特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

自覚を始める事も順調にいくことは難しいのですが、自覚を始めて、自覚がうまくいくようになると自覚自体がアップデートされるようになります。

概念が全く逆になることもありますし、それによって思考での判断がつかなくなり、肯定的な事も「私」を苦しめる事のように感じる方もいらっしゃいます。

進んでいるのに進んだがために迷う事も珍しくありません。

初めての土地に行った時迷いやすい事と一緒です。


わかった気になって、そういった事に蓋をする事も可能ですが、それでは自覚から離れていきます。

もし、自覚をしていてずっと同じようにできるのなら、停滞しているからなのかもしれません。


自覚を続けていて1年経っても同じような自覚をしているなら、それは自覚ではない可能性がかなり高くなります。

差取り塾の人を見ていると、自覚を一生懸命している事は確かですが、同じ自覚を変わりなく続けている方は皆無です。

観点が大きく変わって、相談される方がよくいらっしゃいます。

私自身も、観点が大きく変わる事は何度も経験していますし、真逆とも感じるような変化も繰り返してきました。

公開してそれを読んだ人が一人でできる事にこしたことはなく、それができるのなら公開することに迷いはありません。

受け取る人にしっかりお伝えすることができるかというと、今のところ不可能で、その状態で公開するという事は不誠実なように思います。

自覚とは、「私を観る」という以外に、自分がどうしてその行為をしているのか、それを行おうとするのか、などを知っている状態を保ちつづける事でもあります。

それは仕事においてもエラーを減らし、効率的で合理的な行動に自然に変わっていきます。

自覚を通して、ぼんやりした行動が無くなるなら、やっている事がハッキリしてきます。

ハッキリしてくるとエラーを起こす前に対処できるようになります。

スポーツにおいても、すべてのことがハッキリしてくるならエラーの起こしようはありませんし、それを知っている事で、エラーを減らすことに繋がります。

そういった感性が考えに流されることによってとても鈍くなってしまいます。

それが結果に繋がらない大きな要因でもあります。

2018/06/17 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
今日は東京駅周辺でグループセッションを行いました。

内容は自覚について。

あくまでも、自覚の方法ではありません。

どの様な自覚が、どのようになっているのか。

そういったお話をしました。

私を観るという事が、どういった現象を起こしていて、どの様に作用しているか。

私を観ると一言言っても、捉え方は様々で、思い込みによる勘違いや、言葉として伝わる時の相違など、「私を観る」という一言でさえ伝えることが難しいことがお伝え出来たらと思います。

また、補足ですが、人間はどうしてもやり方が先行してしまう傾向にあります。

その度に修正していけることが好ましい事ですし、進捗が滞らないように続けられることが結果的に早く楽になり、理解が進みます。

自覚のやり方を公開したくても公開できないのは誤解を生みやすいからであり、無責任に思うからでもあります。

自覚とは「私を観る」事ですが、このように書いた場合、「私」とは何なのか「観る」という事はどういう事なのかという疑問がわいてきます。

しかし、それこそが言葉で語れない部分であり、雲をつかむような話なのです。

それが、「私を観る」と説明された時何かわかった気になるのは不思議なことです。

「私を観る」とまとまると、一つの行為を表してますが、分解するとどちらもとても抽象的な言葉なのです。

それをどうお伝えするかが大切で、一人ひとり大きく違うところでもあることから、ひとまとめで説明をすることは不可能であり、最も効率的な伝え方は、一人ひとりその時その時適切な言葉でお伝えすることだと考えています。


