特別なことをやめると自然になります。
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差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

スポーツでも芸術でもプロとアマという線引きはあります。

それぞれの中身も色々です。

プロになれないアマもいれば、アマが抜けないプロもいるでしょう。

悟りにおいても一緒です。

しかし、困ったことに言った者勝ち。それっぽくしていればそれっぽく見えてそれっぽい人を好む人はそれっぽい人に集まり、それっぽく学びます。


その時にうっすらと支配している思考は「それっぽければよい」という安心感です。

それが大方アマチュアの思考です。

ですからアマチュアのままで終わります。

悟りにおいてアマチュアとは、悟りを開かない。もしくは開いたところで終わり。

くらいのところでしょうか。

今回のお話ししている部分については8割位の人が当てはまるところだと思います。

ですから後の2割については別の機会に・・・

そこで8割の人を本当の悟りに導く道を案内する事はあまり意味がありません。

分かっていると気分を悪くされるのがオチです。

本物の道を選ぶことができないのが8割

ですが悲しむことではありません。

道を選べないのではなく、選ぶ段階ではなくそこに続く道を歩んでいる(選んでいる)とも言えるわけです。

どんな道を歩もうが悟ったと勘違いしていようが悟ってその後道を外れていようがそれをとがめる必要などありません。

そういった段階ですし、悟りの勉強をしていても一生懸命やらない人が殆どでやっている気になっている人であふれています。


悟らなくてもよい

という話は

そんな中から生まれます。

なにをしてよいか明確に分からなければその隙間を埋めなければなりません。

隙間を埋める為にスピリチュアルや心理学、悟っているかもしれない人の話を聞いたり批評したり・・・


だいたいその辺に落ち着いていきます。

それってプロ野球中継を見ながら選手を批評するおじさんと一緒ではないでしょうか?

ゴルフの中継でも一緒です。


アマがプロの批評をするのが冷静に見れば面白いことなのですが・・・

アマはアマに教わりその気になります。

志高いアマはプロに教わるという選択をするかもしれません。

アマはアマの考え方から脱却できないのです。

できないというお話もまた一つの見方。

脱却するゲームを楽しんでいるのかもしれませんし、その部分を磨いているともとれますし、磨く必要があるとも言えます。

気がついた人から違和感と共にそこから離れていきます。
2017/02/09 21:09 悟り TB(0) コメント(-)
皆さんは地獄というとどのようなイメージを持つでしょうか?

イメージしてみてください・・・・

いずれそのイメージが出てきたらラッキーです。

地獄と分かればそこに居続けることはしませんから^^

今いるところが地獄なら、そこから抜けようとすることは誰でも考えると思います。好んでそこにいようとする人はまずいませんね。

じ‐ごく〔ヂ‐〕【地獄】 の意味
出典:デジタル大辞泉
《(梵)naraka(那落迦)、niraya(泥黎)の訳。地下の牢獄 (ろうごく) の意》
1 仏語。六道の一。この世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所。閻魔 (えんま) 大王が生前の罪業を裁き、獄卒の鬼が刑罰を加えるという。八熱地獄・八寒地獄などがある。地獄道。奈落 (ならく) 。⇔極楽。
2 キリスト教で、神の教えに背いた者、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受け、救われないという世界。⇔天国。
3 イスラム教で、この世の終末に復活して受ける審判によって、不信仰者や不正を行った者が永劫の罰を受ける所。罪人であっても信仰者はやがて天国に入れられる。ジャハンナム。
4 非常な苦しみをもたらす状態・境遇のたとえ。「試験地獄」
5 火山の、絶えず噴煙が噴き出している所。また、温泉地で絶えず煙や湯気が立ち、熱湯の噴き出ている所。「温泉場の地獄巡り」
6 劇場の舞台の床下。奈落 (ならく) 。
7 下等の売春婦。私娼 (ししょう) 。

