特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

世の中には安心を売る商売で溢れています。

溢れているという事はそれだけ需要があるという事です。


さて、安心を求めるのは人間として当然のことなのでしょうか?

人間が安心を求めることは殆どの人がしているという意味では自然と言ってもいいくらいな状況です。

しかし、それが自然なことかと言うと自然ではありません。

人類は今何で支配されているかと言うと、不安です。

不安を煽り、安心を与える事で人間を奴隷化できます。

実際に支配に長けた人はそういった支配でコントロールしています。

支配にはかつてドラッグも使われました。アヘン戦争もその一つです。

モーフィアス


ドラッグに一度染まるとどんなことをしてでも手に入れようとし、お金をつぎ込み犯罪もいとわなくなります。

安心を手に入れようとする人たちはどうでしょうか?

安心するために沢山のお金を使い、場合によっては犯罪もいとわなくなります・・・・・

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安心とドラッグは同じだという事です。

不安を消すために安心を求めることはドラッグを求めることと一緒なのですが、今の世の中では当たり前でもちろん合法的な事が殆どです。

保険を買う

スピリチュアル(思い込みの知識・知識・成功法・引き寄せ・未来・宇宙人・・・・)

悟り(楽になるという思い込み・動かない心・・・・)

宗教(コミュニティーの安心感・救済の期待・・・・)

信仰(神を信じる・マントラを唱える・お経を唱える・・・・)

etc.

これらを実現するためにお金を稼ぐ


過剰に安心を求めた時、法を犯すこともあります。

自分を脅かす人を陥れる・葬る

嘘をでっちあげ・・・・

etc.

こういった事は沢山起こっています。

法に触れない限り悪いこととは言われません。

しかし、ドラッグを求め続ける人たちと一緒だという事を知る事は大切なことです。

薬まみれでも誰も注意してくれません。注意するどころか、薬を売る事で儲けようとする人たちで溢れています。

今回の記事は殆どの人にとって耳の痛い話だと思います。


世の中はドラッグを求める人で溢れているのですが、それを止めようとするなら攻撃を受けるのは当然の事です。ドラッグに暴力沙汰がつきものであるように、ドラッグに目の色を変える人は同時に暴力性も表します。

合法ドラッグは世の中で大手を振って売られているのです。

スピリチュアルのドラッグの売人は依存するように巧妙に優しい言葉をかけてきます。そして安心させ安心依存症に付け込みます。かわいいキャラクターを演出したり、成功法とうたってみたり・・・・・
そういったことに飛びつく人が顧客です。

新しいものに飛びつくのは知識のエゴを満足させて安心感を得るために起こります。

座禅なども安心感を求めているうちは修行の入り口にも立てません。

ドラッグから抜ける施設があるように、安心というドラッグから抜けるところが必要です。

しかし、抜けるところはドラッグをやめられない人からすれば迷惑な話ですし、攻撃の対象になることも少なくありません。

差取り塾では安心というドラッグから自由になっていくコミュニティーです。

初めは安心も与えますが、その量はだんだん減らされていきます。

減らされた時不満を覚え怒りだす人もいます。

そういったことも少しずつですが改善し、プログラムを作り直しています。

プログラムは一人ひとり違います。

その人にあった対処が、楽に早くすすみます。

薬がどうしても欲しい人は去っていくしかありません。差取り塾は安心ドラッグから抜けるためのコミュニティーですから当然のことといえます。

そして、安心というドラッグから自由になった人は世の中を在るがままに見えるようになっています。
薬が抜けきった時の爽快感を知った人たちは薬を求めようとしなくなります。


薬物依存の人が、薬物から離れた時と一緒の感覚

幻想に悩まされることもなく、薬を求めるための苦労もありません。
薬が切れる事の不安もなく、お天道様の下を堂々と歩くことができる(嘘をつかなくて済む)。
何かに追われることもなく、底知れない不安感からも自由でいられる。

etc.


それでも、安心ドラッグを求め続ける生き方が良ければそれも悪いことではありません。

しかし、ドラッグから自由な観点から見るなら、薬物依存者と変わらないのです。

実際の薬物依存者は、それを善人ずらしてみている人に「実はあなたも安心という薬物依存なんですよ」と教えてくれているのかもしれません。


1月1日・8日は山梨グループセッションです。1日はご馳走を用意してお待ちしています。

顔色が良い皆さんと一緒に安心ドラッグから抜けたお話を聞きに来ませんか。
2016/12/18 11:10 悟り TB(0) コメント(-)
この世に悟る薬があったら飲みますか?

飲んだとして、100パーセント言える事は、それでは悟ることはできません。


モーフィアス


そんなことは多くの方が知っているはずなのに、少し形を変えるだけで騙されてしまいます。


昔の言い方をするのなら、心が弱いからです。

それを言われても弱い当事者は見当もつきません。

弱いという事はどういったことなのでしょうか?

