしっかりやろうとする可能性は相当低いように思います。


今は目覚めが起こりやすい時期です。

しかし、悟りやすい時期かというと、やはり師匠につかないかぎり無理でしょう。

悟りは、ビビッときません。

ビビッきたらそれは気付きか目覚めです。



目覚めるという事は、人(地球人)が必ず通るところではありますが、そこで終わってはいけないのです。

しかし、2020年以降、沢山の目覚めが起こるなら、次の修行の価値を知る方が多くなるという事でもあります。


目覚めたという機会を活かすには、悟ったといって語る事ではありません。

このように書くのは本当に申し訳なくも感じるのですが、少なくとも一人でも誰かに伝わる可能性を秘めているなら書くことも悪くないように考えています。

悟ったら、悟った内容を喋る事はありません。

なぜなら、それを語ったところで意味がないどころか迷わせると解るからです。

非二元のお話などその最たるものであって、学んだ方々を妄想の沼に叩き込み捕える為の学びに結果的になっています。

学べば学ぶほど囚われます。


申し訳なく感じるのは、それで食っている人に対してですが、都合悪い真実であっても早期に気付きあらためるなら、代償も少なくて済むのではないでしょうか。


批難されかねないこと書いている事は承知していますが、これから津波がやってきて巻き込まれる場所にいる人がいたら、バカにされてもののしられても声をかけるのが、私が感じる合理性です。

申し訳なく感じるというのは社交辞令です、申し訳ありません、、

もう一つ伝えたいのは、このことに関して、かもしれないというお話ではなく、必ずそうなるという事を書いています。

目覚めと悟りの違いをわかっている事で自分の成長を止めない事になりますから、頭の片隅にでも置いておいてください。

今日は、思考中心のお話でした。

思考的な記事は、人間のエゴが好む記事でもあるのであまり書きたくはないというのが正直なところです。

これは、批判ではなく、見たままを書いています。

多くの方が曖昧な理解のまま行動することをやめると世の中は一気に動きます。

曖昧な理解上ででお金を稼ぐという事の危うさを知らなければいけません。

裸の王様に裸だと言っているだけですが、それでプライドを気づ付けられる方もいるかもしれませんし、何かしらの感情を動かすかもしれません。

しかし、気付き、肯定的に作用する方がいる事も事実です。

その方の為に書いています。

大きな波が来ますから、高いところに移ってください。

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