特別なことをやめると自然になります。
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プロフィール

差取り塾

Author:差取り塾
悟りの目線から明人が色々伝えさせて頂きます。
自由について、愛について書いています。

カリキュラムといっても、実際に決まったマニュアルがあるわけではありません。

だからと言って闇雲にお伝えしているわけでもなく、一人一人それぞれの進み方に添ってお伝えすることで緻密に計算された結果につながっています。これから先マニュアルを作って一緒くたにあてがう事はありません。

特に決まったことはありませんが、結果的にそうなっているということをここでお知らせ出来ればと思います。


まず「悟る」

と言うことを規定しないでください。その上で読んでいただくとわかりやすくなります。


本質は言葉では表せません。

ですから、言葉を聞きながら「こういうことかな?」と分かることが必要です。

それを別の言葉で言うと

「言葉から《悟る》」

といいます。

特別なことではありませんし、誰でもその気になりさえすれば出来ることです。

それはいってみれば小さな「悟り」。


その「悟り」を重ねて一段一段登っていくと・・・(分かりますね?悟ってください)

気付きではなく「悟り」を呼ぶお話を通して意識が広がっていくのです。


その広がりはマスターからするとはっきり見えますし、悟った瞬間が分かります。

ですからどの段階に居るのかもハッキリしていますし、嘘もごまかしも利きません。

マスターは一人一人見て、その人が悟れる範囲の話をし、それを導くことをします。

ここまで読んで何か悟れましたか?

字面を追った人は分からないと思います。


茶道で形だけ真似しようとしても美しくありません。

それはそこに流れる何かを悟っていないからです。

本


自分自身で悟りを呼ぶことが出来るのですが、一人では難しいのです。

師が居ると言うことはそういうことです。(ここも悟るところです)


これを読んでも何の役にも立たない人は悟れていないだけであって、悟れない人ではありません。

カリキュラムの話から脱線しましたが、「悟り」という壮大なモノを追っているなら悟りから遠ざかります。

そういったアプローチしか知らない人が「悟りはやってくるもの」「待つしかない」とかいい加減なことを言います。

「悟り」は身近なところにあって、それに気付く(それを悟る)ことでえらいお坊さんの境地に至リます。

差取り塾ではそれをハッキリ、ステップバイステップで伝えています。

だから途中で辞めてもそこまでの悟りは経験できるのです。

(途中で辞めたらだいたいなにをやっていたのか分からなくなってしまうし、なにやってるのか分からないから辞めるのですがのが・・・)

価値は差取り塾に見るものではなくその人自身にみるものです。

己に価値を見いだした時、それを導く師に感動とともに感謝する事が出来ます。

最初はそれでよいのです。

差取り塾のカリキュラムを悟っていただけたでしょうか?

分かっていただけないので悟っていただくのが差取り塾の指導です。

分かるということを超えて分かったときが悟れたという一つの現象です。

2017/07/19 14:04 悟り TB(0) コメント(-)
運命を変えることとは、今ある運命に逆らう事ではありません。

自分自身で運命を切り開くことではないのです。

大切なのは自分で運命を創造していくという観点です。


運命を変えようとする観点は、運命を受け入れられていない観点であり、

運命を切り開こうとする観点は運命の流れと葛藤する観点です。


運命を変えようとしていることがどういった事なのか、考えるのではなく感じてみてください。

何かを知ることが運命を変えることではないのです。

その場合何かを知って現象が変わるという運命です。


運命という流れから出ることができたとき、はじめて運命を変えられるという選択肢を得ることになります。

それはそんなに難しいことではないのです。

どんな人でも努力さえすればできるからです。

しかし、運命の流れの中で生きる事を多くの人が選択し続けています。

流れに対処しようとしているから能力をつけようとしますし、それを勉強しようとします。

それはまさしく運命に自分自身を縛り付ける行為です。

ただ流れから出てみればわかります。

流れの中で考えないでください。

流されている時はその様な考えしか浮かばないからです。

出てみて分かる。

出てみたらわかる。


これだけをやってください。

そしたら、分かろうとしないでも分かるからです。

これだけやればよいのです。

ほかに考えることは必要ありません。


ボートを買おうとしないでください。

ライフジャケットなど出たら必要ありません。

激流下り


世の中、高価なボートやライフジャケットを求める人であふれかえっています。

そのあとの落ちも考える余裕はありません。

その時は仕方なく、当然なことなのです。

2017/07/17 12:00 悟り TB(0) コメント(-)
深淵を伝えるためには深淵を理解することができる意識が必要です。

大きなものを受け止めるには大きな器が必要です。


差取り塾ではそれを最も大切にしています。


何かを覚えたり身に着けたりすることは、それとはまったく異なることです。

ワークや能力といったものは全く関係ありません。


かといって、人間の器が広がったり深い人間になったりすることは一朝一夕ではないのは世間の常識。

世間の常識からすると、何かワークをやって少しでも大きくなろうとする努力が最ももてはやされてます。

それがどうかはあまり重要ではありません。


差取り塾は器の拡大を最も加速させる塾です。

そこに的を絞っているのですから当たり前のことです。


器が拡大するとどんなことでも受け止められるようになります。

そして、能力でさえ器の範疇に収まって来た時自分のものとなっています。

想像できる能力すべて。

自覚をし、パソコンが分からなかった人が分かるようになりました(笑)

その先はご想像にお任せします。

想像できないことは創造できません。


器を広げるという考え方も一つの考え方にしかすぎませんが、人間の観点からするとそう表現することが適切なように思います。

通常人間の器は一生かけてもわずかしか広がりません。意識の成長がほぼ起きないといっても大体あっています。


さて、何かの能力をつけて意識の成長に直結するでしょうか?

