特別なことをやめると自然になります。
カレンダー
03 | 2018/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
新着記事
応援クリックお願いします!
プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

差取り塾で自覚に取り組んで深く理解している人にたまにお話することがあります。

早く本当の自覚を始めてください



今やっている自覚は本当の自覚ではないんです。



悟りを開いて、深めていった結果、それでも本当の自覚はできていません。ですから動画だけで分かる人は1億人に一人と書いたのです。

一人でやったら1000年かかっても理解できるかわかりません。

悟りを開くという事は人間の根源を知り、自分自身の土壌が肥沃に広がっていくことでもあります。

宗教的な意味はありませんし、宗教でその様になるかというと関係ありません。

この世界を在るようにしていることが分かるという事は、この世界が在るようになる以前の観点が必要です。

そこに思いをはせるようではその時点で理解から大きく遠のいているのです。

ではどうするか?

偽物の自覚から始めてこの世界の中で悟る事から始めなければいけないのです。

そのプロセスが完了した時、本当の自覚は始まります。


そのことに気づいた時、今までやっていた修練がいかに子供じみた努力だったかという理解が起こります。

同時に今までのプロセスが考え(方便)として必要だったともわかります。

その様な境地もまたあります。

ですから、悟るかどうかなどという話は今の時代においてはそれ程大したことではありません。

道元禅師が至った大悟と言われるようなところもやり方によってはそれほど遠くはありませんし、差取り塾にはそれを分かる人も増えています。


それを超えた境地に関しては人によって大分違うでしょう。

どんなことでも感情を伴うような大きなことに感じませんし、そもそも大きさなどない事も知っています。

それらが起こったという事に向き合い、在るがままを知っているだけです。

その状態で事を成す時、何を起こしていくでしょう。

真に在るがままに観ることができるという事は人間の想像力を超えています。本人はそのままみて言っているだけなのに超能力のようにも感じるかもしれません。

それが見えるようになった時、感動は起こりません。夢から覚めただけなのですから。

しかし、すべてを知っている事を知り、この世界で起こっている事がどれ程の事かも同時に理解されます。



この様なことを書いても想像しか呼ばず、妄想に陥る人もいるのかもしれません。

しかし、人間の可能性は無限なのだと少しでも感じていただけるのならそこに近づいてみようと行動を起こす人もいます。

できる人がやる。できる人からやる。進める人が進んでいく。

可能性を最大限に広げるとはそういう事ではないでしょうか。


あなたにとって、関係のない話と感じたでしょうか。それとも・・・その感じたことが今のあなたを語っているのです。

答えはいつでもあなたの中に在ります。

その見つけ方が分かったならどうでしょう。

必然的に大きく変わらざるを得ません。

変わろうと努力することは遠回りです。




【お知らせ:都内で開催のお話会について】

6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。
一般7,000円

お申し込みは差取り塾HPよりお願いします。
スポンサーサイト
2018/04/21 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
聴牌(テンパイ)