騙されたことが直接的な弱さではありません。

何かに負けた・・・

誘惑に負けたと思っているのなら一生悟れません。

悟りに執着しているから騙されたんだ・・・と思っているうちは悟れません。

・・・・


誘惑も執着も「私」自身が創りだしたものだという理解がそれを助けます。

そして、すべては「私」次第なんだと深く分かる事。


この「私次第」も思い込みで創る事ができてしまいます。

どんな言葉を使っても、思い込みに終わるんです。



世の中惜しい人が沢山います。

しかし、おしいところで語り始めるので騙りになってしまっている。

おしいところまでわかって、その後修行しないから停滞したまま騙り続けます。


それは上手なアマチュアゴルファーがそれらしくしゃべるのと変わりありません。

それを真に受けた人が上手になることは稀です。


プロとアマチュアの違いは想像できると思います。

プロでも、シニアプロもいますし、予選通過がやっとなプロもいる。そして、マスターズで優勝するプロもいます。


悟る方法など厳密に言うとありません。

あなた次第だからです。


「あなた次第」「私次第」の勉強を差取り塾ではやっています。

2016/11/30 20:55 悟り TB(0) コメント(-)
差取り塾でどんな事をしているかまた書いてみようと思います。

思い切り変な言い方をするなら神様の修行です。

神様の修行と言っても、神様から教わったとか、神様を拝むとかではありませんし、そもそも神様を崇拝する時点で・・・(割愛します)

それは実在したマスター達がことごとくやっていたことです。

一般的な瞑想ではありません。

進化の最終段階に差し掛かった人、それを越えた人達が行っている事なので、万人向けではありません。

沢山の方に知ってもらいたいと考えたこともありますが、ほとんどの人は理解できないようです。


どんな人が理解できるのかというと、どんなことがあろうが理解してやろうという気概を持ち、諦めない方。

その様な人は時間はかかるとしても必ず理解が起こっていきます。

「なんだ、そんな事か」と思った人もいるかもしれませんがそれは違います。殆どの人が「そんな事」が出来ないからです。

気概を持って諦めないという事が出来るのは、僅かな光でも感じることが出来ているからです。

その事を通して修行が進んでいると表現されることもあります。


分かりやすい想像になると良いとおもうのですが、神様が一般的な瞑想をしようとすると思いますか?

または神様が座禅をしようとするでしょうか?


差取り塾では神様がしてるであろう事ではなく、やっていることを実践しているのです。

神様はあくまでも便宜上の話です・・・


どこに作用するかというと、生死を越えたところ、思考を越えたところ、 意識を越えたところを扱っています。

ですからこれを読んで理解しようとしないでください。

理解したところでその理解は思考の枠の中でしかないからです。

それをどうやってやるんだ?という疑問も思考の枠の中で起きていることです。

つかみ所が無いけどやってみたいと思う人が上に書いた光を見ている人の可能性が大きいです。

そしていらっしゃる方は行動を起こすだけの確信を持っている人です。
2016/11/26 00:10 悟り TB(0) コメント(-)
私の利益を得ようとする時、誰かが損をするならそれは私の利益ではなく損を得たことになる。

誰かに利益を与えようとする時、私が損をするなら誰かは利益を得ているのではなく、損を与えている。

何が損で何が得かわからない私が損得勘定に明け暮れる。

本当の得は徳であると考えるのなら徳で損をすることになる。

本当の損は業であると考えるのなら業にもてあそばれることになる。

徳も業も私の創りだした考えだと理解するなら、すべては私にとって得に作用し、満たされて生きつづける事になります。

2016/11/14 23:41 悟り TB(0) コメント(-)
ライトワーカーはみんなと違うから孤独感があるそうです。

孤独だから、同じようなライトワーカーがいるという事を知ると仲間がいると安心するというようなお話を目にしました。


私はライトワーカーでも何でもないんですが、孤独感はいつもあります。

でも、孤独感に悲壮感はありません。

孤独感と悲しみは全く別なものだからです。


独りなんだな~

というのが孤独感で

さみしいな~

というのは独りぼっちという悲壮感


孤独感を感じても悲しみは感じません。

人間はもともと独りで生まれてくるから・・・・

そんな理由付けはしないでください。大きく的から外れていってしまうからです。


ある理解が起こると、人間はもともと孤独でなかったことなど無いと知ります。

現象として家族や仲間があるように感じたとしても、それは幻。

ある時は共感し、共有できたと感じても、それも一瞬の感覚でしかないのです。

愛し愛されている恋人の関係でさえそういえます。


なぜそうなるかと言えは、意識が同じところにアクセスしていないからです。

人間が普段アクセスしているところは、その人の世界にしかアクセスできず、そこから抜け出る事ができません。

同じところにアクセスしているようでも、パラレルワールドの別の世界にアクセスして共有した気になっているだけなのです。

それを悟らないままでこの世に生き続けても、決して真の意味で心が通い合う事はありません。

Aという人とBという人が会話をしていても、殆どの場合勝手に独り相撲をしているだけなのです。


ですから、みんな孤独です。

孤独ではない感覚(連帯感や仲間など)が幻想です。


孤独や孤高という言葉にどこか悲しみを感じるのなら、それは本当の孤独を知らないという事です。

本当の孤独は満たされていて、自立することなく一人で立っている状態なのです。
2016/11/03 03:41 悟り TB(0) コメント(-)
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