特別なことをやめると自然になります。
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プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。


ITコンサルタント Mさん:

差取り塾に入って何が変わったのか。



やはり、そこは大切なことだと思います。



まず、いろいろな出来事に対する反応に距離を置くことができるようになり、

とても楽になりました。



一般的に、人は自らの考えと同化して、

そこから生まれる感情に溺れて生きています。

私も差取り塾で学び始めた当初は、

考えに溺れていたような状態でした。



差取り塾で教えられている「自覚」を実践していくと、

私そのものと私の考えに距離ができていきます。

その結果、私と私の考えは異なるということが

次第にわかってきます。



そして、考えや感情に巻き込まれなくなり、

現実的にもより適切な対処ができるようになっていきます。



私はそれまで苦しさを何とかしたいと思い、

ご多分に漏れず、さまざまなことを学んできました。



それは自己啓発から始まり、スピリチュアルの教え、

あるいは何かの方法論、

さらには特定の瞑想法だったりしました。

しかし、結局はそのどれも何かが違うと感じ、

離れていくことになりました。

世間でよく言われるジプシーというやつです。



そんな感じであれこれやりつくした時に

明人さんのブログを見つけました。



読んでみると、ここには何かがあると感じました。

そこに書かれていることが明確には理解できなくても、

何か大切なことが書かれていると感じたのです。



これを読んでいる方は悟りに関心がある方が

多いと思います。



その意味では、私もまだ道の半ばにいます。

しかし、自覚を通して「私」自身を知っていくことが、

その道を歩み続けていくことであり、

悟りにつながっているということが腑に落ちています。



これは思い込みでもなければ、

論理的な理解でもありません。

ただそうなのだとわかったと言ったらいいでしょうか。

これは言葉だけだと、根拠がないという点で、

思い込みとの違いは微妙に感じられるかもしれません。

しかし、これも自覚することで

明確に区別できるようになっていきます。

本棚


私は長年ITのエンジニアをしています。

そのため、仕事では論理的に考えることを

訓練してきました。



そのため、どんなことでも無意識のうちに

論理的に考え分析してしまう傾向にありました。

どこかで論理的でないものは納得できないし、

正しいとは言えないと考えていました。

しかし、これも論理教という一種の宗教と言えます。

論理で明らかにできることは

ごく一部に過ぎないからです。

悟りにおいては、それこそが障害となります。



差取り塾で実践しているのは、

ただ「私」を知っていくということだけです。



何も強制されることはありません。

ただ人それぞれ個性が異なっているので、

それに合わせた指導をしていただいています。



もし悟りに対して、何かの概念を持っているなら、

それは一旦捨てる必要があります。

肝心なのは、

素直でいること、そして「私」を知り続けることを

決してあきらめないことだと思っています。



明人さんのブログを読んで、

なぜかわからないけど何か気になると感じたのなら、

ぜひ差取り塾の門を叩いてみてください。



これをたまたま読んでいるという縁、

そしてそのあなたの感覚を大切にされてください。



それが道を一歩踏み出すことになるはずです。

2017/04/01 10:10 悟り後の視点 TB(0) コメント(-)
2016年中に頂いたものです。
読みながら穏やかさを感じてみてください。




1.自然を愛する大学教員I.S.さん

差取り塾はとても地味な塾です。



「ワンネス」とか、「自己実現」とか、「わくわく」などの

キラキラした言葉はほとんど登場せず、

ただただ「自覚」をしています。



「自覚」とは、自分の考えに気づき、

「ああ、私は〇○と考えているんだなぁ。

そう考えている私がいるんだなぁ」と自覚して、

その「私」を観るという、

あっけないほどシンプルなプロセスです。



私は去年の2月からこの塾に参加し、「自覚」を始めて、

もうすぐ2年になろうとしています。



私は何につけても本当に歩みが遅いので、

「自覚」を始めた当初は、

そう簡単に満足のいくような自覚はできませんでした。

それは、今でもそうです。

けれども、

それでも2年近くこつこつと自覚を続けてこられたのは、

最初のセッションで「自覚」をすることで

心がほぐれる感覚があったからかもしれません。



また、「自覚」というシンプルな方法が面白くもありました。



自分がいかにいろいろなことを決めつけて生きているか、

考えに考えを重ねて何重にも捻じ曲げて現実を捉えているか、

どんな考えの癖があるか、

そういったことが、否(いや)が応(おう)にも見えてくるので、

ときに自分にあきれてしまいますが、

それもなんだか楽しいのです。



そんな風に考えの中でがんじがらめになりつつも

一生懸命に生きている私を見ると、

思わずふっと笑ってしまいます。



きっと「考え」との間に隙間ができるから力が抜けて、

笑う余裕ができるのでしょう。



差取り塾には、

自覚を通していわゆる「目覚め」の体験をされた方も

いらっしゃるようです。



「ようです」とあいまいなのは、

あまりそういう話が出ないし、

私も、「悟り」や「目覚め」というものに

興味がないわけではないのですが、

なぜだか根掘り葉掘り聞きたいと思わないからです。



差取り塾はそういうところです。



ある時そのような体験が私にも訪れるかもしれないし、

訪れないかもしれない。

でも、それはその時にわかればいいと思うのです。



そんな気持ちでいられるのは、

おそらく、私自身がゆるやかに変わっていっていることが

実感できるためです。



どんな風に変わっているか?

