特別なことをやめると自然になります。
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プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。


差取り塾に入ってから5か月が経とうとしています。入って間もない頃、わたしは「個人と向き合う」ということを教えてもらいました。当時はそのことが出来ていないことに気付くこともありませんでした。今も完璧にはできているとは言えませんが、わたしの人に対する姿勢はあの時以来大きく変わりました。今日はそのことをお話しします。

わたしは大学で英語を教えています。ここ数年、教壇に立って一生懸命授業をしているにも関わらず、学生との心のすれ違いを感じていました。学生と以前のように親しくなれず、孤独感を感じていました。若い人の気持ちが理解できなくなってしまったからだと諦めに近い気持ちを抱いていました。

そして差取り塾に入って日の浅いある日、わたしは担当しているあるクラスの何人かの学生の態度の悪さに我慢が出来なくなり、感情的に声を荒げてしまいました。わたしはいつも穏やかに授業を進めてゆきたいと考えていたので、多少の事では声を荒げたりはしません。しかもその日は講座の初日であり、これから学生たちとの関係を築いてゆくうえで大切な日であったので、普段より「感じよい講師」として振舞うつもりでした。しかし私が話し出しても全くおしゃべりを止めない学生たちを前に、自分が軽く見られているような憤りを感じました。「そうそう、おしゃべりが多くて態度が悪いやりにくいクラスです、って前任者が忠告してくれていたんだっけ。なめられちゃいけない・・・。」そんなことを考えていたと思います。そして学生の些細な行動をきっかけに、「なにやってるの!まじめにやりなさいっ!」自分でも驚くような怒気を含んだ声が教室を走りました。一瞬にして空気が凍り付き、当惑と敵意が空間を支配してゆきます。でも負けるわけにはゆきません。学生たちのしらけた態度と必死に戦って授業を進めました。その日は理不尽な攻撃を受けたような気がして苦々しい気持ちのまま授業を終えました。しかし、わたしは自分の正しさを疑いませんでした。ふざけた態度でいたのは学生達であり、それを正すため声を荒げたのだ。悪いのはわたしではない。

開講日早々学生達といやな関係になってしまったわたしは、そのあと何か月にもわたって続く講座のことを考えると憂鬱でたまらなくなりました。まとわりつくような気持ちに押しつぶされそうになりながら、差取り塾のスカイプセッションに出ました。恐怖と不安に支配されていたためその奥にある考えを見抜くこともできず、いったい何をどう自覚すればいいのか、考えれば考えるほど混乱していました。そのスカイプセッションで、明人さんの言葉がわたしの目に飛び込んできました。「学生たちはOさんが集団と捉えていることに違和感を感じているんですよ。」「えっ、まさか!?」思ってもいなかった言葉にわたしは動揺しました。学生たちを集団として認識していることには全く気が付いていませんでしたし、ましてやわたしの無意識から起こる態度が学生との軋轢の原因であるなどということは、想像だにありませんでした。しかしよく思い起こすと心当たりがあるのです。わたしはクラス全体に理解をうながし引っ張ってゆくことに尽力していました。年を追うごとにクラスの人数が増え、個人個人と話す時間も心の余裕もなくなっていました。例えばある学生が授業が終わってから個人的に質問をしてきたとします。するとわたしはその質問してきた本人への回答もそこそこに、これはクラス全体から質問だと理解し、その場でみんなに説明をする、というような事をやり続けていました。確かにわたしはクラスとういう集団と戦っていました。

「そこには個人がいます」明人さんの言葉の意味が理解できた時、ある変化が同時にわたしの中で起こりました。学生ひとりひとりの顔が浮かんできました。それまで同じように見えていた人たちの顔がそれぞれ個別に認識できます。そしてさっきまで重く沈んでいた教室全体が色鮮やかによみがえります。わたしは心の中で学生一人一人に向き合いました。対峙していた集団は崩れ去りました。そしてあんなに怖かった学生たちの顔が穏やかになり、微笑みさえ浮かべています。もう何の不安も恐怖もありませんでした。「大丈夫」そう確信しました。

次の週わたしはちょっとドキドキしながら、でも晴れやかな気持ちで教室に立ちました。スカイプセッションの時見た心の中のイメージの通り、だれも怒っていません。わたしは一人一人に目を合わせて挨拶をしました。恥ずかしい話ですが、名簿から目を離して挨拶するのは何年ぶりでしょうか。Hello! How are you? 自然に笑みがこぼれます。みんなうれしそうです。そしてしっかり前を向いて授業を受けています。わたしも一人一人の目を見て話します。前の週のことが嘘だったかのように和やかに授業が進みます。