上がりに差し掛かかる一歩前の状態です。

そこに差し掛かっていて回り道をしている方は沢山います。

先日寄稿していただいたSさんもそれに近い状態でした。

【塾生投稿】絶望していたSさん

近い状態だからこそ何かが分かっています。

分かっているからこそ違うと感じることができ、違うと感じることができるから違和感に苛まれ希望を見出せない事にもなります。

違うと分かるから何か探したくなります。

違うと分からないならそれをやり続けます。

Sさんは本当にいろいろな理解を深くされている方です。

そのうえで、スパイラルに陥っていると気づき、同じようなやり方で10倍時間を使ってもスパイラルからは抜け出せないことに気づきました。

そのSさんが一人で自分自身に目を向ける事をした時、また、同じようなスパイラルに一瞬はいりました。

なぜそうなるかといえば、スパイラルをつくっているのはほかでもない自分自身だからです。

Sさんは何に気づいたのでしょうか。

それは思考で本人が分かり切らない部分で起こっています。

それを整理することでSさんの自覚やSさんのような人の役に立つかもしれません。

経験を通して「もうだめだ」と思っただけではないという事です。

自分のポテンシャルの限界まで攻めた人は限界を知ります。

そうでない人は一生かけても自分の限界を感じることはありません。

限界を感じることができる人は努力も惜しみません。

すると、努力も含めた限界点に達します。

そこで聴牌です。

リーチの段階まで来ているのですが、本人は苦しむことにもなります。

聴牌であることに気づけません。

しかし、努力によって研ぎ澄ませてきたものが本物を見分ける目が開かせています。

そうなると満足いくものは限定されるようになります。(限定が苦しみの原因でもあります)

その限定が確立を高めます。

聴牌した状態とはそういったことでもあります。

なんでもいいわけではなく一つなのですから。

(産みの苦しみと表現しても良いかもしれません)