仏教を勉強する事が意識の成長に直結するでしょうか?

旅をすること

人のために働くこと

・・・・・

それらを通して、間接的に成長は起こりますし、そのままな事もあります。

トッププロがトッププロの器を必ず持っているでしょうか?

天才芸術家が天才芸術家の器を必ず持っているでしょうか?

答えはNoです。

それは社会すべてに言えることです。

環境が器をつくっていくことが常識的な理解だと思います。

しかしそれでは必然性に欠けるため、つぶれる人もいるのです。

また、器を持っている人はそうならざるを得ないとも考えられているようです。器が必然を創り出すからです。


器が大きい人、意識が大人な人は理解していくことが容易なのです。

器を無視した行動が自分を苦しめます。

それは小さい人を区別しているのではなく、大きくしてから勝負することが合理的なのではないかという一つの考えです。

器・意識を直接的に大きくできるならそれこそ最初にやるべきことではないでしょうか。

そこで初めて深淵なるものを理解することができるようになっています。

大切なことは理解は私の先ではなく後に起こるという事です。
2017/07/10 12:46 悟り TB(0) コメント(-)
映画「禅」で道元禅師話す言葉

眼横鼻直

眼横鼻直

的を射た説明が見つからなかったので掘り下げてみたいと思います。

そもそも道元禅師は言葉の解釈をさせるために言葉を放っているわけではありません。しかし、言葉が独り歩きしたときから近しい弟子はそうでなかったとしても耳から入った言葉は思考で解釈されるのが世の常です。

月を映し出す水面に月はありませんが、月を知る事ができます。

しかし、見たそれを月といってはいけません。ただ、在るがままに水面に映った月を見ればよいのです。

水面に映った月から解釈を生み出そうとした時点から禅の真髄からは離れていくのです。

道元禅師が何を言っているか分かろうとした時から、道元禅師の教えから離れることを禅師も言うはずです。

禅の真髄はそこにあります。

言葉は水面に映る月であり、本当の月はそこにはありません。水面に映る月をいくら論じても月について知る事から離れていってしまうように、言葉を論じることも同じことなのです。

ですから、眼横鼻直も理解しようとしてはいけません。

とはいっても理解できないといっているわけではないのです。

あなたが悟り、それを深めたときに自ずと理解が在ることに気づくのです。

初めに眼横鼻直を理解しようとすることは単に本末転倒だという事をまず知らないといけません。

大人の言葉を子供が理解できなませんが、理解した気になることは十分起こり得ます。そして、大人になった時、理解が間違えていたと思うことは誰にでもある経験なのではないでしょうか。逆に大人になったら簡単に分かったという事ですね。

その経験は確かに起こった経験です。

その確かに起こったことをただ見つめてみてください。

すると、場合によってその経験をないがしろにする行為を沢山していることに気づきます。

目は横について鼻は縦についている。

このことをないがしろにすることと変わらないことを多くの人が行っているのです。

ここまで書いたことは誰にでも経験があり誰にでもわかることです。

そこから悟りにどう繋がるのかと思うでしょうが、ただ、その様に生きてみることが悟りを得ることになるのです。


あなたは人間です(おそらく)

しかし、人間でありながら人間をやりつくしていないのです。

人間をやらないで人間以外のことに夢中になる。

人間ができうることを、粗末にしてはいけません。

何ができるのか考えてはいけません。

目の前にある事、それができる事。

手が届かない先にできる事はありません。それも禅の心。

あなたが人間であるという事は眼横鼻直よりも確かなことなのではないでしょうか?

その確かなことをぼやけさせてはいけません。

確かな事を確かに知る。確かでないことを確かに知る。

そういった心持ちが悟りへと導いていくのです。

眼横鼻直を知る前に知る事ができる確かな「私」ならそれは容易に分かる事ができるのです。

眼横鼻直を言葉で語る事は道元禅師が伝えたかったこと限定することでもあり、別の場合はき違えることになります。

道元禅師の理解を在るがままに知りたいのなら、道元禅師と同じ境地になる事が最も合理的な方法です。道元禅師自身もお釈迦様と同じ境地からお釈迦様の教えを理解できたのですから。

それでも、どのように考えていたのかは思考の範囲外で知るだけです。


的を射るという事は的に矢を当てる事では非ず。
的はあちらにあるから好きにすればよいということ。

それが数々の禅師の教えです。

2017/07/05 22:35 道元禅師 TB(0) コメント(-)
すべてが私にとって肯定的になっていくとはどういった心持ちがそうさせるのでしょうか。

その辺のお話はこちらのURLから
https://youtu.be/o2T90T8DKLk?t=25m18s



差取り塾では第一日曜日にグループセッションを開催しています。
来てみれば敷居の高いものではないと感じると思いますので、気軽に参加されてみてください。
2017/06/24 14:01 悟り TB(0) コメント(-)
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