それは何かびっくりするような変化ではありません。



一言でいうなら、私がシンプルになっているように感じます。



考えに考えを重ねて現実を見ていた私から、

少しずつ考えがとれ、

「考え=私」ではないこともわかってくると、

現実の捉え方がどんどんシンプルになります。



シンプルになると身軽で、気持ちが楽になります。

また、「考え」と「私」の間に隙間ができるので、

前より少し余裕をもって人生を楽しむことができるように

なっていると思います。



こういった変化と関係があるのかないのかわかりませんが、

職場では、同僚からの相談事が増えました。

また、以前は相談事を持ちかけられると

一緒になって深刻になってしまい、

後でどーんと疲れるということがありましたが、

今は、多くのことが単なる考えであることがわかるので、

相談事にもシンプルに対応できて、

あまり負担にも感じません。



私に起きている変化は、今のところ、そんな感じです。

これまた地味ですが、私にとっては、

とてもありがたい変化です。

差取り塾幾さん

私は、いわゆるスピリチュアルな世界にあまり詳しくないのですが、

これまで、何人かのスピリチュアルな世界の方に

お会いしてきました。



その中で少し気になったのは、

次々とスピリチュアルなセミナーを受け、

たくさんのお金をつぎ込んで勉強をしても、

いえ、勉強すればするほど不足感に苛まれ、

スピリチュアル・ジプシーのようになっている方の存在です。

中には「目覚め」の体験をしたという方も

いらっしゃいました。

それでも苦しいのです。



今のスピリチュアルブームは、

キラキラした世界を見せることで、

かえって苦しい人を生んでしまっているのではないか

とさえ感じます。



私には「ワンネス」も「目覚め」も起きていません。

いたって地味です。



でも、目覚めて苦しいより、

目の前の現実をシンプルに生きられることの方がありがたいと感じます。



とはいえ、「知ること」、「わかること」を

諦めてしまったわけではありません。



「生について、死について、私についてもっと知りたい」

という気持ちは持ち続けています。



そんな私に、差取り塾の主宰者である明人さんは、

「自覚を通して少しずつ「私」が大きくなってくれば、

見えてくることも、わかることも変わってきます。

それが当たり前なのですよ」

と言います。



だから、安心して、今日もただ自覚をしています。



明人さんは、こういった言葉を、

その人が必要なタイミングで、

折りに触れ投げかけてくれます。

これも、自覚を長く続けられる大きな基盤となっている

と思います。



差取り塾は、

悟りを求める人にも、楽になりたい人にも、

おすすめの塾です。

2017/03/24 14:09 悟り後の視点 TB(0) コメント(-)
お伝えしていてたまに全く知らない人の意見を聞く機会があります。

そこで感じることは、文章や言葉の分析や判断に囚われて伝えたいことがほぼ伝わっていないということです。

伝わっていないどころか表面的な解釈により違った理解(誤解)を生んでいる事です。

最近人づてに聞いた話ですが、このブログを読んだ覚醒体験をした人がこのブログの解釈を行っているのですが独り相撲をしているようだと聞きました。

差取り塾では、導くことはできても連れて行くことはできません。その人の足で歩むと決めない限り道のりを進めないのです。

別の例えをするのなら進む道を指さすことはできても引っ張って連れて行くことは出来ないということです。

「のどの渇いていない牛に水を飲ませることはできない」というお話は多くの方が知っている事実です。

牛

そして、指している指をみてその事を解釈し、分析し思いをめぐらせ、批判や共感をしても指している指を観ているだけでしかありません。

のどの渇いていない牛は導かれて水辺に行くことはありません。のどが渇いていないので余裕なのです。

指先をみて解釈をしている暇も十分にあります。

私が指を指している先を見て、そちらに行ってみなければ何を言っているのは分かる機会は無いでしょう。

のどが渇いたときはじめて指を指す方向に歩いてみようとするかもしれません。