自分で手を伸ばさない限り最後の上がり牌は引けません。

その牌はあなたの思考の中にはないのです。

牌を探しているうちは一生かかっても上がることはありません。



ほんのちょっとだけ違っていても、結果は大きく違うように現れます。

しかし、聴牌なのかもしれません。

結果に目を奪われるわれわれ人間の感覚では聴牌を分かることができず、多くの指導者はいつのなるかわからないというのです。


実際は数学のように計算式が成り立ちます。いつになるかわからないというのは知っていたらあり得ません。

不確定要素は本人の熱量です。

すでに知っている計算式を解くかとかないかというところだけです。

考えると分からなくなるし、難しく感じるかもしれません。


分からなくなって、難しくしているのは他でもないあなたの思考です。

その思考を解くのです。

しかし、解くのはまたあなたの思考であっては同じことの繰り返しにしかならないのです。

そこに他人の思考を使っても違う軌道を描いたスパイラルができるだけです。

何かを教える先生は思考のスパイラルの軌道は変えてくれます。

しかし、スパイラルを解くことにはなりません。

教わって、変化しているのは思考です。

その変化を心地よく感じるかもしれませんが、スパイラルの中というのは変わらないのです。

その違いをスパイラスの中にいる人に分かってもらうことほど難しいことはありません。

どんなことを話しても、思考のスパイラルの中でしか考えられないからです。

一番良い方法は一度出てみる事、出たところを体験してみる事。

https://youtu.be/o2T90T8DKLk?t=26m50s

この動画のこの場面でそれを経験した女性は今も自覚を真摯に続けられています。

経験して価値を知る事が一番の早道です。

この動画では自覚についてかなりの時間語られていますが、これを見てしっかりわかる人は1億人に一人以下だと思います。

そのくらい個人個人の個性の思考は気づかないうちに理解をぼやけさせたり、湾曲させてしまうように思います。

人間は真実という幻想の中で生きていることに気づく事がにわかに悟ったとしても困難なのです。

それを打破するモノは何を置いてもやろうという強い意識以外はありません。

また、この動画はその女性の個性にあわせて言葉を使っているために理解が個人的に起こりやすくなっています。

万人に通じる言葉はありませんし、オーダーメイドの言葉はとても大切です。


差取り塾に来てくださいというお話ではありません。自分でどう生きていくか決めればよいのです。

自分の考えは自分が作っていて、自分が変化しない限り同じような考えが出続けるという事を分かるなら、その理解によって行動はまた変わっていく可能性を帯びます。


Sさんも30年かかけて勉強したことを今では降ろし、理解するという事がどのような事なのか知るようになりました。

その知恵が理解を呼びゆっくりかもしれませんがダイナミックにシフトが起こっています。

とてつもなく大きな歯車がゆっくり回っているところを想像してみてください。

Sさんが感じているそれを共有してみてください。

誰にでも起こり得る事ことですが、普段から小手先で生きている人にとっては遠い彼方のお話でしかありません。




【お知らせ:都内で開催のお話会について】

6月16日土曜13:00-15:00、
東京駅八重洲口にある会議室で、
差取り塾のお話会を開催する予定です。
一般7,000円

お申し込みは差取り塾HPよりお願いします。
2018/04/20 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
数ヶ月前「この人生無駄だったのではないか。」と考えていました。
十代の頃は、何のために生きているのか、そんな疑問を持っていました。
パートナーや多くのお金、輝かしい成功、そういうものを手に入れるのもいいけど、人はそんなことのために追われるように生きているのか。
たとえそれら全てを手に入れたとして心の底から満足できるのか。
思春期にはよくある疑問で、そんなことに答えなど無いのかもしれません。
それでも納得したいという思いからか、何かを求める気持ちは頭から離れず、自分なりに探求してきました。
自己啓発やいわゆるスピリチュアル系の本をたくさん読み、講演オーディオなどを聴き、これはと思うセミナーに参加したりしました。
そして自分で考えることが続きました。
月日は流れ、気づくと人生の折り返し地点を過ぎている年齢になっています。
振り返ってみて、これだというものを掴めたのか?と自分に問いかけると満足とは程遠いものを感じます。
たしかに知識は増えています。テクニックや対処法のようなものは得られたものもあったのかもしれません。
しかし、日常生活ではちょっとした事で大きなストレスやフラストレーションを感じ、なぜこんな事もできないのだろうと自分自身に常に不満を抱えています。
手に入れたと考えている知識やテクニックを十分に実践していないからだと自分を責めます。
一方でそれでも飽き足らず、新たにあちらの情報こちらの情報へと飛びつき、その情報に振り回され疲れてもいます。
自分自身が同じレベル、同じ所をグルグル回り、空回りしてるようで、人として深まっているようには一向に感じられません。
これまでやってきたようなことを、これからも同じように2倍、3倍、10倍と時間をかけて努力し実行したとしても結局同じ結果になるのは明らかでした。
そんなことに気づいた時、「この人生は無駄だったのではないか。」という思いが浮かんできます。
今まで色々なことをやってきたけれど、人生の全てが無意味、無駄だったのではないか…。
虚無感や先も見えず打つ手もない閉塞感を感じる苦しい日々。
そんな時に明人さんが自覚の説明をされている動画をネットで視ました。
穏やかに話されていましたが、内容にはこれほど徹底的に私を観るのか…と衝撃を受けました。
自分というキーワードはスピリチュアルの世界ではよく出てきます。
いつもだと知識を溜め込んでいる私は「はいはい、自分は重要だよね。」とわかった気になっていたところですが、
その動画を視たときは、すべての基点ともいうべき私を果たしてどれだけ観れていたのかと振り返りました。
重要、重要と言いながら実は深いところでは一顧だにも出来ていなかったのではないか。
そして差取り塾に入塾しました。
まさに「私を観る」ことを徹底的にやります。いや、やろうとします。最初は出来ないのです。
入塾前に動画で視ていた時に、こういうことだろうなと考えていたのとは大切な部分で違っていたように思います。
一見簡単に出来そうですが実際にはそうではなく、独学では何十年も何百年もかかっていたのではないかとさえ思います。
明人さんや塾生の皆さんとのグループセッションやスカイプ勉強会での会話を通して様々なことに気づきます。
会話の中で「あれ、言ってることは逆じゃないかな?」と思うこともありましたが、後になって、ああそういうことだったのかと納得することも度々ありました。
差取り塾での学びはとても早いペースで進行します。
入塾から数ヶ月たちました。
正直まだ、私を観るということが十分満足に出来ているとは言えません。
しかし、それでも私自身随分楽になり多くの変化が起きています。
私を観ようとする過程で、私が考えを生み、考えは考えにすぎないのにその考えに取り付かれたようになり、繰り返し苦しんでいる自分をまざまざと感じるからなのかもしれません。
そして、その考えが静かになったときの私も。
今は散々空回りしていた歯車の歯の一つ一つが噛み合い、とてもゆっくりですが確実に何かが動き出したのを感じています。
最近、この数ヶ月前のことを明人さんにお話したところ「この人生無駄だった。というのはまさに考えでしたね。」と笑っておっしゃいます。
今の私は、そんな考えを抱えていたのはもう何年も前のことだったのではないかと感じています。
2018/04/18 12:00 塾生ブログ記事 TB(0) コメント(-)
差取り塾でお伝えしている事。