これだけ意識の成長にとって効率的なものですが、90%以上の方が間違えたやり方を掴んでしまっています。

正しいやり方があるのかと言えば、ありますがここに書いて説明することは不可能です。

正しいやり方が分かったとしても、だんだんズレてきます。

それは人間のエゴがそうさせるのです。

知らないうちに都合で自覚をするようになり、大きくずれている事は珍しいことではありませんしほとんどの方がそうなります。

そういった事をすべてクリアするために差取り塾を続けているわけですが、一人でやっていて迷走を続けている人はもったいないように感じます。

「私を観る」これが的確にできたら悟り、すべてにおいて物事が肯定的な事に変わります。

それくらい難しい事ですが、言葉に騙されてできるような気になってしまいます。

「私」「観る」を一人で知るのは至難の業なのです。

2018/06/16 22:31 悟り TB(0) コメント(-)
この様な感じです。



ですから、わからない方は途中であきらめてしまいます。

しかし、修練は全く想像だにしない形で思考を超えた学びを修得しています。

学んで自分のものとなった時、思いもしなかったような事が起こりはじめ、それは序章にしかすぎないのです。

既にできる自分自身に知らないうちになっている事。

これは、思考を超えて理解することです。

思考を超えた理解をお伝えするには思考で気づいてはいけないのです。



6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。

一般7,000円です。
HPからお申込みください。
こちらです。
2018/06/11 13:16 悟り TB(0) コメント(-)
普段、何も書くことはありませんし、何も答えはありません。

無限の答えを持つのではなく、何も持たない事を選択出来た時、その境地に至ります。

いつも何も答えはもっていません。

質問されればそれについて答えます。

しかし、答える事が本当に必要かというとそうではないのです。

意識が明鏡止水のような状態なら、そこに何か投げ込めばその時に起こる事が起こります。

それを言葉に表現するだけなのですが、言葉を掴んでしまうならその境地は到底理解できません。

何もないので、今日は心理学系のツイッターを少し見てみました。

Twitterのおすすめに出てきました。

そこで感じることはどんなに相手の心を読むことができる人でも、表面的な心理を扱っているしそれ以上の理解がない事です。

○○心理学を見てみると、個人的な考えですが、誰かが主観的に体系化したものを多くの人が学ぶという仕組みのように思います。

このことは、残念ながら意識の成長した状態でなければ理解できません。

人間の意識が強い場合これを理解することはできないのです。


別の切り口で・・・・

悟りを体系化したとします。

それを勉強することは悟りに至る勉強でしょうか。

残念ながらそうではありません。

先ほど書きましたが、人間の感覚で知っている勉強では何もないところには答えはなく、それを埋めるために勉強をします。

体系化したらそれを学ぶ人ができます。

体系化した時点で、誰かの主観だという事を忘れてはいけません。

その主観に沿うような勉強が悟りに至る勉強になるはずがないのです。

もし、あなたが悟って何かを表現した時もその表現はあなたの主観です。

主観を交えないでそこに導くにはちょっとした(?)工夫が必要です。

それができる人がなかなかいないし、主観を表現することで人を寄せることはそれ程難しいことではありませんから、そちらにどうしても傾いてしまうことになります。

わかりやすいという事です。

それは誰がわかりやすいと考えるのでしょうか。

分かりたいというエゴが反応しているのです。

そのエゴを刺激することで、衝動を起こします。

衝動が起きると人間はそれに動かされます。

素晴らしいと感じているのは誰でしょうか。

エゴがそうさせていると気づくことができるでしょうか。

素晴らしい人を見つけてその人から学ぼうとした時、誰が学びたいかはっきり分かっているならそれも無駄になっていくことが多い事にも納得できるのではないでしょうか。

ここまで慎重に読んでみてください。


誰が素晴らしいというのか。

人間のどの感性(個性)がそれを感じるのか(または起こすのか)

それを区別できるようになるまでは、そういった事には気づくことができません。

気付くのはその人であって、私の主観ではありません。


それぞれの人の主観を通して主観を超えたそれをお伝えする。

それをできる人はご存命の方で地球上に何人いるでしょうか。



6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。

一般7,000円です。
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2018/06/07 23:33 悟り TB(0) コメント(-)
ゴルフを通してもわかることがあるのですが、何かを上達させようと思った時、うまい人のまねややり方を覚えようとする傾向があります。