それが人間の苦しむ理由の一つでもあります。

指はどうでもいいのです。指した先を見ることをできるのが人です。

2017/02/23 18:18 悟り TB(0) コメント(-)
スポーツでも芸術でもプロとアマという線引きはあります。

それぞれの中身も色々です。

プロになれないアマもいれば、アマが抜けないプロもいるでしょう。

悟りにおいても一緒です。

しかし、困ったことに言った者勝ち。それっぽくしていればそれっぽく見えてそれっぽい人を好む人はそれっぽい人に集まり、それっぽく学びます。


その時にうっすらと支配している思考は「それっぽければよい」という安心感です。

それが大方アマチュアの思考です。

ですからアマチュアのままで終わります。

悟りにおいてアマチュアとは、悟りを開かない。もしくは開いたところで終わり。

くらいのところでしょうか。

今回のお話ししている部分については8割位の人が当てはまるところだと思います。

ですから後の2割については別の機会に・・・

そこで8割の人を本当の悟りに導く道を案内する事はあまり意味がありません。

分かっていると気分を悪くされるのがオチです。

本物の道を選ぶことができないのが8割

ですが悲しむことではありません。

道を選べないのではなく、選ぶ段階ではなくそこに続く道を歩んでいる(選んでいる)とも言えるわけです。

どんな道を歩もうが悟ったと勘違いしていようが悟ってその後道を外れていようがそれをとがめる必要などありません。

そういった段階ですし、悟りの勉強をしていても一生懸命やらない人が殆どでやっている気になっている人であふれています。


悟らなくてもよい

という話は

そんな中から生まれます。

なにをしてよいか明確に分からなければその隙間を埋めなければなりません。

隙間を埋める為にスピリチュアルや心理学、悟っているかもしれない人の話を聞いたり批評したり・・・


だいたいその辺に落ち着いていきます。

それってプロ野球中継を見ながら選手を批評するおじさんと一緒ではないでしょうか?

ゴルフの中継でも一緒です。


アマがプロの批評をするのが冷静に見れば面白いことなのですが・・・

アマはアマに教わりその気になります。

志高いアマはプロに教わるという選択をするかもしれません。

アマはアマの考え方から脱却できないのです。

できないというお話もまた一つの見方。

脱却するゲームを楽しんでいるのかもしれませんし、その部分を磨いているともとれますし、磨く必要があるとも言えます。

気がついた人から違和感と共にそこから離れていきます。
2017/02/09 21:09 悟り TB(0) コメント(-)
皆さんは地獄というとどのようなイメージを持つでしょうか?

イメージしてみてください・・・・

いずれそのイメージが出てきたらラッキーです。

地獄と分かればそこに居続けることはしませんから^^

今いるところが地獄なら、そこから抜けようとすることは誰でも考えると思います。好んでそこにいようとする人はまずいませんね。

じ‐ごく〔ヂ‐〕【地獄】 の意味
出典:デジタル大辞泉
《(梵)naraka(那落迦)、niraya(泥黎)の訳。地下の牢獄 (ろうごく) の意》
1 仏語。六道の一。この世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所。閻魔 (えんま) 大王が生前の罪業を裁き、獄卒の鬼が刑罰を加えるという。八熱地獄・八寒地獄などがある。地獄道。奈落 (ならく) 。⇔極楽。
2 キリスト教で、神の教えに背いた者、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受け、救われないという世界。⇔天国。
3 イスラム教で、この世の終末に復活して受ける審判によって、不信仰者や不正を行った者が永劫の罰を受ける所。罪人であっても信仰者はやがて天国に入れられる。ジャハンナム。
4 非常な苦しみをもたらす状態・境遇のたとえ。「試験地獄」
5 火山の、絶えず噴煙が噴き出している所。また、温泉地で絶えず煙や湯気が立ち、熱湯の噴き出ている所。「温泉場の地獄巡り」
6 劇場の舞台の床下。奈落 (ならく) 。
7 下等の売春婦。私娼 (ししょう) 。