書き方によって伝わり方は変わるものです。同じことをお伝えしているようでも表現が違うだけで伝わり方も変わります。

今日は同じことを表現方法を変えて書いてみたいと思います。





人が迷うのは神の知らせを見逃し、誤解することから始まります。

誰しも神と繋がり生きているにもかかわらず、その神からの啓示を真摯に受け止めようとはしません。

そこから迷いや苦しみが生じているという事を知らなければなりません。





人が迷うのは本来あなたに備わった感性を活かさない事から起こります。

誰でも持っている感性ですが、その感性をないがしろにして、思い込みの理解で終わっています。

思い込みという夢の中で生きているうちは迷いが晴れることはありません。



どうでしょうか。簡単に書いてみましたが受け取り方を感じてみてください。

同じことをどの様に表現するかは個性に委ねられます。

神様はいるのでしょうかいないのでしょうか。

それは重要な事ではないのです。


理解が浅い人は、「神とは感性なのか」という誤解をするでしょうし、神を冒涜していると感じる人もいるかもしれません。


感覚は誰にでも起こりうるものです。

それは起こったものであり、起こしたものではないのです。


2018/04/17 14:33 悟り TB(0) コメント(-)
多くの人とお話していると殆どの人が個性の奴隷で生きているようです。

そこから自由になった時、学びが加速します。

学べる機会があったとしても、個性は学びを邪魔するように働きます。

どの様に働くかと言えば、個性が衝動や感情を呼び起こし、物事向き合う事をできなくさせます。

ですから、個性がいけないわけではなく、個性の奴隷になっていることが起因していると言えます。

心配なことがあれば、心を緊張させ、緊張した心で心配なことを考えます。

筋肉が緊張した状態で柔らかい動きが難しくなることは、多くの方が知っている事でも、それを心に活かしている人がどれくらいいるでしょうか。

わざわざ心の(意識の)勉強をすることなく知っている事です。

勉強するからわからなくなります。

勉強も個性を強化し、自分より個性を優先させることになります。

努力して作り上げた個性は、特別感を伴うようになります。

その特別感がいずれ本人の足をすくうかもしれません。


個性を尊重することと、個性の奴隷になることは違います。

世の中個性を満足させることで満ち溢れています。

個性の奴隷は一生懸命個性に餌を与え自分がやせ細って苦しくなってもそれを続けているように見えます。

そして、もうどうにもならなくなった方が差取り塾にいらっしゃることが多いようにも思います。

本当に大切にするべきところが分かったら楽になるのは当然なことです。

そのくらい簡単なことなのですが世の中そうはいかないようです。

本で勉強してはこれが分からなくなります。

このブログの事も勉強するなら分かる事はありません。

個性に餌を与えているだけだからです。


餌を得ようとする個性は主張し訴えます。

それが衝動や感情という形で表れ、当人を奴隷化さ、餌を運ばせています。


こう書くと個性がモンスターのようですが、ある面から見ればそうですし、またある面から見れば素晴らしい学びを起こしています。

何かを学べば学ぶほど個性は肥大化し、本来のあなたはやせ細っていくのです。
2018/04/15 11:28 悟り TB(0) コメント(-)
差取り塾のお知らせ
差取り塾へのお問い合わせはHPからお願いします。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム