そのまま「観る」という科学
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差取り塾

Author:差取り塾
社会の中で地に足をつけて活きるという事を突き詰めると、思考を超えた合理性を帯びるようになります。

今回の混乱は意図的に作られているというと陰謀論のように聞こえるかもしれません。

陰謀は人間が考える事ですが、人知を超えたところが何を望んでいのか知るなら、今回起こっている混乱がこれで終わりになるかどうかわかってくるでしょう。

望んでいるという表現も想像・妄想を呼ぶ表現です。


着地点、収束点があった時、人間の行動が制限されればされるほど、そこに向かわなければ助からないという現象がおきます。

表面的な薄い話にしてみるならそれに気づいた人間だけ助かるという言い方をする人がいるかもしれません。


「それ」を知って混乱を迎える事と、知らないで混乱を迎える事の違いは膨大です。

混乱を喜ぶ勢力は別の混乱に沈むことになります。

混乱を恐れるものは混乱に翻弄されます。

混乱に向き合う者はそこで一筋の光を見る可能性を秘めます。


混乱が維持されてこそ次の段階に繋がっていくこともあります。

混乱を制することが今回の混乱の答えではありません。

ゲームがうまい人のところに人は集まります。

そして、「神」などと言われ尊敬を集めます。

この社会の中でうまくやっている人のところに人は集まります。

そして、尊敬されます。


ゲームに夢中になっている時、それは極当然の反応です。

ゲームに夢中になっているアバターが人間と名付けられています。


今をどう乗り切ったらよいか・・・・

そこに囚われているうちは、頭が良い人=ゲームがうまい人にすがるしかありません。


ゲームはイベントがないと面白くありません。

イベントが起これば起こるほど攻略しようとゲームに陶酔していきます。


この世はゲームではありません。

ゲームで例えるにはあまりにもリアリティーがあって、本当に起こっているようにしか感じられません。


この世がゲームであろうがなかろうが、人間にとって知るべきことがあります。


それを知るなら、この世のイベントを超える必要もなく超えている事に気づけるようになります。

知識として知るのではなく、自分自身から知る事。

これができたら人間卒業です。

しかし、この文章を読んでまた知識で終わった人間が沢山います。

段階にもよりますが、これを独学で理解するには1000年かけても無理なのです。
世の中のほとんどの人間は今日をを回避するための行動をしています。

別の言い方をすると

恐怖に影響を受けた行動

恐怖にコントロースられた行動

恐怖の奴隷が起こす行動

です。

恐怖の奴隷は安心を求め安心に群がります。

今だからよくわかる事ですね。


安心を得ようとする事は悪いことではありませんが、人間を恐怖の奴隷でい続けさせています。


必要だからする行動恐怖からくる行動は同じように見えて、恐怖の奴隷らみると区別はつきません。

区別がつかないのに判断をしているのがまた、恐怖の奴隷です。


沢山の人間が安心を求めて情報を探します。

安心を求めているわけでですから、情報は安心させるものしか受け取らない準備をしてから情報を求めているという事を気づかない人間はそれを気づくまで続けます。

そして、情報に原因を見続け、その情報を扱う自分自身に原因があることなど知る由もありません。


正しい情報があっているとは限りません。

富士山の写真を見た時、それは「富士山という」正しい情報です。

しかし、今の富士山を表しているわけではあません。

そして、そこにエラーを生む原因があります。

善い人が正しい情報をいうわけではありません。

良心で情報を発信してもそれが間違えているたという事は多くあります。

それを以て、その人の人格まで判断する人間が殆どです。

悪い人が間違えた情報をいうわけではありません。

上に書いたことと関係しますが、良い情報を流して、信用を得るという事もにも使われます。

その後はどうなるか・・・・・



人間は情報を課題に解釈し、情報を情報としてとらえる訓練ができていません。

日本において、そういった教育がなされていないという事も大きく関係しますが、あまりにも情報に対して思慮が足りないという現状が今あります。


今の日本は恐怖から起こる行動で満ちていますが、その一方思考を超えたところで必要だから起こっている・起こしている動きも見て取れるのです。


今のところロックダウンにはなっていませんが、なろうがなるまいがそれほど行動は変わらないという事を知っていください。

準備するものは準備して最低限の生活ができるようにしておくことが大切です。

ロックダウンになるかならないかで翻弄されないようにしてください。


先日も書きましたが、多数の人間が集まるところに入っていく事は避けてください。

これは多数派の意見の中で安心をしないという事も含まれます。

多くの支持が集まるところに気をつけてください。

そこは間違えている可能性がとても高いからです。


このお話を読んで、そうなのかと納得しないでください。

