特別なことをやめると自然になります。
カレンダー
03 | 2018/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
新着記事
応援クリックお願いします!
プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

私はただそうなっているという事だけをお伝えするだけです。

それを知ってどう行動するかはあなた次第で、そこには私の意思はありません。

もし、目を閉じて歩いている人に「目を開けて歩くと歩きやすいですよ」とお伝えした時、どういった事が起こるでしょうか?

目を閉じ続けて歩いている人(開けた時のことを知らない人)が目を見開くという事ができるでしょうか。

そこから話はスタートします。

目を閉じている人に目の前に起こっていることを聞かせるのはどうでしょう。

目の前に爆弾があり、もうすぐ爆発しそうだと話したら・・・・

目の前に金塊があると話したら・・・・

どのような事がその人に起こるでしょうか。

一喜一憂の中に真実があるでしょうか。

をしただけなのです。


また、目を閉じ続けてきた人に目を開けてくださいという事はどのような事なのか想像しかできません。

起こっていないことに対して想像を働かせることは真実から遠ざかることになります。

目を閉じている時、目を開けたときの夢はいくらでも見ることができます。

夢の中で目を開けている人に「目を開けてください」と言ったらどうなるでしょうか。

・・・・・

ですから、誰かに対して目を開けてくださいとは言いません。

しかし、準備が整いつつある人は気付きます。

2018/03/28 14:31 悟り TB(0) コメント(-)
何かを成すときにそれを分かっている人ほど成す可能性は上がります。

多くの場合、そこが欠如しているために道半ばで終わります。

どの分野においてもトップを走る人には共通した習慣があります。

本人はそれが成し得るための布石になっている事を気づかなくても習慣になっていのなら自然にそうなります。

そこを紐解いてみることで成し得るために大切なことが分かってくるのですが、紐解くだけで終わるのが成し得ない人の特徴でもあります。

成し得ない習慣を持っている人はここに答えを書くと、「(なんだ)そういう事か」と考えて終わります。

方法論ばかり先に走り、その方法が間違えていること自体に気づけなくなります。

方法があっているか間違えているかばかり気になり、本質が見えない状態に多くの人が陥っています。

本質とは方法があっているとか間違えているという事ではありません。

自分自身の観点でしか見ることができない状態に引きこもっている事にとどまらない。それが成し得る人の要素の一つになります。

自分自身の観点でしか見ることができないという事は自分の思考の枠を超えないという事です。

思考の限界は個人個人にあります。しかし、その限界の枠の中でしか考えず、行動しないとしたら、そこに内包していることしか起こらないのです。

思考の枠の中でしか理解をしようとしない事で、色々なことを勉強したつもりになっていても思考の枠が広がったわけではなく、自身の思考の枠で理解したにすぎません。

その理解は錆となり、思考の動きを鈍くさせていきます。

独りで勉強しても自分が理解できる事しか理解できていない事に気づく人はあまりいません。

さらに言うなら、自分にあった理解=自分にとって都合の良い理解を繰り返しています。

自分にとって知らないうちに都合で理解している人は、都合が大きくなってきます。

すると違うと感じる事(都合に合わない事)に対して感情が大きく動きやすい傾向になっていきます。

その感情に流されながら自分の理解を主張する人は巷でよくみかけるのではないでしょうか。

知識というモンスターを育てる事を一生懸命してはいけません。

周りの人を巻き込み自分自身を苦しめるからです。

知識を振りかざしたり、主張することは合理性に欠けた行動です。

合理性を欠いた行動をさせるのは感情です。

合理性ですからそこには理(ことわり)があります。

その理を無視して成し得ることができるでしょうか。

成し得ない行動をして道半ばで終わるのは当然なことです。

少し思考を整理すると、合理性を欠いた行動とは理を無視した行動。

理を知って、自分のものにしているのなら、成す方向に進むようになります。

理とは崇高な言葉ではありません。

いつも身近に在り、自然に起こっている流れのようなものです。

理は目に見えませんし、認識することは難しいと思います。