これがわたしが差取り塾に入ってすぐに体験した出来事です。集団という敵に立ち向かうことのなくなったわたしは、この一件以来もうがんばって自分を大きく見せようとしなくなりました。身に着けていた張りぼてを脱ぐことができて楽になりました。あれから半年近くの時が経ちます。授業ではみんなとたくさん話しました。授業に関係あることもないことも、普段教室で話したことのないわたしの事も。そしてもうすぐわたしの担当は終了し、みんなとお別れです。「楽しかったよ、次も先生がいいな~」誰かの声が聞こえます。「わたしも楽しかった。本当にありがとうね!」こんな会話ができるなんてまるで奇跡だなあ、わたしは開講初日のことをふと思い出していました。
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2018/02/16 10:40 悟り TB(0) コメント(-)
例えばですが、3年くらいかけて攻略したい何かがある方。

そのくらいの価値を感じることがあるでしょうか?

目の前の困っている事よりももっと気になる事。

自分の器を大きくしたい。これは3年くらいかける価値はあるのではないでしょうか?

または

どんなことがあっても動じなくなる

仕事の決断を冷静に正しく行えるようになる

今はどうにもならないと考えていることがあるが、必ずどうにかしたいことがある

誰にも頼らないで生きられるような心を得たい

など・・・・


畑でどんな作物を作るか、そして収穫するか

どんな種を撒くか?

数か月の事です。


しかし、畑の土壌づくりとなると年単位です。

しかし、土壌が良ければ作物の出来は必然的に良くなります。


土壌が悪いために肥料や農薬を使って収穫にこじつけるようなやり方はどうでしょうか?

やがて土壌は・・・・


人の意識も一緒です。

どんなことでも育むことができる土壌があるなら、どんなことでも肯定的な収穫に繋がっていきます。

まずは土壌ですが、早く収穫したいという思いが強いために土壌に目がいかないことが多いようです。


3年と書きましたが3年かかるわけではありません。そのくらいかけても惜しくない事をやろうとしている人が差取り塾に来たら大きな価値を感じていいただるでしょう。

頭ばかり働かせて自分の足で歩こうとしない人は残念ながら、その場にとどまるだけです。

どうやって歩けばいいのか知りたい人は知る事になります。

歩いているつもりだけど、空回りに感じている人も着実に進むようになります。

世の中に大きな違和感を感じて疲れている方。その違和感はなんなのか知るなら、違和感から自由になることができます。

上司や親・友人の言っていることが正しいような気がするけど、なんか違和感を感じる・・・それも正しい理解をするならスッキリ生きる事ができます。

スッキリ生きる事ができるという事は何が起こっているか正しく理解でいているという状態であり、その状態が正しい決断を自然に呼びます。

簡単なことに思うかもしれませんができている人は稀です。
2018/02/12 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
どんなことを聞こうが、どんなことを教わろうが、それを理解するのは個人です。

個人を厳密に言おうとするなら「個性」

個性が何かを観た時、個性的な見方をします。

個性的と言ってもここでは一般的に言われる「個性的」とはちょっと意味が違います。

goo辞書から引用

[形動]人や物が、他と比較して異なる個性をもっているさま。独特であるさま。「個性的な人」「個性的なデザイン」


・・・・・・

ちょっと意味が違うというのは、人それぞれ理解が違っていて、大方はある一定の意味を規定しているという事です。

辞書の言葉どおりの事を言っているのですが、これを書いている私とこれを読んでいるあなたに理解に隔たりが生まれています。

一つのことを正確に伝えようとすることは、不可能に近いものがあります。

今日は伝わらない訳をお伝えしようとしていますが、それさえ伝えることが難しいのです。


ですから横道にそれているようでも、「個性的」という言葉一つを伝えるだけでも難しいというお話を書きます。

私が「個性的」という言葉をありのままに見た時、比較という概念は薄いもしくはありません。

比較を通して「個性的」と使うなら、個性的という意味は社会一般的な感覚が感じられると思います。

比較をしないで「個性的」という言葉を感じてみることができますか?

もし感じることができるのなら、それはとても興味深い体験になるように思います。

この答えは、ここに書くことではなく、あなたの中にすでにあるという事。

それを知るなら、何かが動き出します(さらに逸れていますが・・・・)


その答えは在るがままの中にある答え。


在るがままにみる人とお話をする場合、物事を正確に確実に伝えられるようになります。


在るがままにみることができない人同士なら会話は成り立っていると感じているだけです。

帳尻があっていればそれで会話が成り立っているように感じてしまうものですが、そうではありません。


「私を観るんです」

とお伝えすると

「そうか、自分を観ればいいんだ」

と解釈されることが殆どです。

個性を通して解釈をするので、「私を観ればいいんですね」

になってしまいます。

多くの場合それは違います。

違うのに「そういったからそうして何が悪いんだ?」

と考えるかもしれません。

でも、違うんです。

伝えたい意味と理解されることが一致しません。

それなのに文章を読んで理解できるというのでしょうか。

「それはこういう事ですね」

という人がいます。

それに対しての答えはいつも

「違います」

です。

それでも、理解したという人は理解したと思い込んでいます。

その思い込みに囚われて「違います」という言葉に腹を立てます。

そうしたらそこから抜けることができるのでしょうか?