引用元 goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/95733/meaning/m0u/

jigoku.jpg


多くの方はこの中に当てはまるイメージを持っているのではないでしょうか。

規定した時、その規定から外れるものにはノーマークになってしまうのが人間の心理です。

ですから、そこが地獄であってもあなたの地獄の規定から外れているのなら地獄とは認識できません。


地獄とは苦痛を伴うものだという規定があるのならそれ以外の地獄を見逃します。

しかし、それ以外の地獄を知る術もありませんでした。

賢人達は手を変え品を変え、地獄から抜け出す方法を伝えてきましたが、伝え聞いた人は自分自身が地獄にいるという感覚がないために真剣に話を聞く人はごく僅かです。

僅かな人とは、1.地獄とは何かどこか分かっている人たちです。2.目先の苦しいことを嘆く人もその中に含まれます。

1の人たちは話を聞き理解し、自分を磨き続けます。

2の人たちは、話を理解できないまま色々な形で離れていきます。


ここまで書きましたが、あなた自身が地獄にいるということがうっすらとでも分からない限り、地獄から抜けようとしないというお話。

「家族とも仲が良くて、お金にも困っていないから私は地獄にはいない」というお話も聞こえてきそうですが、だからといって地獄の住人ではないとは限らないのです。

ここで本当の地獄の定義をお伝えします。それは・・・


自分の意思で抜け出せない繰り返し


それがすべて地獄です。

幼稚園は先生も優しくて、楽しいところ(全員には当てはまりませんが)だとしても、一生その幼稚園に通わなければいけないとしたら、それは天国でしょうか・・・・・

お酒が大好きで、ずっと何も気にせずにお酒を飲み続ける事は?

優しい先生がいて、何でも悩みを聞いてくれ、居続けたいと思うコミュニティー

今のままで良いし、変わらなくて良いといってくれる人たちのコミュニティーもしくはそこの住人・先生

お金に全く困らなく、何もしなくても心地良く居続けられるところ

映画マトリックスのように眠らされ永遠と夢を見続けているとしたら?


・・・・・・

先ほどの定義から外れるならそれは地獄ではありませんし、当てはまるなら地獄です。

皆さんはいかがですか?

知らないうちに地獄の住人であることに気付きますか?


悟ってみて分かることは、人類は殆どすべての人が地獄の住人であるということです。

幸せそうな顔をしていても、いるところは地獄なのです。

それを伝えるためにはどうしたものかと考えていましたが、それを今日お伝えしてみました。

快楽地獄という地獄も認識に入れてみてください。

地獄にいるかいないかは自分次第です。すべて自分自身の心持ち次第だということが分かった時、地獄から自由になることができ、天国の住人になっていることでしょう。

天国からみるなら明らかに地獄が分かります。

天国ではないところが地獄だからです。

地獄から抜けた天国の住人は天国ではないところが地獄だと分かります。

天国から抜けたことのない天国の住人は天国ではないところが地獄だとは分かりません。

新しい魂は後者に属しますから、赤ちゃんは地獄にやってきたことを理解するまで時間がかかります。

赤ちゃんがやってくるところを、地獄にすることも天国にすることを大人の仕事です。

私たち大人はどうすべきか答えはハッキリしていると思います。



差取り塾では随時体験セッション(2回無料)を行っています。
差取り塾でどのような事を学んでいるのか、どのような人たちがいるのか?
楽で自由になっていこうとする過程、そうなった人たちの声。

今、どう生きているのか?地獄の住人なのか?天国の住人なのか?
天国の住人で居続ける心持ちとはなんなのか?

体験セッションでお待ちしています。
2017/01/13 18:31 悟り TB(0) コメント(-)
瞑想については何度か書きましたが、すでに瞑想をしている人にとっては心地悪い記事になってしまっていたと思います。

特に瞑想を教えている先生にとっては都合が悪いお話しですし、瞑想で商売をしている人にとっても同じです。


本当に瞑想に精通していた人がどんな瞑想をしていたかというと、ただ瞑想するだけではありませんでした。

森羅万象あらゆるものを瞑想していました。

差取り塾でみんなさんがやっている瞑想はそのような瞑想です。


その瞑想の中身を少しだけご紹介します。

心が静かになることは重要視しません。自然に静かになるからです。

瞑想


静かになった状態から、瞑想は本格的なスタートになります。

瞑想をしているうちに、明らかに意識の変化を感じます。

その変化がポイントなのですが、自分が進むべき道(あまり考えないでください)進むべき意識の進化方向があるとします。

その進化方向が明らかに分かる方法があるのです。

上達すればするほど、「それ」に近づいていきます。そのようにしかならない瞑想です。

なぜそのようなことが可能かというと、高次元から持ってきた瞑想だからです。

ですから、やればやっただけ「それ」に近づいていきます。自分の意思でそちらに向かっていくからです。

厳密に言うと向かう意思も瞑想して消えていきます。

消えていったからといってそれは静寂ではありません。

静寂も瞑想します。


おそらく多くの方は理解できないと思います。

既存の瞑想ではないからです。

しかし、瞑想を20年やった人がこの瞑想半年で大きく飛躍しました。そして、今でもこの瞑想を極める途中にいます。

極めたら解脱してしまいますが・・・・

一般的な瞑想は残念ながら悟りの入り口もしくは手前までしか導いてくれません。

それは理論的な思考で理解できる事なのです。

それでも既存の瞑想にしがみつき続けるのならそれも悪くはありません。

瞑想という執着から自由になれないと瞑想することで教えられている状態だからです。


差取り塾で行われているの瞑想は意識のスポーツであり芸術です。

世間から離れるものではありませんし、むしろどっしりと生活の基盤になるようなものです。

分からない心の奥の世界を科学し、理論に基づいた瞑想は意識の成長を否応なく加速させます。

従って瞑想の指導は随時行っています。

指導といっても姿勢などの目で見て分かるところのことではありません。

心の中です。一人ひとり違いますからそれぞれのアドバイスをします。

意識の状態についてのアドバイスをするわけですが、これがどこでも行われるようになれば意識の成長スピードはかなり上がるでしょう。

あくまでも、解脱に導く瞑想の話であって、悟り手前の瞑想の話ではないことを繰り返しておきます。
2016/12/20 20:21 差取り塾の瞑想 TB(0) コメント(-)
世の中には安心を売る商売で溢れています。