一つの理を知った時、一つ悟ったという表現があっているのではないでしょうか。

それを仕事で知ることもあれば、スポーツで知る事もあるでしょう。

合理性は「そこ」から発生しています。

それにあらがう事は合理性を無視することになりますが、それに気づかないで多くの人が失敗しているのです。

理を知る事がいかに大切か伝わったでしょうか。

それを判断しているのはあなたの思考です。

2018/03/25 15:07 悟り TB(0) コメント(-)
一般的な経済活動とは、お金を儲ける事のように思います。

普段私がお伝えしていることは、お金を儲けてはいけないという話ではありません。

しかし、お金を儲けるために考え行動することは違います。

収入は結果であり目的ではありません。

多くの人は収入を目的とすることでお金に振り回されるようになります。


結果を目的とすることは本末転倒な考え方です。

本当にいいものは、結果を伴います。

それは「結果が先にあったのではない」という事ではないでしょうか。

そういった事を感じてみることが理解に繋がります。

理解は結果です。

感じることをし続けたときに理解が訪れます。

しかし、「理解」という結果を求めるから、本当の理解が起こりません。

宗教学者が悟りをいくら語ろうが悟っていないのはそのためです。

本質は既にあるのに、考えの枠に当てはめようとするために本質は本質を保たなくなります。

本質とは「あるがまま」、「そのままのありよう」です。

辞書は少し面白い。

言葉の意味をそのまま表そうという意志が働いているからです。

辞書をつくる人たちは言葉の意味を考えるのではなく、感じる事も重要です。

そして、どのように表したら言葉の本質を表せるか知恵を働かせます。

ですから、辞書はあるがままに近い言葉でまとまっています。

言葉を感じながら使ってみてください。

自分が発する言葉に沢山ヒントが隠されています。

今日はまとまりのない文章のようですが、感じていただけると何かの理解につながるのではないでしょうか。

結果を目的としないという事が分かってくると、結果が変わっていきます。

結果が変わらないのは結果を求めることが起因しているからです。

まずは感じてみることの大切さを知る事です。それには感じてみないといけません。
2018/03/22 11:49 悟り TB(0) コメント(-)
今回のブログは簡単に感じすぎて1度しか読まないのなら理解は極浅い理解しかありません、

少なくとも10回以上ゆっくり全体感を読んで(感じて)みてください。1文1文で読んでいるとお伝えしたいことが伝わりません。

迷いから自由になる事それは人類にとって大きな価値があることなのですから。



迷いから脱するために躍起になる人はいても、迷いとはなぜ起こるか知ろうとする人はいません。

迷いの本質を知る事ができたのなら、迷うことはなくなるのですが多くの人がそこに目を向ける事さえ思いつきません。

簡単に理解できることではありませんが、理解しようと歩き出すならそれは可能になります。

一歩一歩は簡単な一歩です。

むずかしいことが急にできる事はありません。できる時はできる状態つまり簡単な状態になった時にできるのです。

一歩を踏み出すことを理解しようとする人もいません。

一歩とはいつでも目の前に進むことを言います。

それは簡単でしょうか。難しい事でしょうか。

そんなことをお伝えしています。
2018/03/21 17:59 悟り TB(0) コメント(-)
目的
  1.  実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。「当初の目的を達成する」「目的にかなう」「旅行の目的」

  1.  倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。

[用法]目的・[用法]目標――「目的(目標)に向かって着実に進む」のように、めざすものの意では相通じて用いられる。◇「目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。「人生の目的を立身出世に置く」◇「目標」は、目ざす地点・数値・数量などに重点があり、「目標は前方三〇〇〇メートルの丘の上」「今週の売り上げ目標」のようにより具体的である。

結果
[名](スル)
  1.  ある原因や行為から生じた、結末や状態。また、そのような状態が生じること。「よい結果をもたらす」「不幸な結果を招く」「意外な結果が出る」⇔原因