引用元 goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/95733/meaning/m0u/

jigoku.jpg


多くの方はこの中に当てはまるイメージを持っているのではないでしょうか。

規定した時、その規定から外れるものにはノーマークになってしまうのが人間の心理です。

ですから、そこが地獄であってもあなたの地獄の規定から外れているのなら地獄とは認識できません。


地獄とは苦痛を伴うものだという規定があるのならそれ以外の地獄を見逃します。

しかし、それ以外の地獄を知る術もありませんでした。

賢人達は手を変え品を変え、地獄から抜け出す方法を伝えてきましたが、伝え聞いた人は自分自身が地獄にいるという感覚がないために真剣に話を聞く人はごく僅かです。

僅かな人とは、1.地獄とは何かどこか分かっている人たちです。2.目先の苦しいことを嘆く人もその中に含まれます。

1の人たちは話を聞き理解し、自分を磨き続けます。

2の人たちは、話を理解できないまま色々な形で離れていきます。


ここまで書きましたが、あなた自身が地獄にいるということがうっすらとでも分からない限り、地獄から抜けようとしないというお話。

「家族とも仲が良くて、お金にも困っていないから私は地獄にはいない」というお話も聞こえてきそうですが、だからといって地獄の住人ではないとは限らないのです。

ここで本当の地獄の定義をお伝えします。それは・・・


自分の意思で抜け出せない繰り返し


それがすべて地獄です。

幼稚園は先生も優しくて、楽しいところ(全員には当てはまりませんが)だとしても、一生その幼稚園に通わなければいけないとしたら、それは天国でしょうか・・・・・

お酒が大好きで、ずっと何も気にせずにお酒を飲み続ける事は?

優しい先生がいて、何でも悩みを聞いてくれ、居続けたいと思うコミュニティー

今のままで良いし、変わらなくて良いといってくれる人たちのコミュニティーもしくはそこの住人・先生

お金に全く困らなく、何もしなくても心地良く居続けられるところ

映画マトリックスのように眠らされ永遠と夢を見続けているとしたら?


・・・・・・

先ほどの定義から外れるならそれは地獄ではありませんし、当てはまるなら地獄です。

皆さんはいかがですか?

知らないうちに地獄の住人であることに気付きますか?


悟ってみて分かることは、人類は殆どすべての人が地獄の住人であるということです。

幸せそうな顔をしていても、いるところは地獄なのです。

それを伝えるためにはどうしたものかと考えていましたが、それを今日お伝えしてみました。

快楽地獄という地獄も認識に入れてみてください。

地獄にいるかいないかは自分次第です。すべて自分自身の心持ち次第だということが分かった時、地獄から自由になることができ、天国の住人になっていることでしょう。

天国からみるなら明らかに地獄が分かります。

天国ではないところが地獄だからです。

地獄から抜けた天国の住人は天国ではないところが地獄だと分かります。

天国から抜けたことのない天国の住人は天国ではないところが地獄だとは分かりません。

新しい魂は後者に属しますから、赤ちゃんは地獄にやってきたことを理解するまで時間がかかります。

赤ちゃんがやってくるところを、地獄にすることも天国にすることを大人の仕事です。

私たち大人はどうすべきか答えはハッキリしていると思います。



差取り塾では随時体験セッション(2回無料)を行っています。
差取り塾でどのような事を学んでいるのか、どのような人たちがいるのか?
楽で自由になっていこうとする過程、そうなった人たちの声。

今、どう生きているのか?地獄の住人なのか?天国の住人なのか?
天国の住人で居続ける心持ちとはなんなのか?

体験セッションでお待ちしています。
2017/01/13 18:31 悟り TB(0) コメント(-)
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