溢れているという事はそれだけ需要があるという事です。


さて、安心を求めるのは人間として当然のことなのでしょうか?

人間が安心を求めることは殆どの人がしているという意味では自然と言ってもいいくらいな状況です。

しかし、それが自然なことかと言うと自然ではありません。

人類は今何で支配されているかと言うと、不安です。

不安を煽り、安心を与える事で人間を奴隷化できます。

実際に支配に長けた人はそういった支配でコントロールしています。

支配にはかつてドラッグも使われました。アヘン戦争もその一つです。

モーフィアス


ドラッグに一度染まるとどんなことをしてでも手に入れようとし、お金をつぎ込み犯罪もいとわなくなります。

安心を手に入れようとする人たちはどうでしょうか?

安心するために沢山のお金を使い、場合によっては犯罪もいとわなくなります・・・・・

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安心とドラッグは同じだという事です。

不安を消すために安心を求めることはドラッグを求めることと一緒なのですが、今の世の中では当たり前でもちろん合法的な事が殆どです。

保険を買う

スピリチュアル(思い込みの知識・知識・成功法・引き寄せ・未来・宇宙人・・・・)

悟り(楽になるという思い込み・動かない心・・・・)

宗教(コミュニティーの安心感・救済の期待・・・・)

信仰(神を信じる・マントラを唱える・お経を唱える・・・・)

etc.

これらを実現するためにお金を稼ぐ


過剰に安心を求めた時、法を犯すこともあります。

自分を脅かす人を陥れる・葬る

嘘をでっちあげ・・・・

etc.

こういった事は沢山起こっています。

法に触れない限り悪いこととは言われません。

しかし、ドラッグを求め続ける人たちと一緒だという事を知る事は大切なことです。

薬まみれでも誰も注意してくれません。注意するどころか、薬を売る事で儲けようとする人たちで溢れています。

今回の記事は殆どの人にとって耳の痛い話だと思います。


世の中はドラッグを求める人で溢れているのですが、それを止めようとするなら攻撃を受けるのは当然の事です。ドラッグに暴力沙汰がつきものであるように、ドラッグに目の色を変える人は同時に暴力性も表します。

合法ドラッグは世の中で大手を振って売られているのです。

スピリチュアルのドラッグの売人は依存するように巧妙に優しい言葉をかけてきます。そして安心させ安心依存症に付け込みます。かわいいキャラクターを演出したり、成功法とうたってみたり・・・・・
そういったことに飛びつく人が顧客です。

新しいものに飛びつくのは知識のエゴを満足させて安心感を得るために起こります。

座禅なども安心感を求めているうちは修行の入り口にも立てません。

ドラッグから抜ける施設があるように、安心というドラッグから抜けるところが必要です。

しかし、抜けるところはドラッグをやめられない人からすれば迷惑な話ですし、攻撃の対象になることも少なくありません。

差取り塾では安心というドラッグから自由になっていくコミュニティーです。

初めは安心も与えますが、その量はだんだん減らされていきます。

減らされた時不満を覚え怒りだす人もいます。

そういったことも少しずつですが改善し、プログラムを作り直しています。

プログラムは一人ひとり違います。

その人にあった対処が、楽に早くすすみます。

薬がどうしても欲しい人は去っていくしかありません。差取り塾は安心ドラッグから抜けるためのコミュニティーですから当然のことといえます。

そして、安心というドラッグから自由になった人は世の中を在るがままに見えるようになっています。
薬が抜けきった時の爽快感を知った人たちは薬を求めようとしなくなります。


薬物依存の人が、薬物から離れた時と一緒の感覚

幻想に悩まされることもなく、薬を求めるための苦労もありません。
薬が切れる事の不安もなく、お天道様の下を堂々と歩くことができる(嘘をつかなくて済む)。
何かに追われることもなく、底知れない不安感からも自由でいられる。

etc.