自分自身で精査して、実際に頭の中でシュミレーションをしてみて自分がどうの様に感じるか試してみてください。

そして、実践してみてください。


この期に及んでも情報を自分本位に解釈し、非難する人間の話をよく聞きますが、だんだんそういった人間の対処法を多くの方が知るようになりました。

これも面白い事です。

このブログにも以前コメントが来ましたがその様なコメントが殆どでした。

その為、しばらくコメント欄を閉じていました。

その様な人間の行動には衝動が伴います。

衝動に流されてそのまま書くから余計におかしなことになります。


その時どうすればよいのかここに書いておきます。

何を言われても相手をしてはいけません。


言葉で諭すような事は絶対にいけません。

静かになるのを待つしかありません。

少しでも反論しようものなら、衝動の炎に油を注ぐことになります。

人間大なり小なり衝動に支配されて生きています。

支配から抜け出る度合いで、獣から人になっていきます。


感情を表に見せないとしても、衝動的な行動はあります。

その行動が一番始末が悪いといえますし、とても汚い心持の人間にそれは見られます。

周りから見ると人畜無害のように見える人間でも、私から見るとそれがとてもよくわかります。

それを周りの人間説明したところで理解に至る事はありませんから、そのような事はしません。


本当に周到な人間とはそういうものです。

詐欺師に騙されている人をたしなめても、逆切れすることでしょう。

電話詐欺もやさしい口調で助けてあげるといってかかってきます。

スピリチュアルでも、語り手は優しく楽しくさせてくれます。


今は情報が錯綜していますが、どの情報を信じるかという観点を持っている人間は情報リテラシーのかけらもないといえるでしょう。

例えば沢山の情報がどのように飛び交っているか・・・・そういった事を俯瞰してみた時見えてくるものがあります。

情報事態に価値を置いてはいけません、情報を発する、情報が発せられるという事を通して、得られるものは膨大なのですから。


情報リテラシーを磨かずして、この先の世の中を生きていく事は出来ません。

そういった修練をするかしないかが個人の意思にかかっています。


それが大切かどうかわからない点で、情報リテラシーからは遠いのですが・・・・


自己覚知の話を前も書きましたが、自己覚知は悪くはありませんが、情報リテラシーからは遠いようです。

自覚と自己覚知の区別がつかない人がいますが、情報リテラシーを磨いていくならいずれ分かるようになるでしょう。


さて、世の中の流れが止まっているからこそわかる事、できる事があります。

今回のグループセッションは内輪でだけの集まりで行います。

これから先対外的にグループセッションができるのは何時になるかわかりませんが、これからを担う人が来てくださることを願っています。


因みに差取り塾の方々はご自身のリテラシーから、23区内から郊外に引っ越していたり(もちろん病気が流行ってからでは遅いです)

都心への通勤から部署を変えてもらう話をつけて、辞令がおりているところだったり・・・・

情報リテラシーの修練をしながら最善の行動をしている(いた)わけです。


その様な行動に自然になっていく、自然にできるようになる。

これが情報リテラシーを極めていった時に起こる事です。
世の中の人間は二極化が顕著に起こり始めています。

情報リテラシーが浅い人は何か起こるたびに翻弄され混乱します。

情報を目の前にしても、その情報の真意が読み取れないばかりか、自分本位の解釈をして感情的な行動を起こします。

このブログに未来において具体的な事を書かないのもそういった人の勘違いを呼ばないためでもあります。

今起こっている事はプロセスであり、本当に人間が直面し、苦しむのはこれからだと考えています。

次に控えている人間への試練は多くの人間が苦しむことになります。


今大切な事は健康を保つことであり、情報リテラシーを高めていく事で適切な行動をとっていく事です。

ウイルスの種類は他にもあります。


自覚を伝えていて思うのですが、物事に向き合って生きる人はどんなことがあっても命を救われるという事です。

自分を守ろうとする人は、その時点で死んでいるという事を選んでいる事。

とても簡単なお話です。

これからも世界はゆれます。

自分自身で運命のレールをひいているという事に気が付かないまま、そのレールの上を進んでいくなら、結果はおおよそ予測がつきます。

その人間にとって、未来は無自覚にレールを進むという意味で決まっています。


自分は大丈夫だと考えている人間が大丈夫な事はありません。

今回起こる事は今まで大丈夫だと思い込んでいた人も巻き込んで試される機会になっていくのですから。


今気になっているのは、山に移住している方々の事です。

いずれハッキリしてくると思いますが、その時また書くかもしれません。

安全なところなどどこにもありません。

一人ひとりがどう在るか、それが最も重要な事だと人間が気づくまでは次の段階に進めないのです。

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