多くの人がそのようにして熟練していくように感じるかもしれませんが、そうではありません。

うまい人、熟練した人は、時間をかけてその時点の技量があるのですが、そこに達するまでのプロセスがあります。

そのプロセスがうまい人のまねをした時に進んだという誤解は上達するプロセスにおいて、その分析がおろそかになりがちなところから来ます。

上達しようとしている人は必死に練習を重ねます。

たくさんの練習は自然に上達をさせます。

どんなことがあっても上達したいという意識が上達させていきます。

心持ち一つということでもありますが、そのような規定で収まっていては、視野が狭くなってしまいます。


練習、修練において大切なことは、起こっていることを感じられるようになることで、どのようなことをしているかわかることです。

練習をしたら、どのようなことが起こっているか感じることは、自分自身の感性の範疇を広げていくことでもあります。

それは自覚ともいいます。

感性の範疇を広げる練習をしない限り、自分の意識で納得いく結果にはなりません。

いろいろな失敗を繰り返しながら、感性の幅を広げることは、結果的に上達を助けます。

差取り塾でお伝えしているとことは、伝えていることが重要なのではないのです。

なぜ、意識を取り扱う勉強に時間がかかるかというと、そういったことが、おろそかになりがちで、個人の「根性」や「忍耐」に委ねようとすることから、端を発しています。

受け皿を広げることが大切で、実際そのようにサポートしているところは私の知る限りありません。

広がる可能性を含む修業はありますが、それは苦行で命の危険性をはらみます。

そのような修練は現代において時代遅れな修行なのですが、それを選択することもできます。(差取り塾では行っていません)

すでに社会生活が苦行です。

それでも苦行を選ぶ人はそれが最善の道です。

苦行をしないと成長はないという強い考えを持っているのなら、それ以外の道は選べないばかりか、その人にとって無駄なものでしかないからです。

そういった考えも尊重しています。

差取り塾でお伝えしている練習は、簡単で世界一早いとは思っていますが、選択肢の一つでしかありません。

選ぶのは一人ひとり自由ですし、託されているのですから。


私自身、ほかでどのような修行、修練がされているか体験しに行ってみたことがありますが、大変だし、時間がかかると「私がそう感じたので」その修業は選択肢から外れました。悪くはないのですが、古いままアップデートされていないのです。

実際十年単位で修業されている人が、いまだに思考に支配されていることに疑問を感じましたし、時間や労力が効果に直結しないのはとても惜しいことです。

趣味程度の感覚ならそれも悪くありません。

人間の一生が無限にあるのならそれも悪くありません。

人間の一生を超えて、その練習をできるのならそれもよいと思います。

しかし、生まれ変わりがあったとしても、次に生まれ変わった時に同じ練習ができるとは限りませんし、むしろその確率はかなり低いでしょう。

仙人が長生きするのは、長く生きないと深く悟れないと思うから長生きする方法をまず学ぶのだと以前師匠がおっしゃっていたことを思い出します。

仙人が一生をかけて到達するプロセスを数十年でクリアするためには最も進んだ方法を選択するしかないのですが、それも多くの人にとって選択肢の中の一つでしかありません。

私はさっさとお仕事を終わって、この世から離れたいと考えています。

もう少し詳しく書くなら、やるべきことをやりつくす。私自身のミッションを終わらせるということです。

一人ひとりのミッションがあるように私にもあるというだけです。

今まで培われてきたものを受け入れてみたとき、新たな知恵が生まれます。

その知恵を活かすことでさらに加速させることができます。

そうなると、昔から認知されてきた方法をそのまま周到している事は合理的なことなのでしょうか。

それになろうとしていてはいつまでたってもなれません。

それになるための行為をしなければいけません。≒それになるための努力をしなければいけません(この書き方には誤解が生まれやすいのです)


そこまでの階段があるのに上ばかり見て上の人を羨んでいる状態や上の人に下から一生懸命話を聞いている状態に似ています。

ただ階段を登ればいいのです。

階段の上り方、一段一段登っていく事を伝えているところがないのです。(当社調べ)

一生懸命上を見続け、登った人々が書いた本を下で読んでいるのでしょうか。

そういったことは必要ないのです。

一歩ずつ、確実に一段一段登るなら1年もあれば巷で発信されている人が階段の下のほうに見えるようになります。

たまたま登ってしまった人と、確実に登る方法を知っている違いにすぎません。

たまたま上ってしまった人は不幸です。

それ以上上に行く方法を学ぶのに苦労し、早い方法は選びにくくなるからです。

確実に上る方法を知っている人は残りの人生で登り続ければよいだけです。

そのようにしていったら、人間としてのゴールに大きく近づくこともしくはゴールすることができるのです。

生まれた来た目的ではなく、生まれてくる目的を達成させるお手伝いをするのが差取り塾です。

生まれてきた目的は個人個人で達成されてください。



6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。

一般7,000円です。
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