    1. 「―した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない」〈梶井・檸檬〉

  1.  優れた成果。優れた業績や記録。「結果を出してこそ一流選手といえる」

  1.  副詞的に用いて、ある事態の生じるもととなる結末状態を表す。「猛勉強をした結果、合格した」

  1.  植物が実を結ぶこと。結実。「例年より結果する時期が遅い」


goo国語辞典より

結果を目的としてはいけません。

と読んだ時に「なんで?」

と思う事は少なくないケースです。

言葉だけで判断するなら「?」が付くことは不思議なことではありません。

これを読んだなら、ゴールがないマラソンのようなケースが沢山出てくるでしょう。

言葉遊びにならないように気をつけなければいけませんが、結果と目的・目標がしっかり区別されていないところから迷走が始まります。

色々な場面を想像しながら結果や目的・目標と言う言葉を使ってみてください。

例えば

あなたの生活習慣の結果がお部屋に現れています。

仕事をする目的はどの様な結果を得るためでしょうか。

人生の目標はどのような結果をもって達成されたというのでしょうか。

こういった事を感じてみてください。

このことがはっきりしてくるとあなたの人生が好転していきます。

ここでは答えは書きません。必要ないからですし、答えを書くことで可能性を失います。

しかし、ハッキリさせればさせるほどあなたの人生が活きてきます。

そういった結果につながるのならそれだけで十分なのではないでしょうか。


これは差取り塾で皆さんが理解する一側面のお話でもあるのですが、差取り塾に入ったばかりのころは結果を求める人が多いようです。

しばらくいるうちに、意識が育って結果に影響されなくなると、結果を求めることが薄れていきます。

すると、目的や目標が現れ始めます。

それは生きる上での本来の目的。

本来の目的が分かると、何をすればいいのかは自ずとわかるようになります。

なぜ、差取り塾の人が差取り塾を勧めないのかというと、ここに原因があるようです。

目的がはっきりせず、結果を追い求めている人に勧めても差取り塾でやる事の目的を理解できません。

ですから、差取り塾でpracticeし目が覚めたとしても、どのような結果になるのかは伝えようがないのです。

目的の途中に結果がありますが、その結果を求めているわけではなく、求めた結果ではない。そして、その結果のすべては肯定的な結果ですが、それは目的ではないのです。

難しい話に聞こえるかもしれませんが、エベレストの山頂を目的に山を登っている時、結果として美しい景色を見て、山頂に登ることに影響をきたすでしょうか?

仮に影響をきたしていたら、登頂に支障があるのではないでしょうか?

山頂を目指すという強い意志は美しい景色に目を奪われその場に留め続けるでしょうか。

登れば上るほど雄大な景色が広がります。

そこで目を奪われ歩みを止め続ける事は差取り塾の人たちはしないでしょう。

本当の目的を知る、知ったという事はそういう事です。


誰かに生きる目的を聞いてはいけません。自分の中から出てくるものです。私はそれをお手伝いするだけにすぎません。

自分の中から出てくる答えこそ、あなたが求めた答え。

だから誰かの生きざまの勉強をして、まねしてはいけません。苦しむことになるだけです。

一人ひとり生き方があります。そして、その答えは自分自身の中に眠っている。

眠っていた答えを見つけたときから、何ものにも負けない強い意志が動き出します。

それが宇宙一の宝と言っても過言ではありません。

あなたも間違えなく持っています。

何ものにも負けない強い意志とのギャップを埋めるから「差取り塾」という名前でもあります。

差を取るのはあなた自身。

そのお手伝いをするのが差取り塾。

差取り塾生の上に差取り塾があるのではなく、いつも傍らにあるのが差取り塾です。

そうではないと目的が達成されないのです。

少なくとも、なものにも負けない強い意志は育めません。

さて、結果と目的。理解が進んだでしょうか?

身近に使われる言葉なのにハッキリすべて理解している人は少ないのではないでしょうか。

このことを理解するためには感性が必要です。

分かるまで感性を働かせてみてください。

すると自然にあなたを高めています。

2018/03/14 11:50 悟り TB(0) コメント(-)
差取り塾のお知らせ
差取り塾へのお問い合わせはHPからお願いします。
検索フォーム
ブロとも申請フォーム