それでも、安心ドラッグを求め続ける生き方が良ければそれも悪いことではありません。

しかし、ドラッグから自由な観点から見るなら、薬物依存者と変わらないのです。

実際の薬物依存者は、それを善人ずらしてみている人に「実はあなたも安心という薬物依存なんですよ」と教えてくれているのかもしれません。


1月1日・8日は山梨グループセッションです。1日はご馳走を用意してお待ちしています。

顔色が良い皆さんと一緒に安心ドラッグから抜けたお話を聞きに来ませんか。
2016/12/18 11:10 悟り TB(0) コメント(-)
心を静かにすることが瞑想だと考える

広がった感じが起こる事が瞑想

深く入った感じが瞑想

癒しが起こる

・・・・・

これらは瞑想ではありません。

現れを以って瞑想と言うならそれは違います。

そして、心を静かにすることは瞑想において最初の入り口、準備運動にすぎません。

ヨガが悟りへの準備であるように、心を静かにすることは瞑想の前段階。その事はヨガの成り立ちとほぼ同じです。


多くの瞑想は瞑想をしているようで、瞑想の入り口に立つ練習をしている事になります。

そのことに気づかないでその瞑想を一生続けるなら、入り口にとどまりつづける事を意味するのです。

ここで色々な意見が聞かれるかもしれませんが、それは瞑想の入り口に差し掛からない観点から発せられることが多いと思います。分かりやすく言うとエゴが言っている主張になるという事です。

瞑想をされている方は、心をオープンにして読んでみてください。必ず助けになるります。この瞬間だけでも心を静かにして読むことが大切です。


心を静かにするという事について

心が静かになるという事は一つのフォーカスが起こっているという証拠でもあります。
静かな部分にフォーカスするから静かに感じて当たり前なのです。

もしくはフォーカスを極限までしていくと点になります。点の上には考えが存在するスペースがなくなります。



瞑想の達人がしている瞑想はどのようなものなのでしょうか?

それは、思考をフル回転する瞑想です。
そうは言っても一般的に考えられる思考ではありません。
それを超えた思考を取り扱います。

その様な瞑想法は世の中にあまり伝わっていないようですが、実際聖者の瞑想はそういったものです。
分かりやすいところではミラレパという人の詩を読んでみるとそれが垣間見れるかもしれません。

瞑想を極めた観点で書かれているミラレパの詩は瞑想の真髄も描かれています。

しかし、その真髄は瞑想をきわめてみて初めて理解できる事です。

ミラレパの詩をみて理解した気になるのならそれは一生本当の理解を得られないことになります。


なぜ今この様な事を書くかというと、瞑想は理論的で科学的なアプローチの時代に入り始めているからです。

だからと言ってどこかの大学の先生が提唱しているマインドフルネスとは全く違うことは言っておかなければなりません。

マインドフルネスの瞑想は入り口にも達していない瞑想だからです。それでも効果はあるようなので、その効果で十分な人はそういった選択をすることになりますし、良いも悪いもありません。

瞑想で悟る人は一般的な瞑想の概念にとらわれない人です。

捕らわれている人がいくら瞑想しても、座禅をしてもその境地は得られません。これは動かしがたい事実です。

だからこそそこから抜けるための実践を行っていく・・・・それは修正をしていくことなのです。


ゴルフでフォームが違うのに真っすぐ球を打ち出すことができるでしょうか?

出来たとしても確率は落ちます。

フォームを整える事で球が真っすぐ飛ぶ確率は飛躍的にアップします。

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今瞑想をしているあなたを否定しているのではなく、フォームを変える事で飛躍的に確率が上がるというお話を書いています。

瞑想をしている人は自分が行っている瞑想を否定されると感情的になります。それをやめてみてください。今の瞑想に執着をていることから離れたときに本当の瞑想が理解できます。

誰でも自分が良いと思っているフォームで実践します。しかし、レッスンに行ったなら先生から違うと指摘されないことの方が珍しい事。先生からフォームの指摘を受けて怒る人はあまりいません。

しかし、瞑想をしている人にその瞑想は違うというと気分を害されます。それは、相手に対しての規定(思い込み)や執着の中に生きているからですし、瞑想の効果がそこに現れていない証拠でもあります。

世界的に有名な瞑想も入り口までです。

その先は伝えられる人が殆どいません。インドに行っても無駄です。

多くの瞑想や座戦は間違った理論の元に行われています。


悟ったといわれる人も瞑想を分かっているとは限らないのです。むしろ分かっていないことが多いです。

日本でも有名なヒマラヤ関係の人が言っている事も、間違っているとは言いませんがぼやけているんです。体が浮いても息をしなくても、瞑想を知っているとは言えないのです。

有名な僧や聖者もぼやけたことを言っているのですが、それに気づけますか?世界にはほぼいないのです。

それでも看板や系統で判断する人はそちらを選んで良いと思います。今はそれが合っているからです。

2016/12/08 02:06 差取り塾の瞑想 TB(0) コメント(-)
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