一生懸命動画やブログを見ることではありません。

私は短絡的に「違います」とは言いません。

腹を立てさせて何の得があるのでしょうか?

自覚を実践されている方も「違います」というと腹を立てて話を聞かなくなってしまいます。


禅では「違う」ということをとおして、在るがままを教えようとしました。

違うと一喝され続けて初めて分かる境地があります。

叩かれても叩かれても、答えを出し続けた先に「それ」がありました。

(過去形なのは理由があります。)

さて、解った時点で「違う」という事なのです。だから伝わるという事をゼロから知らなければなりません。

これを読んでいて解った!

と思うならもう違うのです。

伝わらない訳がわずかでも伝わることを願います。

何かを読んで、見て、理解したと考えるならそれは既に囚われの中であって、自由は失われ窮屈になっていきます。

理解から自由になることをお伝えしたいのですが、他の悟りのお話をしているところと同じように聞こえてしまいます。

同じように聞こえるのは同じことを言っているのではなく、

「それってこういうことでしょ」

とあなたが考えているからです。

それは思い込んでいるという言い方もあります。

思い込みが強い人ほど感情が強く動きます。

怒らせる相手がいるのではなく、自分自身に原因があるという事ですが、それも感情が強く出る人には伝える事は出来ません。

できないというより、しないことが理にかなっているといった方が正確です。

もちろん伝える側に原因がないわけではありません。

しかし、本気で伝えようと努力した時、「伝わらない」を在るようにしているモノが良く見えてくるのです。

正確に伝えようとすればするほど、それが見えてきます。

ですから、多くの指導者は黙ります。

解ろうとするのではなく、判らないという事をなんとなくでも分からないと在るがままには見ることができないのです。

たった一人で到達できる人は100万人に一人以下のように感じます。

(この様に書くと1/100万の人が思い込みで沢山増えてしまうのです)
2018/02/10 12:11 悟り TB(0) コメント(-)
結局のところ・・・・・

自分で変化しようとしてする変化はとても小さな変化です。

大きな変化に感じたとしても、それは月から見ていて、甲子園でホームラン打った位な感覚です。打った本人は気持ちが良いと思いますが・・・・

思ってもみなかった変化は変化しようとした変化ではありません。ホームランが月まで飛ぶようなものです。月であなたが見ていたとしたら・・・・・

それを可能にするためには自分で変化しようとしては出来ません。

それでも自分でやろうとするならそれは止めませんし、ずっとそれをやりつづける事も思ってもみなかった変化にいつかつながります。

そのいつかを「いつになるか分からない」と表現します。

「いつになるか分からない」事に任せるもよし。

人間はその様な中で元々生きているのですから。


自分の思考の中に閉じこもろうとする人を無理やり引きずり出すことは大変なことです。

一人ひとりをの岩戸開きをするようなものですが、それよりもっと大変な気がします。


岩戸の前で踊っても、開けて出てくる人はわずかです。

多くの人が中で考え続けています。

岩戸が開かれた時、光が差し込み始めます。

2018/02/07 14:53 悟り TB(0) コメント(-)
さらっと書かれている中に何かを読み取れるでしょうか。

Tさんのお話です。





私が自覚を続けてきた結果を書きたいと思います。

私が自覚を始める前は、とても私の考えに私が振り回され、私以外の全てに影響されていると考えていました。
なのでとても大変だと考えていました。

しかし、自覚を続けてきて、3年位になりますが、私が私の考えを観れるようになったため、私が私の考えに影響されにくくなりました。

結果的に今は私自身の考えがとてもシンプルになり、いろんな考えが削ぎ落とされて、かなり楽になっています。

それに後押しをして頂くように、明人さんのお言葉や、塾生皆さまとのスカイプでのやり取りから、いろんな私の考えが観れるため、気付きや理解が起こり、私が自覚を始める前と今とでは、感じられる全てにおいて深み(自覚でしかわからないと思います)が増しています。


簡単ではありますが、これが今私が自覚を続けてきた一つの結果であり、今も続いている一つです。
2018/02/07 14:27 塾生ブログ記事 TB(0) コメント(-)
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